オークとオーガ
ナイ殿が読み上げた親書により盤返しとなった議場に混乱の沈黙が降りしきる中、彼女はリーリエ殿下の背を押す。
「さぁ殿下。いえ、陛下。どうぞ玉座へお座りください」
優しいナイ殿の声にリーリエ殿下が目を白黒させる。
「え? いいの? あそこはおとうさまじゃなきゃすわっちゃいけないって」
「大丈夫ですよ。教皇猊下は陛下が魔王様であるとおっしゃられているのです。そしてあの御座は魔王様がお座りになる場所。ならば陛下こそあの玉座につかれるべきです。さぁどうぞ」
「うん」
とてとてと円卓を横切り、玉座にリーリエ殿が向かわれようとした時、ルドベキアがその前に立ちはだかる。
「な、なりません! 玉座は神聖不可侵の御座。いくらリーリエ殿下と言えど――」
「オーガロード卿! 先ほどの親書を忘れたのかね? すでに教皇猊下から新たな陛下の名指しが行われたのだぞ」
「今までなんの関わりもなかった異教の者の言葉を受け入れられるか!」
「だがしかと陛下の御名が魔王様と他国にも認められたのだぞ。それに前魔王様は最期の時にリーリエ陛下の名を口にされた! これは間違いなく次期魔王様を――」
「ただ名を呼ばれただけで魔王位の指名はされておられなかった! 履き違え、あ!?」
ファルコ様とルドベキア様が口論を始めた隙にリーリエ殿下がルドベキアの脇をすり抜け玉座に――。行こうとしたが、その前にくるりとターンして俺のもとにやってくる。
「いっしょにきて!」
「え?」
小さい手に引かれ、玉座に歩み寄ると「貴様! 不敬であるぞ!!」と野次が飛ぶ。
それに反応したのは俺ではなく、リーリエ殿下であった。その瞳に「本当に良いの?」と書かれている。
「殿下――。いえ、陛下。大丈夫です。ご立派な魔王様になられるのでしょう?」
「――! うん!!」
そうして小さな姫君が議場より一段高くなった床を踏みしめ、俺の手を引く。あえ?
「あ……」
ファルコ様とは教皇庁の動きを後ろ盾にリーリエ殿下を魔王様に即位させようと画策していたが、ここまでは計画されていない。
そもそも議場より一段高い空間は魔王様以外、不可侵の場であり、絶大な王権を意味していた。そんなところに乗っちゃった……。
だがニコニコと悪戯が成功したような笑みを浮かべるリーリエ陛下の手前すぐ降りるわけにはいかない。それに慌てて動けばルドベキア様から何を言われるかわからない。ええい! ままよ!
「皆の者。次代の――いや、新しき魔王様の御前である。頭が高いのではないか?」
こ、ここは何事もなかったかのように、あえて当然という風を醸し出して走りきるところまで走りきろう。
危ない橋というのは案外走りきると渡れてしまうものと聞くし、中途半端だからこそ転落してしまうものらしい。ならばもうなるようになれ!
「頭が高いと言っておるのだ」
玉座につかれた魔王様の背後に立ち、できるだけ平然と言い放てば諸侯は反射的に頭を下げてくる。
なんだこれぇ。まるで俺に頭を下げているようなものじゃん。これは楽しくなってきた。
「ま、待て! ふ、ふふふ不敬ではないか!」
と、そんな中、ルドベキア様が声を裏返しながら叫ぶ。
「いくら殿下と言えどまだ戴冠もすんでいない身で玉座にお座りになられるとは感心いたしません。そ、それにまだ王立議会においては次代の魔王様の選定の決議が下っておらん! そうであろう?」
震える声であったが、自身の言葉に自分で奮い立ったルドベキア様が周囲を見渡し、議会をリードしようとする。
まぁ無駄だけど。
「ルドベキア様。すでに教皇猊下から新たな魔王様が選定されたのですぞ」
「今まで干渉もしてこなかった隣国の異教徒の言葉に惑わされる魔王位ではなかろう。貴様のその図体でそんなものを信じるなど――」
「猊下の決定に背くということは主と主の代理人に背くという事です。そんな背徳行為が許されるとでも?」
許されなかったらどうだというのだ? という不遜な態度に思わず五芒星を切る。この者は自分が何をしているのかわからないのです。
だがその無知蒙昧さには腹が立ってくる。それと共に頭の傷が唸るようにズキズキと痛みだした。
「許されなかったら? 猊下の決定に背く事は主のご意志に背くことと等しい。それは到底許されぬ大罪であり、悔い改めねばなりません。もしそれが叶わぬであれば猊下は主の代理人として背徳の罪を断罪し、信仰秩序を回復するため星字軍遠征の決行をお決めになられるでしょう……!! その規模は全世界の星神教徒が信仰の正義を守るため集結し、軽く二十万を越える軍勢となるはずです」
星字軍遠征とは信仰を守るために教会お抱えの騎士団や信仰厚き諸侯が集った連合軍のことだ。
これまでに何度も編成され、海向こうの星地奪還を目的に遠征を繰り返していた。
謂わば信仰の前に国境の垣根を超えた多国籍軍であり、そんな大軍に辺境の一国である魔族国が束になっても対抗できるはずもない。そうした軍事力を背景に魔王選定は決まったも同然だ。
「では時間が押しておりますのでこれより決を取りたいと思います。リーリエ様のご即位に賛成の方はご起立ください」
押し黙るルドベキア様の隙をつくように議長が宣言するや、諸侯が立ち上がって拍手を送る。それもコボルテンベルク大公も加わり、いよいよルドベキア様は孤立してしまった。
「み、認めんぞ!! 議会は魔王様の補弼機関! その決定に絶対はない!! 殿下もよくお考えください!! 殿下の決定は我ら家臣一人一人の暮らしを、ひいては民の暮らしを左右するものです。殿下はその小さき身にそれらの責任を取れるのでしょうか!?」
「ルドベキア様。いや、オーガロード卿。いくら王家武術指南役と言えど言葉が過ぎるのではないかな?」
イキって上から目線で言えばギロっとした視線が向けられる。
ひぃぃ。こわ。何あれ? 顔怖すぎるだろ。
それに権力を傘に威圧とかパワハラの権化じゃん。やっぱり好きになれないな。
「み、認めんぞ!! 才覚溢れるローゼ殿下こそ次期魔王様にふさわしいと諸侯も思うだろう? それともオークやそこの人間に乗せられ、リーリエ殿下に魔族の命運をゆだねるのか? 冷静に考えてみよ。いくら隣国から指名されたといってもそれは我が国への干渉ではないか! 今こそ魔族の自由と自治を――」
「口を謹んでいただこう。魔王様の御前である。そのような言、まるで現魔王様に叛意があるようではないか? 諸侯はどう思う?」
だが飛び火はイヤだとみんな目をそらしてくる。それに間髪いれず「その通りだ」と何がだよとツッコミが入りそうな言葉を続ける。
「すでに議会も、教皇猊下もリーリエ陛下の魔王即位を認めたのだ。それに反対するはオーガロード卿。貴殿一人だ。その横暴な態度は魔王様より授けられた大公位の品位を損なうものであり、はなはだ遺憾である。魔王様。ここはオーガロード卿に厳罰をお与えになられるべきかと」
「ふ、ふざけるな」と憎しみのこもった声と「ばっしなきゃだめ?」と優しい声が混じる。
「かんだいなしょぶんをもうしつけたい」
「お優しいお心は感心いたします。星書にも相手が悔い改めれば、その者がどのような罪を犯していても許すと記されております。しかし相手が罪を認めて許しを求められなければこちらも許すことができません。陛下の御心がいくらオーガロード卿を許してもオーガロード卿が己を悔い改めねばなんの意味もないのです」
「そんな……。ルドベキア。くいあらためてくれ」
相手を必死に許そうとするリーリエ陛下だが、当の本人は額に青筋を立て、それがぶちぶちと破裂しそうなほど怒りの形相をいただいている。
こんな怖い奴を許そうと思える陛下ってすごいな。これが王の器ってやつだろうか?
「いい加減になさいませ!! それに貴様もたかが一大公の分際で玉座の間に上がり込むなど不敬の極み!! 分をわきまえろ!!」
「俺は陛下に求められてここに立っているのだ。それに対し貴殿の口は何を申している? 先ほどからその態度は目に余る。分をわきまえるのはそちらだろう」
「ぐ、み、認めん! 認めんぞ!! こんな茶番、絶対に認めん!!」
「ではオーガロード卿は陛下の即位を批判なされるのか? それは魔王批判も同じ。まさに自分が謀反者であると公言されております。宰相閣下。我が国の立法では謀反人の扱いはどうなるのでしょうか?」
それに宰相は嬉々と「極刑ですな」と間髪入れずに答える。
まぁ彼も派閥としてはリーリエ様を押す者だから当たり前と言えばそうだ。どうも宰相閣下は父上やファルコ様の悪事に一枚噛んでいたらしい。
さて、茶番劇も終わりにしよう。
「では魔王様。オーガロード卿は陛下を裏切る極悪人です。もはや救いの手はないでしょう」
「ほんとうに?」
すがるように抜け道を模索する優しく小さな魔王様だが、残念ながらもう蜘蛛の糸さえないのだ。
「ありません。オーガロード卿は悔い改めないとのことです。陛下も悪戯をすると罰せられるでしょう? それと同じですよ」
「………………。……そっか。仕方ないね」
子供特有の残酷さと言うべきか? それとも極刑の意味を深く理解していないのか。
まぁどちらでもいい。
宰相閣下が「衛兵! オーガロード卿を謀反の咎で逮捕せよ」と命令を発する。だがそれをかき消す様に獣のような咆哮が漏れた。
「えぇい! 埒があかぬ! 真の魔王様はローゼ殿下であるとなぜ分からぬ!? こうなれば戦だ! デモナス王国大公として戦を宣ずる!!」
「……何を言うかと思えば。オーガロード卿はすでに謀反の咎を犯しているのだ。戦の前に貴殿の身柄を拘束し、裁判を受けてもらう」
「戦を宣ずるのは大公の正当な権利であり、大公位とは神聖不可侵な魔王様より与えられた位。ならば大公の権利の行使は歴代魔王様より与えらたものであり、それを蔑ろにするは魔王様のお力を蔑ろにするということ! 即ち魔王批判である!!」
俺も大概だが、なんだその無茶苦茶理論は……。
つまりあれか? 戦争中は大公の権利を行使しているから逮捕されないと? お前は会期中の議員か何かか? まぁ近しいものはあるか。
「されど戦を宣するとは言え、これより軍の行動に制約のかかる冬が訪れる。よって新魔王陛下をローゼ殿下にするかリーリエ殿下にするかの議論は一時中断し、冬があけると共に二つの陣営に分かれて雌雄を決する戦を執り行おう」
うーん。屁理屈こねるなと一喝したいが、下手にやると今度は俺の方が魔王批判となってしまう。
つまり黙って戦を受けなければならない。
いや、戦をただ受けるだけでなく、ルドベキア様に戦の準備の時間を与えた上、リーリエ様の即位を”拒否”ではなく”保留”という形にしたため教皇庁の圧力を際どいところでかわしている。
まぁ教皇庁のことは黒に近いグレーだが、黒ではない。そなると教皇庁の介入も微妙になるな。いや、教皇庁がごりおせば介入できるのだろうが、そこまでしてくれるだろうか?
「では決戦の日時は追って連絡しよう。諸侯共々、首を洗って待っておれ。正義は勝つのだ!!」
そうして議会は閉会を迎えた。