癒やし手
教祖が朝食を終えて祈祷の間に入った直後、扉を蹴り飛ばして、五分刈り頭で作業服姿の大柄な中年男が土足で入ってきた。その背には見覚えのある女が乗っている。彼の信者だ。中年男は荒々しい声で叫んだ。
「インチキ教祖はいるか!」
男は広間の奥にいる教祖を発見すると、大股で歩み寄った。幹部達が制止しようとしたが、男が出刃包丁を持っているのを見ると、恐れをなして逃げていった。一人取り残された教祖は男に襟首を締め上げられる。
「今朝、てめえの教団の車に女房がはねられて脚の骨を折った!お布施だ寄付だと散々搾り取っておいてこんな真似しやがって!」
「ま、待ってくれ、幾ら欲しいんだ?」
「金じゃねえ!てめえ、病気や怪我を治せるんだろう?今すぐ女房を治せ!前々から胡散臭いと思っていたが、癒やしの力ってやつをここで証明して見せろ!」
教祖はへたり込んだ。男は女房を丁寧な手付きで床に横たえると包丁を教祖に突きつけて、凄まじい形相で睨み付けた。
男の怒りは本物で、このままでは刺されかねない。上下のジャージを着た女は右腿を骨折しているらしく、その部分を押さえながら両目を閉じて苦悶のうなり声を上げている。
インチキなんかじゃない……。教団を創った頃は本当に何でも癒す事が出来たんだ。でも、有名になって信者が増えて、大金が入る様になると、その力は消えてしまった……。それからはサクラを用意したり、闇医者から手に入れた高価な薬を信者に使ってごまかしてきた。
この男が怒るのも無理はない。いつの間にか私はただの詐欺師になってしまった。
もう一度、初心に戻るんだ。目の前にいるこの女は、本当に苦しんでいる。この人を助けるんだ。
教祖は覚悟を決めて、女の傍らに膝をつくと、その脚に手をかざし始めた。やがてその顔に滝のような汗が流れる。教祖の鬼気迫る表情に男も引き付けられ、一瞬すがる様な表情を見せた。静かだが熱い時間が流れていった。
「治った……」
長い祈りの末に、教祖が会心の笑みを浮かべる。それを見た男は釣られて笑い声を上げながら自分の女房の脚に触れた。
女は苦悶の表情で呻き声を上げた。男の笑顔はかき消えて、再び怒号を発した。
「てめえ、やっぱり!」
「そんな、確かに手ごたえがあったんだ!」
男が教祖に襲い掛かろうとした瞬間、彼らの足元から突如としてまばゆい光が溢れ出した。光はその場を包み込み、直後に轟音と暴風が全てを吹き飛ばした。
その日、某新興宗教の本部が大爆発で焼失した。戦時中に米軍が投下し、地中に埋没した500キロ爆弾の不発弾が原因であったが、現場付近では大きな地震も工事も無く、通常、振動が引き金となって作動する信管が何故、七十数年も経て息を吹き返したのかは不明である。