第二次ウルクラビュリント奪還・2
優しい朝日に照らされたヌーヴォラビラントの城壁は今、混乱に包まれていた。
鋭い擦過音と共に鉄球が城壁を飛び越え、木造二階建ての家屋に直撃。砲弾は易々と壁を貫通し、その衝撃で家が瞬く間に倒壊する。
聞きなれぬ轟音と家屋の倒壊。その二つが繋がると冒険者の間に恐怖が広がっていった。
「え? なに? なにこれ? 魔法!? あんな遠くから!?」
「わ、わかんねーよ! それより遠距離職! 反撃だ! 反撃しろ!」
「無茶いうな! 五百メートルも離れているんだぞ!? 矢も魔法も届くわけないだろ!」
たちまち冒険者の悲鳴と怒声に混乱が生まれ落ち、右往左往を始める。
それを見たオドルは顔から血の気が失せるのを感じつつ「バカな……」と呟いていた。
「あれは……。もしかして大砲? どうして中世ファンタジーなこの世界にあんなものが――!? まさかオークにも転移者がいるのか……? だとしたらどうして人間の街を攻撃して来る?」
砲声を轟かせ、城壁を破砕せんとするそれは戦場の女神と呼ばれるそれであり、この剣と魔法の世界に不釣り合いなものだ。
それがどうして自分達を攻撃してくる? と思考が止まりかける。だがそれを遮るようにギュッと手を握られた。
「オドル! 今はとにかく逃げましょ!」
「え? でも――」
「あんなに離れた所を攻撃するには複数人の同時詠唱じゃないと無理よ。そんな事が出来るのは魔法騎士団くらいしかいないし、対抗手段がないの!」
金色の髪を埃に汚したマリアの言葉に彼は唇を噛みしめる。
そもそも冒険者をしているマジックキャスターの仕事は剣士や偵察者などの近接戦闘職の援護であり、そのため覚えている魔法の射程は長くて五十メートルくらいしかない。それ以上離れると互いに連携が取れないからだ。
その上、冒険者のような者が五百メートルを越える距離から街を攻撃し、乗っ取り――叛乱を起こさないように同時詠唱の技術は門外不出の秘儀として国家が管理することになっている。
そのため冒険者ギルドによって集められた彼ら守備隊には反撃する手立てが一つもない。
「打つ手なし、か。いや、ハル! お前の矢ならどうだ? 矢に風魔法を付与して射掛ければ届くんじゃ!?」
「届くは届くけど、正確な狙いは無理です! 純粋な弓使いならともかくレンジャーのあたしが使ってる弓は短弓だし、長弓なら届くかもしれないけど、命中させられるかは――」
凄まじい風切り音と共に必殺の運動エネルギーをため込んだ砲弾が城壁の手前に突きささり、バウンドして城壁を揺すぶる。
「うあッ!?」
「ハル!」
衝撃で倒れそうになるハルジオンの手をつかんで抱き寄せるオドル。それにムスっと頬を膨らませるマリアだが、すぐに二人の手を引く。
「このままじゃどうしようもないわ」
「そうだな。でも当たらないことには――」
唸り声を上げた砲弾が三発目にして城壁に直撃する。
先ほどの衝撃とは比べものにならないほどの激震が走り抜けると共に切り出した岩を粘度で固めた城壁が抉り取られ、瓦礫が四散する。その破片の直撃を受けた不運な冒険者が糸の切れた操り人形のようにぐらりと傾いたかと思うと城壁の下へ消えていった。
「おい、おいおいおいッ! ここは剣と魔法のファンタジー世界なだぞ。そんなところに大砲なんて持ち出してくるなよ!」
知識チートも大概にしろ。
そう心の中で叫びつつ、彼はどうしてオークに転移者が協力しているのか不思議でならなかった。
連中は確かに人語を介する脳はあれど顔は醜く、粗暴で人を襲ってくる野蛮な種族だ。そんな連中にどうして――?
そんなことをオドルが考え始めようとするが、すぐに遠のいていた意識が戻って来る。
「そんなことよりみんなの避難か。二人も他の冒険者を一人でも多く城壁から避難させてくれ!」
「わかったわ! でも無茶しないでね」
「そうです。ご主人様もご武運を」
オドルが周囲を見渡し城壁に張り付ついて無駄と分かっても矢を射掛けている男が目についた。その男の肩を掴み避難するよう彼が勧告するが――。
「黙って城壁をわたせるか! 城壁を守るのは戦の基本だろ!」
「でも攻撃手段がないんです。ここは諦めて別の場所で防衛線を作るべきだ」
「だが相手はたかがオークだ。必勝の信念をもって一撃を入れられればあんなやつら逃げ出すに決まっている!!」
そんな精神論で勝てるか、とオドルが怒ろうとした瞬間、これまでとは桁違いの爆音が世界をつつみ、それを突き破るように鉄球達が城壁に襲いかかった。
破砕された礫が次々と冒険者を襲い、悲鳴と断末魔が交差する。
「うわ!?」
足元を揺らす衝撃に思わず目を閉じたオドルが目を開けると周囲には阿鼻叫喚の地獄が広がっていた。
城壁の破片に顎を貫かれ、必死に何かを叫ぶ剣士。城壁から落ちた仲間に声をかけ続けるスカウト。動かない仲間に必死に治癒魔法をかけるマジックキャスター。
テレビの向こうに広がっていた紛争地の映像がここにあった。
「く、みんな! 城壁から降りろ! 城壁から降りるんだ!!」
戦争が遠い国の出来事であった高校生がそんな悪辣を極めた世界で動けたのは偏に冒険者として実戦経験を得ていたからだろう。
オドルは生存者達の肩を叩き、次々と城壁を離れるよう促していく。
その様は理路整然とした撤退などではなく、混迷を極めた敗走の体をしていたのは言うまでもない。
◇
「素晴らしい。実に素晴らしいではないか。えぇ?」
小丘に設置した司令部から出てウルクラビュリントを見下ろせば猿獣人の侵攻で傷ついた城壁の各所から噴煙が漏れ出てより痛々しい限りだ。拍手と笑い声が止まらん。
だが砲弾の運動エネルギーに対して城壁の質量が勝っているのか倒壊までには至らない。
「城壁を壊すにはもっと多くの大砲が――。いや、数よりも大口径砲が複数必要だな。だが大きくすると重くなって運べなくなるか」
ノーム共が運用している試作の八十四ミリ野戦砲の総重量は二九〇キログラムほどにのぼり、四頭の馬が牽引している。
だが土を踏み固めただけの街道では路面状況によって泥濘に砲車の足が取られてしまい、容易に擱座してしまう。そのせいで三門も大砲を放棄せねばならなかった。
もし大砲の重量が増せばより不整地での運用に難が生じる事だろう。
まぁ浪漫を求めて大型戦車を作ったはいいけどその重量のせいで戦場を選ばないといけない某虎戦車に通じるものがあるな。それを教訓にするなら大砲の大型化もすぐ限界がくるはずだ。
「対策を講じるなら路面状況の改善? いや、戦地が国内とは限らぬから整備も限界があるな。むしろ不整地でも運用できる足回りの改良するか、擱座したものを早急に修理させる技術者を育成するほうが現実的か」
「か、閣下! これは――!?」
「ん?」
オーク伯の言葉に振り向けば司令部につめている家臣達が顔に驚愕を浮かべ、噴煙をあげる城壁を見つめている。
まぁあの筒がここまでやれるとは夢にも思っていなかったのだろうな。
「諸侯よ、見たかね? これは五百メートル以遠から敵に圧倒的な火力を投射し、敵をねじ伏せることができる新兵器であるが、驚くな。これはまだ研究途上の試作品でしかない。研究を進めればより遠距離且つ大規模な攻撃を投射することができるようになるだろう。今でこそ我らはガリアの強力な魔法の下に野戦決戦において劣勢を強いられているが、この火力があれば敵マジックキャスターを駆逐することはおろか、戦の帰趨を決定することも不可能ではないと確信を得ている。だがそれには金がかかる。此度の増税は確かに民を苦しめるだろうが、その価値ある増税であると断言しよう」
「さ、さすがです! 閣下!!」「まさに閣下は戦の申し子!」「オークロード閣下万歳!!」と口々に歓喜を口ずさむ家臣達の中でただ一人、グロリオサ・フォン・オーク伯だけは顔色を悪くしていた。
まぁ彼は増税反対の旗頭だったからな。
「オーク伯」
「は、はい。御前に」
「誰しも過ちを犯してしまうものだ。気にすることはない。大切なのは悔い改めることなのだと、俺は思う」
「閣下……! この私にかようなお言葉をおかけくださり、恐悦至極……!」
だが言葉とは裏腹に彼の顔には屈辱が滲んでいる。
すると「なにも皆の前で指摘なさることはあるまいに」「しっ! 聞こえるぞ」「閣下の逆鱗に触れてみろ。それほど恐ろしいものはない」とヒソヒソ声が聞こえてくる。
あれ? おかしいな。オーク伯をフォローしたはずなんだけど……。
でも空気が悪くなってしまったのは確かだ。ここはビシッと空気を入れ換えねば。
「イトスギ! いるな?」
「はいはい」
テントの影からゆらりと土気色の肌をした少女が出て来る。赤い制服を着ているせいで彼女の死相がより際立ち、不気味さが増している。夢に出そうでいやだな。
「隷下の銃兵大隊及びスケルトン銃兵隊に前進攻撃を命じろ」
「もう? 大隊ってたったの一千人でしょ? 正気?」
銃兵として納税滞納者を徴兵した結果。三千を越す人数が集まったが全ての兵力を投入するには練度不足の壁が最後まで立ちはだかり、そのため三分の一の兵力しか連れてきていない。
そのため師団を名乗ってはいるが、内実は一個大隊と諸侯の私兵を合わせた三千しか人員がそろっていない。
「正気だ。早くしないとまた顎を握り潰すぞ」
「わ、わかったよ!」
イトスギはガードするようにほっそりとした顎を手で隠しながら後ずさる。そこには比較的新しい縫合痕が残っており、彼女のトラウマになっているようだ。
「ではこれより銃兵大隊へ攻撃を下命します!」
「うむ!」
イトスギが伝令を呼びつけて命令を伝える。その伝令が去った後、野戦砲の周囲に待機していた赤服の一団の元へ数台の馬車が駆け寄り、荷台から白いなにかがバラバラと吐き出される。
それに数人のオークが近寄り、呪文を唱えればカタカタという音と共にそれが動き出し、骨格標本然としたアンデット――スケルトンを生み出していく。
「なんとか様にはなったか」
「ギリギリ及第点ってとこだけど? 一人で一体操るので手一杯だし、出来る奴で二体がやっとって感じ。私達のいた教団だと普通の人間でも一人で三体とか普通に動かしてたし、彼らをネクロマンサーと呼んで良いものやら」
「手厳しいな。だがよくやった」
イトスギの頭を撫でてやろうとするが、彼女は素早い身のこなしでひょいっと避けられた。やはり顎の一件でトラウマになっているようだ。悪いことをしたな。
「褒美をやろう。何か欲しい物は?」
「欲しいものねぇ……。あ、そろそろ足が弱って来たから取り替えたいかな。出来るだけ新鮮な足が欲しい。色白でほっそりしてて長いやつ」
「なんだ死体が欲しいのか? なら心配するな。死体ならこれからたくさん作ってやる。選り取り見取りだ。好きなのを持って行け。なんなら足とは言わずに気に入ったスペアも持ち帰って良いぞ」
「やった」という小さな言葉に思わず笑みが浮かぶ。こいつも女の子らしい顔が出来るのだな。
それにしても出会った頃は自分の体に思い悩んでいたのに星々の教えに出会って吹っ切れたようだ。
コンプレックスに折り合いをつけるのは簡単なことではないから彼女もかなり思い悩んだことだろう。それが吹っ切れたのは俺も嬉しい。主よ、感謝いたします。
そう思っていると太鼓の音と共に待機していた兵の一部隊が前進を始めた。
三十体ほどのスケルトンが先行する形で二列横隊を組んだ赤い列が永遠と横に広がり、ウルクラビュリントに迫る様はどこかアリの行列を眺めているようだった。
もっとも隊列はまだアリの方が整然としているような有様であり、波打っている。
「まだまだ練兵が足りんな」
「そっちも手厳しいね。でもよく諸侯が一番槍を譲ってくれたね。戦の誉れは一番槍でしょ?」
「ふん。銃兵は城壁を上らないと言ったらすんなり譲られただけだ。手持ちの私兵を失いたくないだけだろう」
太鼓の音と共に悠々と城壁へ接近する銃兵達。
それを援護するように特火兵の砲撃が続く。
が、砲声よりも鋭い爆発音が特火兵陣地より響いた。それを見やれば陣地において火炎が生じ、爆風に吹き飛ばされたノームが蠢いているのが見て取れた。
「どうした? 敵の攻撃か!? 伝令! 様子を見てこい!」
だが伝令を走らせる前に丘をえっちらおっちらと駆け上がってくる一人のノームがいた。
立派な口ひげを煤で汚した彼は這々の体で駆け寄ってくると敬礼もおざなりに「ほ、報告します」とせき込みながら言った。
「どうした?」
「特火大隊第二中隊の七番砲車が、爆発事故を起こしました」
「事故? 敵の攻撃ではないのだな?」
「はい」という言葉に胸をなで下ろす。
そもそも発砲時の内圧に砲身が耐えられずに破裂してしまう事故がこれまでも何度か起こっている。原因としては砲身の耐久力不足や火薬の質等だろうか?
今回投入した八十四ミリ野戦砲は他の試作砲に比べ出来が良く、それを増加試作したものだがまだまだ作りが甘かったようだ。
この部分はトライ・アンド・エラーで正解に近づかねばならないので根気強く改良していくしかない。まーたお金がかかっちゃうな。
「まだまだ研究途上だな。で、他に被害は?」
「爆発に巻き込まれた親方や七番砲車の砲員、それに周囲の連中にも死傷者多数! 隣で操砲していた五番砲車にも被害が出ております。なお爆発に巻き込まれた親方に変わり、特火大隊の指揮は第一中隊長が代行しております」
「そうか……」
胸の前で五芒星を切り、短く彼らの冥福を祈る。するとノームもそれに習い、簡易礼拝を行う。
こうした爆発事故は開発段階から付きまとっており、特火兵がよく無事故の祈願に教会を訪れているとナイ殿が出征前に話していた。
事故は痛ましいが、主への祈りを捧げる者が増えるのは好ましい。
「すぐに負傷者を後送させ、手厚い治療を受けさせろ。他の特火兵は引き続き銃兵を援護させるのだ」
「はい!」
丘を駆け下りていくノームの背中を見やり、ふとイトスギに向き直る。
「死体が出来たぞ。どうだ?」
「自分の部下が死んだのにその話題? 正気を疑うよ」
「俺は正気だ。顎を潰すぞ」
「ひぃ」
俺は例外だが、戦争をする者は正気を逸している者が多いように思う。
もし、ウルクラビュリントに攻め寄せた猿獣人に一片でも正気があれば命乞いをするオークに刃を突き立てたりはしないだろう。勇敢に戦った戦士から心臓――連中は魔石と言っている――をえぐり取らないだろう。あそこまで無慈悲で無思慮な殺戮など起こらなかっただろう。
「猿獣人がオークの街を焼くということは己もまた焼かれる覚悟があってのことだろう。我らが受けた悲しみと怒りの万分の一でも味わうが良い。! 達する 攻撃開始!!」
再び簡易礼拝を行うと同時に太鼓のリズムが変わる。
それと共に横隊で前進していた銃兵が立ち止まり、一斉射撃が城壁へと浴びせられた。