次期魔王
「予をかくして!」
という小さい姫の命令に従い、植木の前に立っていると侍女が慌ただしく近づいてきた。それと共に足下の姫が息をのむ気配を感じる。
「姫殿下! お返事ください! 姫殿下――。こ、これはお見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
顔を青くした侍女に言葉はかけずにただ頷く。
正確に言えば姫殿下の命令と顔を青くする侍女の顔色の板挟みにあった脳が言葉を見つけられなかっただけだが……。
「失礼いたしました」
と侍女が頭を下げてキョロキョロと不安そうに駆け足で去っていくと共に足下から安堵のため息がもれた。
「姫殿下」
「あぅ……」
もっとも一難去ってまた一難というように姫殿下の顔色がくしゃりとゆがむ。
しまった。俺の顔は前世もそうだったが、どう見ても子供受けするものではない。
怖がらせてしまったかな……? せめて少しでも恐怖を払拭させようと笑顔を作りながらしゃがみ込むと「ひぃ」と悲鳴がもれた。え、笑顔……。
「た、たいぎであった」
「ははぁ……。と、お待ちください、殿下」
笑顔、笑顔笑顔――。優しい感じの笑顔をして――。
「――ッ!!」
声にならない悲鳴をあげられるなんて……。それに逃げようとする足も止まったが、逆に腰が抜けてしまっているようにも見える。
困ったなぁ。やっぱり先ほどの侍女を呼んであげようかな?
でも殿下も子供ながらに侍女を困らせる事情というものがあるのかもしれない。
「殿下。侍女を困らせてはなりませんぞ」
「………………。……ご、ごめなさぃ」
目に涙を浮かべ、消え入りそうな声で呟かれた謝罪に頷き、先ほどさった侍女を呼ぼうと立ち上がろうとした時だった。「だって」と必死に振り絞られた声が響いた。
「だって、みんなおとうさまに会わせてくれないんだもん……!」
「……殿下」
「おとうさまのおへやに行ってもおとうさまに会わせてくれないし、みんなおとうさまは龍の国に行ったって言うばかりだし、おじさまも予にかまってくれないし、うぐ、ひぐ……」
瞬く間にあふれ出した涙が小さくて赤い頬を濡らしていく。
……そう、だよな。この子は王族とはいえ八歳の幼子なのだ。悲しくて当然だろうし、何より父の死を受け入れられないのだろう。
だと言うのに周囲は次期魔王位を巡って政争が続けているとは……。
「殿下。少し、このオルクとお散歩をしましょう」
「ひぐ、えぐ、そ、そうしたら、おとうさまにお会い、できる? おかあさまがね、おとうさまはお体がよわいから、みじかい時間じゃないと、会っちゃいけませんっていうの」
「そうですね……」
どうするか逡巡した後、姫殿下を背負い、ゆっくりと庭園を歩いていると背中から「……おとうさまは龍の国にいかれたって聞いたの」と呟かれた。
「龍の国ですか。どのような所なのでしょう?」
「わからない。でも龍のかみさまがいらっしゃるの。そこで楽しくくらすんだって」
「そこに魔王様は行かれたのですね」
「うん……。でも、そんなところに行ってほしくないの。おとうさまとずっと、ずっといっしょにいたいのに……。予は、おとうさまにすてられちゃったの?」
そうか。殿下は不安なのか。いや、不安で当たり前だ。俺でさえ父上や母上の死にやりきれない思いを抱いているし、未だにそれは心の奥底で燻っている。
「そんなことはありません」と首を振るが、背中をギュッと握る手が嘘だというように力が入れられる。
「……予もいつか、龍の国にいくの? みんなを捨てて、予も――」
そうか。父の死を受け入れられないのではなく、本当に怖いのは父のように自分という存在がある日、ぷつりと終わってしまうことか。
だが俺のように前世の記憶を持つ者もいるが、前世の俺はその前の前世について全く覚えていない。
こんな奇跡が起こる方が希有なのだからこれを当たり前と思ってはいけないな。
「殿下は龍の国に行かれるのが怖いのですね」
「……うん。あ、でも誰にも言わないで! 予は父上さまの子なのだから!」
魔族は力に従うを地で行く気風があり、ドラゴニュート族が魔王となっているのも単体での戦闘力が高いからだ。
だからこそ力というものを重視し、弱みを見せたがらない。そうした事を気にするのはまさに魔王様のお子の所作だろう。
「よいのですよ。死とは怖いものです。俺も怖いです」
「ほんと? あなたこんなに大きいのに?」
「く、フハハ。大きさは関係ありません。怖いものは怖いのです。死とは誰にでもやってくるもので避けられません。俺の父上も母上も、友も死にました。それだけではありません。祖父上様も祖母上様も病で随分前に死にましたし、俺もいずれ死ぬでしょう。俺だけでなく誰しもが一度は死ぬものです。不敬ながらそれに例外はなく、殿下もいずれ……」
「そんな……」と小さな悲鳴が上がる。
だが言っておいてなんだが、この場合イトスギはどうなるんだろう。自分を構成するそれぞれのパーツの名前を知っているあたり生前の記憶があるのだろうか? いつか聞いてみよう。
「しかしそれは肉体の死でしかありません。死後、我々は裁きを受けるのです。神様のお言葉を信じているか、否かで」
星神教の死後の教えを簡単にいえば火葬の煙と共に魂が夜空へと登り、そこで信仰の有無を星々に問われる。
そこで信仰ある者は星々と共に夜空に輝く永遠の生を手にするのに対し、信仰無き者は地の底にあるという炎と硫黄の渦巻く鍋に放り込まれ、永遠の業苦に苛まれる二度目の死を迎えるという。いや、本当はもっと複雑なんだけど、俺が理解している部分はこんな感じなのだ。やっぱりもっと勉強すればよかった。
「ですので魔王様のためにお祈りをしましょう。星々は寛大なお心をお持ちです。殿下が魔王様の分もお祈りをすればきっとそれを聞き届け、星々に魔王様をお加えくださるでしょう。そうなれば第二の生が始まるのです」
「ほんとう? それじゃ予も神様を信じればおとうさまのところに行けるの?」
「えぇ。もちろん。あ、ですが自ら死を選ばれてはなりませんよ。しっかりと生き抜いてこそ主の裁きを受けられるのです。安易に死を選ぶのは星々の教えを軽んじるも同じですからね。それに自らを殺めるのは強さではないのです」
「そうなの……?」
しょぼーんという気配を感じつつ庭を歩いているとちょうどよく東屋を見つけた。
そこで殿下をおろしてベンチに座らせるとひどく目元が腫れていた。
泣くだけ泣いて、不安に思っていることを口に出したことで少し気が晴れたのかな? だと良いな。
「ねぇ、そのかみさまのお話、もっとして」
「ほう。殿下も星々の教えに興味がお有りなのですね」
「うん。予はおとうさまのためにお祈りしたいの。それにはどんなかみさまか知りたいの」
勤勉で良いことだ。
運よくポケットに星書を忍ばせている。もっとも何度も読み込んでいるのですり切れてしまっているので見苦しいものだが……。
「そうですね……。なんのお話からするべきか」
それからしばらく星書を読んでいると殿下は「これはどういう意味?」「それは?」と矢継ぎ早に質問をしてくるので舌を巻いた。
以前、リーベルタースでイトスギを説得した時もそうだが、相変わらず勉強不足だ。帰ったらナイ殿にしっかり教えてもらおう。
「あなたもよく知らないの?」
「お恥ずかしながら星々の教えは難解ですので分からないことだらけです。ですがこの教えについて誰よりも詳しい人に師事しておりますので、帰郷しましたらどういうことなのか聞いておきます」
「おねがいね! せんせいがね、いっぱい勉強しないとりっぱなまおうさまになれないっていうの」
先生? 家庭教師のことか?
だが立派な心がけだ。俺も頑張って勉強しよう。それに名誉職ではあるが、教会から位階をもらったのだからそれに恥じぬ知識を身につけねば。
「ねぇ。かみさまを信じればおとうさまは星々になれるのよね?」
「もちろんです」
「予もかみさまを信じればおとうさまの元へいけるの?」
「その通りです」
「だったら予はかみさまにお祈りをする! それでいつかおとうさまにお会いして、りっぱなまおうさまになったっていうの! そのために予もがんばるからあなたもしっかりかみさまのお話をして」
なんと、なんと眩しいお姿だろう。
俺がこんな小さい頃にこれほどのことを言っていただろうか?
前世の記憶もあって、なおかつ王家に生まれたという意識から順風満帆な未来を描いていた俺は確かに父上からオルク家に恥じぬ教育を施されたが、これほどの意気はなかった。
なんとも自分が恥ずかしいし、こうした真っ直ぐとしたお方こそ、次の魔王様になられるべきではないか?
何よりこれほどの想いをぶつけられて黙っていられるはずがない。
「殿下は立派な魔王様になられることでしょう」
「ほんと? でもおだてられてもよろこんじゃだめ。まんしんしたらいけないっておとうさまが言ってたの」
「ご立派なお心がけです。このカレンデュラ・オークロード・フォン・オルク、殿下に変わらぬ忠誠をお捧げいたします」
それに小さな姫君は「くるしゅうない!」と大輪のような笑顔を咲かせてくれた。
◇
陛下の葬儀が粛々と進み、いよいよ冬の寒さが身にしみるようになったこの時期。
モンスタルスタット王宮の玉座の間と呼ばれる大会議室に参集した諸公が魔王様不在の玉座の前に据えられた円卓に腰掛けていた。
普段は王立議会と呼ばれる有力諸公の名代として派遣された外交官等が魔族国の国政について議論する魔王陛下の補弼機関なのだが、今日の話題は次期魔王位についてとあって各領主の名代ではなく本人が席についている。
「それにしてもオークロード卿がこちらに戻ってきてくれるとはな。嬉しい限りだ」
そして隣の席に座るハピュゼン王国大公であるファルコ・ハーピーロード・フォン・ハピュゼン様がしわがれた声で笑う。
もっとも王立議会とは名ばかりにその決定権は魔族国五大種族から魔王様の属するドラゴニュートを抜いた(魔王様はドラグ大公を兼ねているため)四種族が決めるようなもので、他の少数種族の意見など飾りでしかない。
そうなると王弟であるローゼ殿下を次期魔王に推挙するデモナス王国とそれに続くコボルテンベルク王国対魔王陛下の嫡子であるリーリエ殿下を押すハピュゼン王国とオルク王国という構図が出来上がる。
陣営的には五分だが、魔族国南部最大の領主であるデモナス大公ルドベキア様が王家武術指南役という教育係りをしており、その力は頭一つ抜きんでたものがあった。
俺としてはあの強面のおっさんは体育会系のノリがあって苦手で仕方ない。
「ごほん。議長! すでに諸公が揃っておるのだ。開会の宣言をしてはいかがか?」
その例の体育会系おっさんことルドベキア様が咳払いと共に中々議会の開会を宣言しない神経質そうな顔に片眼鏡をつけたドラゴニュートの老人を睨む。議会長といっても議会の進行役であり、権力は四大種族の方が上なのだ。
「確かに、みなさまお集まりのようですし、時間を引き延ばすこともできますまい。ではこれより魔族国王立議会の開会を宣言いたします。本日の議題は次期魔王様の選定でありますが――」
「お待ちくだされ」
その進行を遮ったファルコ様が周囲を猛禽類のような鋭い瞳で見渡す。
「次期魔王様の選定も大事ではありますが、まずは今は亡き魔王様の喪に服するべき時ではありませんか? オークロード卿はどうお考えで?」
台本通りに「その通りかと」と呟けばルドベキア様が苛立たしげに円卓を叩いた。
「すでに陛下の葬儀は執り行われたのだ。今は次の魔王様を選ぶのが先決では――」
「その発言は前陛下を陥れるものではないかね? オーガロード卿のそれは恐れ多くも陛下がお隠れになられたことを軽んじている!」
ビリビリと殺気が交錯する中、他の諸公は我関せずと空気に徹している。まぁ俺もその一人だけど。
もっともこれから矢面に立たないといけないのがつらい。お腹痛い。早く終わってくれないかな?
そう思いながらポケットから星書を取り出しつつ「議長」と左手をあげる。
「オルク大公閣下。なんでしょう?」
「陛下を偲ぶため、ここに星々へ祈りを捧げたく思います。これはリーベルタース――ひいては世界の各地にて信仰される教えであり、陛下の御心を慰めるお手伝いが出来ればと思います」
「そんな異教の教えで陛下の心が慰められるものか! 陛下は稲妻から我ら諸族を生んだ龍王様の御元に行かれたのだぞ」
「オーガロード卿! 陛下の御心を一家臣たる貴様が邪推するなど不敬だ! 言を撤回せよ!!」
一言喋れば指摘おじさんから猛射を浴びる地獄に思わず天を仰ぎたくなる。
これも台本に定められたことではあるが、俺はただ陛下のためにお祈りしたいだけなのに……。
ちらりと議会の決定権を持つ最後の一人――コボルトロードこと灰色の狼耳に尻尾を生やしたジギタリス・コボルトロード・フォン・コボルテンベルク大公がげんなりとしているのが目に入った。
ルドベキア様の派閥に組みしていたはずだが、我関せずを貫いている。俺も同じ気持ちだよとテレパシーを送っていると議場の扉がバタンと開く。
円卓から延びた視線を一身に集めるのはリーリエ殿下、とその背後に立つナイ殿であった。
「……あれは人間? 何者だ?」
誰かがそう呟くが、面と向かって誰何する者はなく、ただ幼くとも王族の登場に口を慎んで頭を垂れる。
そんな中、緊張した議場に無邪気な声が響く。
「かれん! 予もせんれいをうけたぞ」
「おぉ! それはなんとも目出度きことにございます」
ふぅ。ファルコ様がぐだぐだと揚げ足を取っていたのはリーリエ殿下の洗礼を待つためであった。
あれからファルコ様と協議をしたが、有力諸公のルドベキア様の押すローゼ殿下の即位を阻止する手だては国内には無かった。
そう、国内には――。
「魔族諸公の皆様。このたびは魔王陛下の崩御を教皇猊下に代わり、謹んでお悔やみ申し上げます。それと共に亡き父君のために星々へ厚き信仰を抱くリーリエ殿下の洗礼をお喜びください」
リーリエ殿下の手には分厚い星書が大事そうに抱えられており、ナイ殿は浪々と響く声で議場を黙らせる。
本来オルクスルーエ教会に勤めるナイ殿がどうしてこの場にいるのかと言えば事の発端は一通の手紙からだった。
実はリーリエ殿下から問われた星書のわからない点がどうしても気になり、事の次第を含め詳細に書いた手紙をファルコ様の配下の鳥人族を借りてオルクスルーエに届けてもらい、ナイ殿に早急な回答と求めた。
するとリーリエ殿下の改宗を知ったナイ殿が鳥人族の飛脚を通して教皇庁と連絡を取り合い、星神教徒の王が立つならと教皇庁に手を回してくれたのだ。
「ここに畏くも教皇猊下より次期魔王様への親書をお預かりしており、同時に猊下より魔族の皆様へお読みするよう厳命を受けております。では失礼して『親愛なる主の道を志す小さき魔王様へ。この度の魔王位への即位を喜ばしく思うと共にその深く傷ついた心が一日でも早く癒えることを――』」
「ま、待て!!」
ナイ殿の言葉を遮ったルドベキア様が慌てたように目を泳がせている。
まぁ無理もない。だって次期魔王を教皇猊下が名指ししているのだから。
「な、なんだその手紙は――!? それにその人間は――」
「ルドベキア! ひかえろ! これはきょうこうさまからのおてがみなのだぞ。ナイはこのおてがみをみなの前でよむよう言われているのだ。そうであろう?」
リーリエ殿下の言葉にナイ殿は優しく微笑み(そんな気がした)、頷く。すると殿下は我が意を得たりというように頷き返された。
まぁさすがに幼いとは言え、王族の言葉に反を言える者はなく、ただナイ殿の親書の朗読を謹聴することになった。
「『――では異国より同じ星を見つめております。陛下に星々の恩寵があらんことを。教皇ヨハネス十八世より』以上です」
内容を端的に言えば魔王就任おめでと! お父さんの死は悲しいけど元気出してね。主はいつも君を見てるよ。ばいばい! という感じだ。
これの大事な点はただ一つ。教皇猊下がリーリエ殿下の事を魔王と認定している点にある。
デモナス王国の力が魔族国の中で頭一つ飛び出しているとしても、それは所詮小さなムラの中で一番を気取っているに過ぎない。
それに対しリーベルタースはもとより世界各地で広く信仰される星神教の総本山からの号令を前にしたらデモナスの威光など塵も同然だ。