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姉達のたくらみ

 ああ思った通りだわネ、やっぱり史彦にはこの色が似合う、と僕の肩に振り袖を着せかけながら摩耶子は満足げに笑った。


 僕はといえば、その露草みたいなあざやかな青色に、こんなものを着せられるのかとぞっとした。


 そんな間にも美穪子がぐいぐいと櫛で髪をひっぱっている。本人は梳かしているつもりなのかもしれないが。


 美穪子ねえさま痛いよ、もそっと優しくやっておくれよと控えめに抗議を申し入れても、男の子なんだから我慢なさいで片づけられてしまった。


 男の子だということがわかってるなら、その頭にかもじとレエスのリボンを付けようなどという試みは諦めてくれないものか。


 両方の耳のそばでふたりのさえずりがきんきん響く。それにしてもフミ坊の髪は癖っ毛だわネ、伸ばせばきっとコテが無くとも縦巻きになってよ、いまのうちに伸ばしてみたら何うかしら、それはいい考えだことね、こんなことが出来るのも髭の生えてこないうちですもの。……めまいがする。


 すると、ぼんやりしてないで頂戴、と肩を小突かれた。


 この人ですからネと摩耶子が鏡の前に置いた写真の中では、舶来ものとおぼしき背広を着こなしたスラリと姿のいい好青年がいた。


 アラ男前に写ってること。美穪子がずいと身を乗り出して覗き込んだ。でもちょっと写真が古すぎやしなくて。……このとき僕の脳裏に鮮やかな緋色が通り過ぎていった。緋毛氈だ。庭にいいかげんに敷かれた緋毛氈に桜の花びらが散っている。僕は何を思いだしかけているのだろう。


 が、そのとき摩耶子が取り出したおしろいの、うんざりするような甘ったるい匂いに気をとられ、追憶は形にならないうちウヤムヤになってしまった。そしてそれをあとからイヤというほど悔やむこととなった。


 今回は時間がなくて、と僕の頬に熱心におしろいをはたきこむ摩耶子。なんでも、これは五年くらい前の肖像なのだそうだ。しかも現在では髭をたくわえているそうだ。それじゃ顔なんて判別できないかもしれないじゃないか。


 鏡ごしに睨む僕の視線を避けつつ、摩耶子は言い訳がましく付け加えた。でもマア大丈夫、今日の集まりに六尺ゆたかとまではいかないまでも八寸九寸はある殿方というのはめずらしいと思うから、史彦でも見分けられると思うわョ、おお悔し、膚が若いとお粉ののりがぜんぜん違うのネエ。


 摩耶子は繰り返して僕に言ってきかせた。いっとう望むのは、この男があの猫目石を身につけているかどうか、視ること。もしも出来なければ、せめて現在の住処を聞き出すこと……。


 人を騙すような真似は気がひける。ましてや相手が、いい人そうに見える時は。写真の中から真っ直ぐな視線をこちらに向けている青年は、如何にも明朗闊達といったふうで……


 本当にこんな人が、鷹山伯爵家の椿のごとき瞳子姫を言葉巧みに唆し、家宝の指輪を持ち出させるような真似をしたのだろうか。


 そう口にすると、摩耶子はやれやれと首をふって、お前は人間の顔と中身は別物だということを学ばなけれや、とのたまった。


 いや、何はなくともそれだけは充分に学んでいるはずだとは、言いたかったが言えなかった。


 まさにそのとき美穪子が唇に紅を塗りたくっていたからだ。僕の唇はばあやが床の間に活けた緋牡丹の花弁と同じ色になった。紅というのは随分とべたべたするものだ。舐めてみると不味かった。


 本日の僕の偽の名前、偽の身分などを幾度も暗唱させた末に、摩耶子はどうもあんたは抜けたところがあるから心配だわ、などと大仰なため息をついた。


 そう思うならねえさまのどちらかが行けばとせめてもの反論を試みた。ふん、と僕の意見は鼻息で吹き飛ばされた。


 ばかおっしゃいな、純情可憐な何もわからなそうな小娘だから油断していろいろ喋ってくれるんじゃなくて、あたくしたちみたいな窈窕たる美女が近づいてご覧なさいな、いかにも何ぞ仔細ありげで警戒されるに決まってるじゃないの。

 窈窕たる、だと。自分で言ってやがら。げんなりとうなだれた僕の顎を、ちょっとこっち向いて頂戴なと美穪子が強引に引き寄せた。


 その手に握られていたのが剃刀だったので、ひっと息を飲んでのけぞった。アラ嫌だ弱虫だことォ、ちょっと眉毛を整えるだけよぅ、美穪子は歌うように言った。


 魂消た僕は大声でわめいた。冗談じゃないやめてくれ、と。


 その途端、後頭部に容赦ない衝撃を感じた。女の子らしい言葉遣いを心掛けなさいと言ったでしょっ。摩耶子は声より手が早い。


 でっ、でも摩耶子ねえさま……僕は懇願の目で長姉を見上げた。怒声を察知するとついご機嫌伺いの姿勢になってしまうのが我ながら情けない。眉毛なんか剃られたら、僕学校行けないよ。


 摩耶子は顔色ひとつ変えず、眉毛なぞすぐ生えると言い切った。行けないよじゃなくて行けないわでしょ、と付け加えることも忘れなかった。


 ………。


 おとなしく瞼を閉じて刃物の当たる感触を受け入れつつ、僕は膝頭を掴んでこみあげる無力感に耐えた。


 もはや怒りですらない。怒ることが出来るのは、その理不尽が日常化していないからだ。いったい何と言い返せば、いや無駄、聞く耳などない、事分けた理屈も通じない、なぜならば相手は、女だ。


 美女なんか身内に持つもんじゃない。すくなくとも姉にはいないほうがいい。


 両人ともに世間では小町娘で通ってるが。成る程姿だけなら孔雀さぼてんと月下美人だが。


 遊びに来る級友たちなど、ごゆっくり、なんてにっこりされてマタタビくらった猫みたいにふにゃふにゃになってやがるが。


 くれぐれも用心すべし、女の笑顔と、長い髪。


 その内側を見せつけられて育ったがために、ミモレの袴にお下げ髪の似合う菫か蓮花のごとき女学生を見かけても、きっと中身は鬼薊……なんて考えるようになってしまった哀れな少年をどうしてくれる。


 着付けするからお立ちと命じる威丈高な声に、無駄とは知りつつ、言ってみた。ねえ、こんな格好をさせられるのは、鷹山伯爵の猫目石を探すためだよね。


 帯揚げはどれにしよう帯締めはどれがと楽しげに箪笥を覗き込んでいたふたりは、同時にくるりとこちらを向いた。


 なにをいまさら、とその顔に書いてあったので、重ねて言った。


 ねえさまたちの愉しみのためじゃないよね。


 答えが返ってくるまでに、やや、間があった。ふたりの目が、揃って三日月のかたちに細められた。


 そんなところは、年子のくせに気味が悪いくらいうりふたつだ。ええ、そうよ、もちろんですとも。


 奇妙に調子の揃った猫なで声。


 僕は反駁すべく吸い込んだ息を、すべてため息に変えてしまった。末っ子長男、という言葉がわざわざあるからには、古今東西いたんだろう、少なからず、こういうだめ男が。


 どこらへんがだめ男なのかというと、骨の髄まで徹底して刷り込みされているところだ。女には決して勝てないのだと。


某小説学校の課題として書いたもの。

お題は、「会話文」でした。三人の人物が会話をしている場面、400字詰め5~7枚程度、間接話法(「」を使わない)で書く、「~と言った」は極力避ける、というようなシバリがありました。(まだあったけど)

ちなみに評価はAでした。(C→A。最高はA+)

続き、考えてません。(すんません!)

たぶん長編になると思うので、面倒で…

いま、難しい本を読むと眠ってしまう病で(いやマジで)普通の読書はそこそこできるようになったもんの、学術書が読めないので時代考証がキビシイ。

そのうちコソッとタイトルが変わっていたら、「ああ続きができたんだな」と思ってください。


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