エピローグ・1
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エルザス公国の領都ピオニブルク。
かつて冒険者の街として栄えたそこは対ガリア星字軍遠征の講和条約によって独立を果たし、ガリア風のピオニブールから名を変えていた。
未だ戦禍の跡が色濃く残るその街の郊外――ピオニブール攻略戦の犠牲者によって再整備を余儀なくされた墓地に人だかりが出来ていた。
その中に公国を統べるハルジオン・エルルフェルスト・フォン・エルザス公爵はいた。
「御気分がすぐれませんか?」
彼女の隣に立つ法服の男がと尋ねてきた。
ハルジオンは眼前に繰り広げられる光景に思わず目をそらしたくなるが、法服の男の有無を言わさぬ圧力に意識とは別に首を横に振る。
「いえ、大丈夫です」
「そうであってくださいよ。異端者である【勇者】の土刑に公爵閣下が動揺されるなど不祥事もいいところです」
法服の男――コーションという司教の視線の先には直径一メートルほど、深さは二メートルもの大穴があけられ、その底に座らされた【勇者】ジャンヌへ周囲が土をかけているところだった。
ジャンヌはコンピエニュの戦いにおいて一人でも多くの民を逃がそうと殿となり、激しい抵抗を見せるもプルーサ王国第五師団に捕らえられたのだ。
その際、オルク王国の将兵からウルクラビュリントを破壊した戦争犯罪者として【勇者】の即時銃殺を求める嘆願が殺到したのだが、オルク王国大公であるカレンデュラの鶴の一声で処刑は中止となった。
彼は奴隷の首輪をつけることで主人に叛逆できなくなるという性質を利用し、【勇者】スキルを封殺した上でその身柄を教皇庁に引き渡し、異端審問にかけられた。
「司教様、ジャンヌは、【勇者】は本当に異端だったのですか? 特に争点であった啓示は――」
「くどいですな。【勇者】の申す啓示とは主の声ではなく、悪魔の囁きか、直感系のスキルによる状況判断を啓示と思いこんだもの。これが教皇庁の最終結論です」
だがジャンヌはそれを認めず、悔悛宣誓書へのサインを拒んだ。
そのため教皇庁は彼女を異端と認定し、星々の御手が届かない土中へ埋めることになった。
(でも本当に十分な審議が行われたのかしら? 確かに主の声である証拠もなかったけど、逆にスキルによるものという証拠もない……。行われたのは結論ありきの審問だけ)
この審問は謂わば出来レースだった。
本来なら異端者であっても弁護人をつける権利があるのだが、ジャンヌにはそれが認められず、判事も親魔族側の者だけで占められていた。
その上、ジャンヌの扱いだ。
本来なら教会の牢に収監し、女性が牢番をするはずが彼女はエルザス公国に駐屯しているオルク王国軍の管理する支塔に幽閉され、牢番も男がしていたという。
奴隷の首輪によって抵抗のできない少女を、それも【勇者】に恨みのあるはずのオークが、だ。誤りが起こらないはずもなく、日に日に【勇者】には傷と衰弱が増していた。
エルザス公爵としてこの審問を傍聴していたハルジオンは彼女がこの不当な扱いを訴えていた事も知っていた。
(これは異端審問の形をしたあのオークの復讐だ)
ジャンヌの幽閉先も、その監視も、選ばれた異端審問官も。全てにオルク王国の息がかかっていた。
そのようなことが出来るのはオルク王国大公しかいない。
そして今日、その復讐が成就したことを彼女は知った。
「異端者め!」
「汚らわしい異端者!」
「さっさと地の底に落ちろ!」
土刑を見物しようと集まった群衆はその穴に埋まろうとする少女が【勇者】と呼ばれていた事を忘れてしまったように罵詈雑言を浴びせかけていた。
そもそもピオニブルク住民は魔族の苛烈な掃討戦によってその人口がピオニブール時代と比べて十分の一以下にまで激減しており、自分達の救援を諦めたガリア王国軍を、自分達を見捨てて逃げ帰った【勇者】を恨んでいた。
そもそもジャンヌがエルザスくんだりまで訪れて審問を受けたのは表向きは脱走を繰り返すので(奴隷の首輪で逃げ出せないはずだが、【勇者】スキルのせいか凄まじい精神力でそうしようとしたらしい)、国外であるエルザスに送致されたのだ。
だが本当は反【勇者】感情が渦巻いているからこそ彼女をエルザスに送りつけてきたのではないか。ハルジオンはそう思えてならかなかった。
また、その道中で破壊の限りを尽くされた彼女の故郷ドンレミ村を見せつけようとしたとも考えられる。
「その上、ジャンヌから全てを奪うなんて、なんて徹底的なのかしら」
今、彼女が必死に守ろうとしていた民衆はタガが外れたように【勇者】を責めたてている。
異端者に落ちたことで【勇者】の地位も名誉も、これまで築いた功績も、民衆の感謝の声も奪い去られた。
それこそ全てを奪われたカレンデュラによる【勇者】への復讐だった。
そこに【勇者】を下すことで権威を高めようとする教皇庁と、異端騒動の罪を【勇者】一人に被せたいガリア王国の思惑も重なり、こうして誰も疑問を呈することなく土刑が執行された。
「おや? もしやですが、万が一にもなのですが、仮にも公爵閣下はこの判決にご不満が?」
ひと昔前の――それこそ奴隷であった頃のハルジオンなら、彼女の主人ならこのような不義を許すことはなかったろう。
だが今の彼女はエルザス公爵なのだ。
独立間もないエルザスは外交、経済、安全保障といった各方面において隣国であるオルク王国の庇護を必要としている。
故にオルク王国の意向を無視するわけにはいかない。
「【勇者】が異端に加担していたことは明白であり、エルザス公国として異端を容認するつもりはありません。ただ異端に落ちたとはいえ、ジャンヌとは友として過ごした日々もありました。せめてあたしの手でも送らせたいのです」
そう言って彼女は土をかける輪にはいると、その底から天を見返すジャンヌと視線が交錯した。
これまで審問においてジャンヌはハルジオンに自分の身の不当な扱いを訴えていたが、彼女はそれを全て黙殺していた。
だが最期を迎えつつあるジャンヌは諦観と共に懇願を口にした。
「ハルジオン様、どうか五芒星を。主の印をお見せください」
ハルジオンは迷ったが、それでもコーション司教に向き直った。
「司教様。修道騎士のもっている五芒星の杖をお貸しください」
「異端者の戯言を真に受ける必要はありません」
「ですが――」
「ふぅ。どうやらご自身のお立場がわからないので? このことはオルク王国にご報告を――」
だがそれを遮るように「報せるなら報せよ」と声が被せられた。
ハルジオンがハッとその声の主を見やるとエルフを思わせる端正な顔つきのオークがやってくるところだった。
「こ、これは公爵夫君閣下。よ、よろしいので?」
「なんならカレンにはこちらから杖の貸出を渋られたと伝えるまでだ。さ、杖を我が妻に貸したまえ」
あなた、とハルジオンは年甲斐もなく胸が高鳴るのを覚えつつ、渋々と渡された星杖を穴にかかげる。
「あぁ! 主よ! 主よ! 天の星々よ――」
そしてジャンヌは短い生涯を終えた。
なお、主の奇跡で脱出したという噂が流れない様にするため、数時間後に亡骸を掘り起こされ、群衆の前にさらされるという恥辱が与えられた。
その後、改めてアンデッド化しない秘術がかけられてからより地中深くに埋葬されるが、その様を見届けたエルザス公爵はカレンデュラの憎しみの深さに震えたという。
◇
ガリア王国王都パリシィ。
終戦から五年の月日が流れ、戦禍の痕跡も消え失せて花の都と蘇った王都の中心であるルブル宮。
その王の寝室にて横たわるディーオチを見舞う者達がいた。
「ちちうえー」
舌足らずな声にディーオチが煩わし気に顔をむけると、焦点のあわぬ先に五歳ほどの子供が映った。
この子は……。そう思っていると子供の金色の髪を優しく撫でるマリアが言った。
「さ、ピエリス。お義父様にご挨拶なさい」
「はい! ごきげん、うるわしゅうございます!」
王家待望の第一王子ピエリスの顔をまじまじと見たディーオチはいつの間にこんな大きくなったのかと目を細め、その顔をよく見ようとした。
そもそもディーオチの目当てはマリアの持つ王家の血とその身体だけで、子供に世継ぎ以上の価値を見出すことはなかった。
その上、先の大戦によって有力諸侯の多くが戦死したことで彼に逆らえる者がいなくなり、その絶対的な王権を振りかざして王国を自分好みに塗り替えることに傾注していた。
「陛下、失礼いたします」
マリアはディーオチの許可もなく彼の布団をまくる。
すると絹で織られた豪奢な寝間着が露わとなるが、同時にサイズのあっていないそれの隙間から青斑の浮かぶ病的に痩せこけた体もさらけ出された。
「阿片のせいね」
瞳孔の縮小による視力の低下と皮膚の青斑は阿片中毒の特徴だ。
ディーオチは王国を意のままに操る力を手に入れたが、政務から心労が消えたわけではない。
度重なる激務から愛飲していたブリタニア渡来のポーションであるローダナムの量は増え、ついには阿片そのものに手を出してしまったのだ。
その結果、呼吸困難と心疾患を患い、押し寄せる多幸感から食事もおろそかになったことで常に床に伏しているようになってしまった(阿片の酩酊感で立ち上がれないというのもあるが)。
「これじゃまともに政務もこなせないでしょうに」
「黙れ」
「三部会からの提言もあって、これからはわたくしが政務を取り仕切るわ」
「朕の王国を簒奪するつもりか!?」
錯乱している。マリアは首を横に振りながらディーオチが王ではなく廃人になっていることを悟った。
こうなれば彼の命も長くはないだろう。
「貴方は私欲を肥やし過ぎた。王国の現状をどれほど理解しているの?」
ガリア王国は星字軍遠征の参加国から莫大な賠償金を科せられた。特に冒険者という犯罪者集団を野放しにした罪で神星魔族帝国からは天文学的な数字を押し付けられていた。
その上、しれっと教皇庁側に寝返ったブリタニア連合王国がどさくさに紛れて外洋交易の拠点であったカレを占領したことでガリア王国の収益は大幅に減じることになった。
「わたくしは父上の遺した王国を必ず再建するわ。この子と共に、ね」
ディーオチは焦点の定まらぬ瞳でピエリスを見つめる。自分やマリアのようなガリア王家の特徴である金色の髪に、そして黒い瞳――。
黒――!?
「ま、マリア!? まさか――ッ!?」
「五年も経ってようやく気がついたの?」
王家に存在しないはずの黒い瞳は、ディーオチにあの異世界人を思い出させた。
それと共にふつふつと沸き起こる怒りにマリアを睨みつけるが、すでに彼はそれ以上の力を喪失してしまっていた。
「安心して。貴方が王権の拡張に邁進してくれたおかげで政敵は少ないもの」
「ま、マリアぁあああッ!!」
それからしばらくして薬物中毒に陥っていたディーオチは息を引き取った。
彼は星字軍遠征という混乱期の中で簒奪者と呼ばれる傍ら、中央集権体制の構築と王権の強化に努めたことによって絶対王政の礎を築いた。
その跡を継いだのは第一王子であるピエリスではなく、遺言によって第二王子であるルイ十四世であった。彼は異母マリアと共に絶対王政が花開いたガリアにおいてイスパニアが発見した新大陸に植民地帝国を建設し、“朕は国家なり”と名言を生むことになる。
また、ピエリスはアウレリアン大公家の始祖となり、王家の傍系として絶対王政を支えていくことにった。
もっともガリアに科せられた莫大な負債は王国に暗い影を落とし、その火種は後に革命という形で燃え上がるが、それは別のお話。
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