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目覚めと帰郷

 朝の静謐な空気に満たされた聖堂で俺はただ一人、星々へと祈りを捧げていた。

 最近ではこれがもう日課になっており、欠かした事がない。



「カレン様。おはようございます」



 振り向くと日の昇る前から活動を始めていたナイ殿が薄い笑いを浮かべて立っていた。それに「おはようございます」と返しつつ主へ深々と頭を下げて礼拝を終わる。



「なんだか板についてきましたね。もう改宗して一週間ほどですか?」

「本職にそう言ってもらえると嬉しいですね」

「では傷の具合を見るので寝室までお願いできますか?」



 その言葉に頷いて聖堂の裏口から敷地内に建つもう一つの建物へと移動する。

 そこは俺が最初に目覚めた場所であり、ナイ殿の寝室であった。その隣には居間と台所と玄関を兼ねた粗末な部屋があり、彼女は今、そこに寝藁を運んで寝起きしていた。

 最初は俺がそっちに寝ると言ったのだが、けが人は大人しくベッドで寝ていてくれの一点張りに根負けしてこうなっている。

 そして寝室のベッドに腰掛けてナイ殿に包帯を取ってもらうと、そこには焼け爛れた灰緑の皮膚が広がっていた。

 これは矢を抜いた後、傷口に焼き(こて)を押し当てて止血してくれたからだ。



「それではいきますね。【我に癒しの力を。ヒール】」



 ナイ殿の手が火傷の上にかざされる。さすが司祭職についているだけあって回復魔法はお手の物のようだ。だが焼灼止血によってできた火傷により壊死した組織を復活させることはできないようでケロイドが残ってしまっている。もっとも命あっての物種であり、むしろ腕を切り落とさずに済んだことを喜ぶべきか。



「膿も抜けてきましたし、傷口も乾いてきましたね。壊疽にならなくてよかったです」

「ナイ殿の腕が良いからでしょう」

「おやおや。お褒めに預かり光栄です。では今度は頭の方ですね」



 ナイ殿は慣れた手つきで包帯を巻きなおし、今度は頭に巻いた包帯を取り外す。

 ちょうど額からこめかみにかけて真一文字にばっさりと斬りつけられた傷を直視することは出来ないが、ナイ殿の話だと膿んでいないらしく、経過も順調だという。



「こちらも大丈夫そうですね。教会に運んだ時はもうダメかと思っておりましたが」

「そうだったのですか?」

「えぇ。それはもう。あ、話は変わるのですが脳って多少切除されていても問題ないのですね。初めて知りました」



 え? なんでいきなりそんな怖い話をするの? ねぇどうして? ねぇってば!!



「はい、終わりです。縫合した部位も化膿していませんし、抜糸もできそうですね」

「ここまで治療してくださって感謝に堪えません。貴女と主に感謝いたします」



 本来なら右手なのだが、あいにくまだ扱えないので左手で胸の前に五芒星を描く。これは星神教の簡易礼拝の所作で、キリスト教徒が十字を切るのと同じ意味のようだ。



「それも全て主の導きですから。それで、この後はどうされるのです? 傷も癒えてきましたしそろそろ今後のことを考えねば」



 確かに彼女の言うとおりだ。

 今まで怪我人という事で畑仕事も手伝えず、前世同様のニート生活になってしまっている。

 それは俺もまずいと常々思っており、その焦燥が腫瘍のように凝り固まっていた。



「ガリア王国では生きにくいでしょう。信仰に生きるのであれば教皇庁のあるリーベルタースへ亡命することをお勧めしますが」



 この国――ガリア王国は人族を主とする王国であり、その構成種族である人間や一部の亜人に人権が与えられた国家だ。

 その一部の亜人に属さない者達をガリアは魔族や魔物と証し、討伐という名の迫害を推奨している。

 そんな国で俺が生きていくことなど論外だろう。

 しかし、かと言って神のために生きるとして国を捨てるという選択肢も俺にはなかった。



「まずは故郷(くに)に帰らねば。こう見えて、オークロードの息子なのでいつまでも国元を空けておくわけにはいかないでしょう。そして、早急に俺は父上や母上の仇を討たなければなりません」

「そうですか……。では、いつごろ発たれますか?」



 その言葉に思わず目を瞬かずにはいられなかった。



「――? どうされました?」

「いや、てっきりリーベルタース行きを説得されるのかと思いまして」

「主を敬うのに場所は関係ありません。貴方の心に主がおわす限り、そこが主の家となるのですから。それにご家族も心配されて――。あ、いえ、なんでもありません」



 薄い微笑は崩れていなかったが、どことなく申し訳なさが伝わってくる。そう言えば神の話をする以外、ナイ殿の表情は緩い弧を描いた糸目のまま変わることがない。

 それでもにじみ出るような申し訳なさに「気にしないでください」と笑って誤魔化そうとしたが、上手くいかなかった。だたひきつった表情になってしまったと思う。



「そ、それよりナイ殿の方がすごいではありませんか。俺より年下だというのに国を出て、一人で暮らしているのですから」



 彼女はガリア人ではない。リーベルタース王国の出であると以前話していた。

 そんな外国人の彼女がこの教会にいるのは前任者が一年前に川に落ちて死んでしまい、その代わりにナイ殿が後任として教皇庁と呼ばれる星神教の総本山より派遣されたかららしい。(俺の着替えはその前任者のもののようだ)



「大したことはありませんよ」

「いえ、そんなことは。って、それより帰る日でしたね……」



 彼女とこのまま分かれるのは忍びない。何か手助けをしてあげたいし、何より彼女から神の教えをもっと教わりたいとも思う。

 あ、そうだ。



「そうだ。ナイ殿。よければ我が所領に来てはくださいませんか? いや、まぁ国が残っていればの話ですが……」

「嬉しいお誘いですが、残念ながら教皇庁より教会守りを命じられているので勝手にどこかに行くのは難しいです」

「でしたら俺の国元に教会を建立します。その守り役になってくれるよう教皇庁に頼んでもいいですか? あ、もちろんオークの国なんか来たくなければ話は別なのですが」



 そもそもの話、オルク王国を含めた魔族国というのは田舎も田舎で進んで来たいものではないだろう。

 それに力こそ正義の諸族に対して宗教を持ち込んでも教家するのは難しいはずだ。



「やはり、うちの国に来るのはなしで。そうだ。家に帰ったらなにかお布施を届けます。戦もある世ですから保証は出来ませんが、必ずや――」

「いえ、カレン様の国に教会を建立してください。天上におられる我らが父は信仰を試される際に試練をお与えになられます。それはどれほど過酷な試練やもしれませんが、必ずや乗り越えられる試練しかお与えになられません。それが主の御慈悲なのです。ならばこそわたしは諦める訳にはまいりません。魔族国への宣教のためにもぜひ教会を建立してください」

「ナイ殿……! 分かりました! 絶対、絶対我が所領へ戻ったら教会を建てます!」

「では楽しみにしております」



 それから三日後。俺は夜陰に乗じ、ナイ殿が手配してくれた川船に乗って国境を突破して故郷に帰る事にした。

 もっとも王都であるウルクラビュリントは冒険者の手により陥落していたため付近の農村を巡りながらなんとかして新しい王都であるオルクスルーエにたどり着いたのはウルクラビュリントが燃えてから二ヶ月も経つ頃であった。



「カレン!! 生きておったか!!」

「叔父上!」



 オルクスルーエの城代は父方の叔父であるユルフェ・フォン・オルクがしており、本家筋の全滅に彼が臨時の領主となっていたようである。



「信じておったぞ! お前は昔から武勇の相をしていたから草の根を食ってでも生きておるとわしは信じておった。良かった、本当に良かった……!」



 叔父は雨以外で体を清められなかった俺に躊躇なく飛びつき、ぼろぼろと涙を流してくれた。

 そして父上の兄弟らしく、がっしりとした体が俺を抱きしめてくれる。その安心感に思わず涙腺が緩みそうになった。



「叔父上。苦しいです」

「そうか? わしよりもでかい図体で、なにを甘えたことを。あぁ! 冥府の神オルクスよ。感謝いたします」



 異教の神の名になんとも言えない想いが浮かぶが、今はそれを放っておくことにした。



「それで、状況はどうなっているのです? ウルクラビュリントの周囲の農村を頼りにここまで来たのですが、向こうの荒れ具合は尋常ではありません。人間共、奪えるものは全部奪う気のようですよ」

「それなんだが……。お前の行方が分からなくなっているうちにウルクラビュリントの奪還のために一万の戦士を送り込んだのだが、返り討ちになってしまってな」



 話を聞くと奪還軍に対して冒険者とエルザス騎士団――正規軍を合わせた五千ほどの連合軍がウルクラビュリントに籠城していたという。

 幸い、ウルクラビュリントを壊滅させた勇者の存在は確認できなかったが、五百メートルもの射程を誇る強力な魔法と弓矢や投石攻撃の前に奪還軍は敗走。

 そして残余の兵は五千に満たないのだという。



「特にマジックキャスターの攻撃は熾烈であった。接近戦に持ち込めば人間共に後れを取るつもりはないのだが、あの魔法攻撃のせいで多くの兵を散らせてしまった。面目ない」



 ギリギリと歯を噛みしめる姿に、俺は声をかけられなかった。

 通常、冒険者の使う魔法の射程は五十メートル程度しかない(マジックキャスターは前衛の剣士などを援護するのが仕事のため離れすぎると連携がとれなくなるので五十メートルほどが射程なのだとか)のだが、ガリアは複数人による同時詠唱によって威力や射程を跳ね上げた強力な魔法を使うと話には聞いていたが……。

 もっともその技術を得ようと研究をした者もいたようだが、オークは元々魔法への適性がよろしくないようで攻撃魔法の使用さえおぼつかないのが現状のため、研究は早々に打ち切られてしまったらしい。



「他の、諸国の援軍は? 魔王様はどうなさっているのです?」

「――ない」

「え?」

「魔王軍は静観を決め込んでいる。魔王様に領主代行として救援を頼んだが、未だ返事がない……」

「そんなばかな……。魔王様は諸族の盟主であらせられるのではないのですか!?」



 魔王という存在は魔族国五大種族の中心者であり、“ロード”の位と自治権を魔王様より与えられた各種族が王や大公として領地を統べている。

 そしていざ、戦争となれば魔王様を中心とした魔王軍が編成されるはずなのに――。



「当代魔王様は体が弱くて戦に出られぬと聞いていたが、まさかな……」



 憎々しげに叔父が言った言葉に力が抜けそうになる。

 つまり今、オルク王国には五千の兵しかおらず、それらが分散して各都市の守護についているのだとすれば、もうまとにウルクラビュリントの奪還を望むことは出来ない。



「すまない。わしの力不足で……」

「頭をあげてください。叔父上!」



 すぐに復讐が出来ないのか……。それがなによりも残念だ。

 思わず肩を落としていると、叔父上が「そうだ」と肉厚の手を叩く。



「兄上と義姉上の葬儀なのだが、わしらで執り行わせてもらった。あとで墓を教えよう。と、いっても骸もない墓だがな。それと、今後のことだが、すぐに正統なオークロードに即位してくれないか?」

「え? オークロードに?」

「当たり前だ。今はわしがオークロード代行として政を執り行っているが、性に合わなくてな。それに、兄上もお前にこの地を治めてほしいと思っているはずだ。どうだ?」

「ど、どうだって……」



 てか、むしろ叔父上はそれで良いのだろうか。オークロードになれるチャンスだと言うのに……。



「あの、俺なんかで良いのですか?」

「あぁ。お前しかおらんと信じておる。どうか?」

「他の領主達はなんと?」

「今のところ人間共の侵攻を危惧してなんとも、な」

「ですが、城がありませんし、家臣も――」

「城ならここを使ってくれ。副都として整備もしてきたし、わしもそろそろ隠居を考えていたからこの城を譲ろう」



 まさか隠居のために俺をすげ替えるつもりじゃないだろうな……?

 てかそんなんで良いのか?



「では、好意に甘えさせていただきます」

「そうしろ! そうしろ! だが、世の中まだ捨てたものではないな。お前が生きていて良かった。そうだ。今宵はお前の生還の宴を催そう。まずは英気を養え!」

「……はい」


 ◇


 それからしばらくは怒濤の毎日であった。

 俺の生存はすぐに魔王様にも伝えられ、その側近である龍人族の使者がやってくるや、オークロードの着任式が行われると共に税収の四割に上る弔慰金が下賜された。

 もっとも魔王様からはそれだけであり、あまりにも淡泊な対応に怒りを覚えたがここで怒っても仕方がないと叔父上にたしなめられてしまった。

 そしてその後は正式なオルク王国の長となり、叔父上よりもらった城の執務室で俺はため息をつきながら机につっぷしていた。



「うっそだろ……」



 これまで諸侯に会って色々と話を聞いたことにより叔父上が俺にオークロードになる事を勧めた理由が分かった。

 そもそもの話、オーク族最大の都であるウルクラビュリントの失陥により人間の版図は確実に魔族達のもとへ食い込んでしまっている。

 今まではガリア王国との国境にまたがるモーデル河が天然の防壁となって人間の侵攻を阻み、入ってきても少人数の冒険者くらいしかやってこなかったのだが、ウルクラビュリントはそんな人間に一大軍事拠点を提供してしまっていた。

 こうなれば人間の脅威に晒されるオーク族の舵取りは尋常のものではない。



「それになんだよ。オークロードとは言え諸侯の自治権を蔑ろにしてはならないって。アホか」



 諸侯は諸侯で俺のオークロード着任を認めたものの、再度の軍備の喪失を恐れてか再出征に軒並み反対ときた(そこに叔父上も含まれているのが悲しい)。

 これではウルクラビュリントの奪還はおろか父上と母上の仇を討つことさえ出来ない。



「まずは早急な軍備の増強だな。いっそのこと領民を徴兵してしまうか? いや、体はでかくても冒険者と戦うには厳しいか」



 オーク族は猿獣人に比べて体格に恵まれているものの、武芸で秀でているわけではない。そもそも民の多くは百姓であり、まともに武器を扱える者などいない。だって居たら一揆とか起こされちゃうじゃん。

 それでも猿獣人がオークに危害を加えて来るのは路頭に迷った者が野盗となってオークより貧弱な猿獣人の集落を襲うからであり、はなはだとばっちりであったりする。



「いっそのこと傭兵を雇うか? でも金がないし……」



 オルク王国の長となったものの、今の王国には金がない。そもそも王都が急襲された結果、俺の財産はいくつかの城だけしか残っておらず、この城とて叔父上に譲ってもらったものの城に存在する宝物や金は叔父上のものだから売り払う事も出来ない。



「動かせる金は魔王様からもらった弔意金だけか……。いや、万の冒険者共と戦うには足りないし、かと言って麦の刈り取りまで待つのもなぁ」



 直接的な収入と言えば税金だが、生憎まだ春先であり、税を工面できる民は居ないだろう。



「いや、それでも良いのか?」



 ここは仕方ない。戦争税とでも銘打って増税するか。で、払えない者は軍役を科せば兵力も集まって一石二鳥だ。



「問題は徴兵した者の訓練と武器か」



 先のウルクラビュリントの奪還において失われたのは何も兵力だけではなく武器防具も一緒に失われてしまった。

 これを補充するためにも金はいるし、何より素人を戦場に送り込んでも仕方ないから訓練するために教官も必要だ。



「うーむ。金がかかる」



 何事もそうだが、金の工面が今のところ最大のボトルネックだ。

 まぁ、まずは戦争税の布告だな。それと教会の建立も成し遂げたい。

 はぁ。やれやれ、復讐は時間がかかるものなのだな。


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[良い点] ガチロボトミーだとは思わなかった
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