家が燃える
燃えている。俺の部屋が、燃えている。
「なんでこうなんだよ……!!」
三十歳にて無職。ついでに童貞。詰んだと言っても過言ではない人生。奇跡が起きない限り逆転不可能な人生の最後は、火事であった。
「うわ!? あっち! くそ、消えろ、消えろ! 消えろッ!!」
どうしてこんな事に!? そりゃ当たり前だ!
タコ足配線されたタップコードに掃除もしない引きこもりの部屋が組み合わさればそりゃいつか燃え上がるだろうって。
それにしても部屋に転がっていた飲物という飲物をぶちまけたが、使用済みティッシュやせっせと収集したフィギュアの箱を飲み込みだした火の勢いを止める事は出来なかった。
『火事です。火事です――』
「うるせー! 見りゃわかるわッ!」
火災報知器を怒鳴りつけ、ふと先ほどまで戦略シュミュレーションの生実況を垂れ流していたパソコンの画面を見やると今までに見た事もない数のコメント達で賑わっていた。
まじかよ。いつもは二十人くらいしか集まらないのに今は……三百人突破してんじゃん! これを足がかりに今まで投稿してきた動画が注目されて広告収入アップするんじゃね? これで大物投稿者の仲間入り出来るんじゃ――。
『火事です。火事です――』
「ハッ!? そうだった!」
火災報知器によって現実世界に引き戻されると辺り一面火の海に包まれていた。
それにさっきからフィギュアやペットボトルが熱で溶け始めたせいか、異臭が鼻をつくし、頭も痛くなってきた。ダイオキシンをたっぷり吸ってるな。
「くそ、タバコも吸わない健康体だったのに! てか水! 水!!」
足の踏み場も無いほど転がっていた飲みかけのペットボトルももう無くなった。これ、ヤバイ。補給が絶たれた!
その時、救いを求めるように見たパソコンのディスプレイには『神放送してると聞いて』とか『逃げろ』に混じって『聖水をかけるプレイかな……!?』との神コメントが流れていた。
それだ!
ダルダルによれたスウェットに手をかけ、三十年間演習のみに使用していた巨砲を引きだそうとして――。
「いや、逃げるしかねーだろ!」
冷静に考えればもう戦闘コマンドとか選んでいるより『逃げろ』のコメントの通りに撤退すべきだ。
「うぁ! あっちぃ!?」
だが瞬く間に火炎地獄と化した部屋にもう逃げ場は無かった。
ドアの前に放り出されたゴミ箱から赤々とした炎がそそり立ち、何年と開けた事の無かった窓を閉ざすカーテンも派手にファイヤーしている。
どうすんだよこれ! 火に包囲されてんじゃん! 楽天的に動画の再生数とか考えてる間に脱出すれば良かった!
「げほ、げほ……。息が――」
そう言えば火災での死因は火傷じゃなくて煙を吸い込んでの窒息死と聞いた事がある。それに炎が酸素を奪ってそのうち一酸化炭素中毒になるやもしれない。
どうすりゃいいんだ? どうすりゃ――。
まて、まだパソコンがある!
「至急どうすりゃ助かるかコメントくれ! 早く! 早く! 早く!!」
だが流れてくるコメントは炎すげぇとか窓かち割って飛び出せと無責任なものばかりだ。
もうこうなりゃ本当に窓をぶち破るしか無いか? 二階だし、落ちてもきっと大丈夫――。
「って、カーテン燃えてるから無理じゃん!?」
窓際も火に包まれながら燃えているし、部屋の扉も火の手に阻まれて脱出できない。これアカンやつだろ!?
「窓以外! 窓以外で脱出口を――。あ……!」
ついに電源供給が停止したのか、熱に耐えられなかったのかディスプレイがブラックアウトする。
これで外界との繋がりも絶たれた。マジで詰んだ……。
「まじかよ……。神は死んだ」
一気に体から力が抜け、足下から崩れ落ちるも痛みさえ感じない。暑さもどこか遠くに追いやられたようになっている。
死を悟った体が全ての仕事を投げ出したのだろうか。
「最後まで、クソみたいな人生だったな……」
家族には迷惑を掛け通しだ。てか、現在進行形で迷惑をかけている。せっかく親父が買った庭付きの一戸建てだが、火災保険ってどれくらいのお金が入るんだろう。家のローンはもう支払い終わっていたはずだが、それでも建て直すとなればかなりの額が必要だろう。俺にかけられた生命保険も足せばまた建てられるか? てか、生命保険かけられていたっけ? でも、もし俺に生命保険がかけられているのならそれで家を建て直す足しくらいにはなるだろうか。
「もう、どうでもいいや」
いったいどうしてこうなってしまったのか。
仕事もせずに家に引きこもること十年。周りは順調にキャリアを積んでいると言うのに俺は十年前から時が止まったままだ。
何が悪いと言えば十年間、動く事の出来なかった俺が悪い。だがその発端を言えば高卒と同時に入社したあの会社だ。月百五十時間越えの残業が常態化し、休日出勤も当たり前。まるで世間の潮流に反するように意固地なブラック経営をしていたあの会社のせいで俺は身体を壊して入院。そのままクビにされてしまった。
そして、働く事が怖くなった。
転職してもまた駒のように働かされ、使えなくなったら放り出されるのだと思うとどうしても外で働く気にはなれなかった。
それでも世の中に向けて何かをしなければと言う不安が痼りのようにあり続けた。
隠者のように何をするでなく過ごす生活もあこがれでは有ったが、親の手前、そうした暮らしが出来ない事も重々承知していたし、何より社会から取り残されるような恐怖に苛まれていた。
だからこそ何か、自由に出来るものは無いかと十年間足掻いてきた。
ネット小説を投稿して出版社から声がかかるのを待ったし、ペイントソフトを使ってイラストも描いてみた。
もっともどれもこれも芽が出ることはなかったが、それでも何かをしていないと気が狂いそうだった。社会からドロップアウトしたものの、それでも社会の中の一人として何かしたかったから下手と言われ、辞めろと言われても俺は作品を発表し続けた。
その一環として始めた動画投稿も最後の最後で閲覧者が記録的な数を記録してくれたが、よくよく思えば”大物”と呼ばれるような投稿主から比べれば足下にも及ばない数でしかない。
「まさに負け組じゃねーか」
何かで誰かより秀でることもなく、ただ己が凡俗であると知るだけに終わった人生。
人の世は無常と言うが、これは無常すぎるだろ。せめて最後くらい、最後くらい何かで誰かより秀でも良かったじゃないか。
「あぁ、次の人生があるなら……。無駄に送るような、人生は、送りたく、無いな……」
煙を粋すぎたせいか、頭がガンガンとした頭痛に襲われている。
そう言えば、小説……。総合評価一千と五十ポイントの会心の出来の話がこのままじゃ完結出来ないな。エタってしまうのは読者に申し訳無い。
あぁせっかくならあの百三十話くらい書いた小説の主人公のようにエルフの美少女に転生したい。ついでにそこは魔法のある中世風異世界で、流行っている冒険小説よろしくファンタジー転生しないかな。ジョブはエルフらしくアーチャーとか、マジックキャスターとかそういう遠距離職で――。
「ってか、次の人生があるのなら家が燃えるような最期は、いやだなぁ。あぁ。ごめん。父さん、母さん。家を、燃やし――」
視界が黒に染まっていった。
◇
燃えている。また俺の家が、俺達の街が燃えている。
「なんでこうなんだよ……!!」
隠し通路の終点である水車小屋に偽装された出口から這う這うの体で出てみれば轟々と赤に包まれている故郷――城塞都市ウルクラビュリントが目にはいった。
そこから聞こえるのは勝利に歓呼の叫びをあげる人間共の声。
その喜びの声が熱風と共に押し寄せ、喉をひりつかせる。腰に吊った水筒に手を伸ばすが、生憎それはどこかで落として来たらしく見つからない。
仕方なく疲労で岩のように重くなった足を無理矢理動かして水車小屋の傍を流れる川面を覗きこむ。
そこには二メートルに迫る巨躯を血で汚れた革鎧で包む醜い化物が映っていた。
「くそ……。あいつら、俺達がオークだからって好き勝手しやがって……!」
この世界に新しい生を得て二十四年。俺はエルフの美少女でも、人間でもなく、豚のように醜い顔立ちの化け物――オークに転生してしまっていた。
そして今日。人間――冒険者が称するダンジョン攻略という大規模な襲撃をウルクラビュリントは受け、敢闘虚しく落城してしまった。
「くそったれッ!!」
焼けた出されたせいか乾きは耐えがたいほど高まっており、一気に川面に顔を突き出して獣のように水を貪る。
すると緩やかに流れる水流が何かを上流――街から運んできた。
「ん?」
それは無残にも断頭されたオークの死体であった。ぷかぷかと力無く浮かぶそれが顔にぶつかり、少しだけ進路を変えるもそのまま無言で下流へと去っていく。
思い返せば鉄の味がするような口腔に思わず手を入れて水を吐き出そうとするが、その意思に反して体は水を手放そうとはしなかった。
「う、うぇ。うぇ。くそ、どうして……。どうしてなんだよぉ!!」
せっかく転生したのに、どうしてオークなんだよ!
醜い化物だというのに、どうして父上も母上も俺に優しく微笑んでくれるんだよ!
オークだというのに、どうして街のみんなは大公閣下の息子と手を振ってくれるんだよ!
みんな心優しいというのにどうして、どうして俺達の街を焼くんだよ!!
「俺達が心の無い化物であったならこんなに苦しまなかっただろうに!! あぁ! かみさま――!! どうして! どうしてなのですか!? 俺の前世がニートだったからですか!? 母さんの心配を他所に現実逃避をしていたからですか!? 父さんがローンを組んで買った家を燃やしたからですか!? それにしてもあんまりだ! あんまり、だッ!!」
その時、なんの前触れも無く空気を切り裂く鋭い音を尖った耳が感じ取ると共に右肩へドスリと衝撃が走った。
「……はぁ?」
右肩を見やれば、そこには矢が突き刺さっていた。革鎧を着てるけど貫通してんじゃん。
「居た! 町から逃げ出したオークだよ!!」
「よし! 一匹たりとも逃すな! 一匹あたりギルドから金貨三枚もらえるんだからな!」
「安心して。痺れ薬を塗ってあるからもう逃げられはしないよ!!」
明らかに俺を狙っている声が街の方角からやってくる。振り返れば三人組の冒険者が目に入った。
一人は弓矢を構えた翡翠色の髪をした少女。二人目は槍を手に身を低くしながら突っ込んでくる黒髪の少年。そして剣を携えた金髪の少女。総じて前世の俺よりも若い――子供だ。
そんな奴に殺されてたまるかと思うも街からの脱出の際に得物をなくしてしまっている。徒手空拳は一応、父上から手ほどきを受けたが相手に得物がある時点ですでに勝敗は決しているようなものだ。
「くそッ。あ、れ? め、眩暈が――!」
右肩がジンジンと痛んでいたと思いきやすぐに痺れが生まれ、それが全身に回ろうとしている。これが痺れ薬か。
「いくぞ!! はあああッ」
少年が一メートル五十センチもありそうな槍を突き出す。それをなんとか首を傾げてかわすが、少年にとってはその挙動さえ予想の範疇だったらしく即座に駒のようにクルリと身を翻しながら遠心力を乗せた大ぶりな殴打を放つ。
そんな隙だらけの攻撃をしてくる間に距離をつめてカウンター攻撃を放つ。
――つもりだったが、痺れ薬のせいで俺の攻撃が届く前に足元がもつれ、体重に引きずられるように頭をそらした結果、少年の振るった穂先がざっくりと額の上あたりを斬りつけた。少しでも当たり所が悪ければ頭が切断されていたか、殴打による頭蓋骨陥没を引き起こしていただろう。
「くそ……。人間共め、殺してやる! お前等一族ことごとく殺して、や、る――」
それと共に視界が赤く染まったかと思うとぐにゃりと歪み、暗転すると共に体が冷たい流れの中に落ちた。
くそ、父上と母上やみんなの仇を討ちたい。だが、もう、転生はしたくな――。