魔王を倒したら魔法少女の幕開けでした
「よく来たな勇者よ。待っていたぞ」
私が最後の扉を「えい!」と吹き飛ばすと、部屋の奥に魔王が鎮座していた。
入った瞬間から感じる魔王の魔力。彼の実力はそのレベルであるということだ。
「あなたが魔王?」
「いかにも。私が魔王だ」
よし、こいつを倒せば全てが終わる。やっと帰れる。
「まさかと思うが、勇者よ。お前は一人で我に挑むのか?」
「そうよ。仲間はいない」
「いても邪魔なだけだし」と付け足す。
最初は「仲間! これで前衛にでなくてもいい!」なんて喜んでいたが、徐々に「こいつら使えないんじゃね?」と感じ始め、少しずつ私も前衛に参加。魔法使いなのに。
そして気がつけば、前衛:魔法使い(私)、後衛:剣士、武闘家、賢者とかいうわけの分からない構図が完成。
途中からほとんど私が殲滅してたし一人のほうが宿代とかも安いから、結局そこら辺の町で別れ今ではこの通りぼっちである。
私の返答を聞いた魔王は急に「フハハハハ!」と笑い始める。どうでもいいけどこの魔王、めっちゃ渋くていい声してるな。
「この魔王も舐められたものだ。人間1人で我に挑むだと? たかが人間ごときが偶然ここに辿り着けたからと調子に――」
「あ、そういうのいらないんで。さっさと始めよ。前口上とか無しでお願いします」
「ほう。ずいぶんと自信があるようじゃないか」
魔王は目を細めると玉座から立ち上がり、私の方へと禍々しい杖を向けた。
いよいよ戦いの火蓋が切って落とされる――と思ったのだが、魔王は更に話しかけてくる。しつこい。
「随分と早くここへ辿り着いたではないか。四天王はどうした?」
四天王? 言われてみればなんかそんなのが居た気がする。
骸骨っぽいのと素早そうな狼、いかにも魔法を使う感じの陰険そうな老婆。
あと、他3人とは別格そうな雰囲気を持つ騎士だったけ?
「わざわざ説明がいりますか?」
「まさかやられたのか!? それは惜しい奴らをなくしたな……」
なんかしょんぼりし始める魔王。
微妙にやりにくいんですけど。まぁ、でも相手は魔物だし気にすることはないよね。
「そろそろ始めよ? こっちとしては一刻も早く帰りたいんで」
「勇者よ、随分と強気だな。そんなに死にたいのなら今すぐに滅してくれよう!」
その瞬間、魔王の杖が不気味に光り、黒い雷撃が私をめがけて迸る。
私は必要最小限の魔力でそれを防ぎ、お返しに膨大な量の魔力を練り始める。
威力からしてさっきの雷撃は小手調べといったところかな?
私としてはそんなのに付き合ってやるほど暇ではない。究極魔法でさっさと終わらせよう。
私が魔力を練るスピードは常人よりも遥かに速い。しかし、究極魔法はその威力と引き換えに、必要とする魔力が桁違いに多く、練りあげるのに私でも時間がかかってしまう。
私が膨大な量の魔力を練っているのに気づいたのか、魔王も魔力を練り始めた。
「ほう、凄い魔力量だな。まさか人間ごときがそんな量の魔力を扱えるとは思わなかったよ。確かにその魔法なら私も危ういかもしれん」
「褒めても何も出ないよ?」
「しかしそれでは隙がでかすぎるな。さらばだ勇者よ!」
魔王から放たれた魔法はまさしく刃だった。黒く、まっすぐ横に伸びた刃。
本来、魔法を使う上で「魔力を練る」という行為は必要とされない。しかし、攻撃魔法や防御魔法、特殊な魔法については魔力を練ることでその威力を増強することができる。
魔王の放った刃は素晴らしいものだった。
魔力の質、練りこまれた魔力の量、そして魔力を練るスピード。どれをとっても一級品だ。そんじょそこらの魔物では比較にならない。さすが魔王というだけはあるというもの。
国王さん、魔王が怠慢でよかったね。魔王が自ら前線で戦っていたらとっくに王都は占拠されてたと思うよ。
迫り来る黒くて禍々しい魔法の刃。
それは両手を挙げて魔力を練っている私の腹部へと直撃する。
その瞬間「フハハハハ!」と高笑いをする魔王。
しかし、すぐにそれは唖然とした表情に変わった。
「勇者よ! いったい何をした!?」
魔王が驚くのも無理は無い。魔王が放った刃が私の身体に触れた瞬間、綺麗さっぱり消滅したのだ。本当は「分解された」って言うのが正しいけど。
「あのね、わざわざこんな欠点残しとくと思う? 誰がどっから見たって隙が大きすぎるじゃん。誰かが守ってくれるならまだしも私は1人だし」
魔力を練るのに時間がかかる。それが究極魔法の欠点だ。
本来ならば隙だらけの魔法使いを前衛が命に変えてでも護り抜く。
しかし、私は一人ぼっちのパーティだ。護ってくれる前衛など居ない。かと言って個人的に魔力の練りやすい、両手を挙げるポーズを変えるわけにもいかないので、仕方なく「近づく魔法を自動で分解する防衛魔法」を別に発動させている。
ちなみにこれは私のオリジナル魔法だ。
「そんな、ありえない! たかが人間ごときがその膨大な量の魔法を制御しながら自分を護る? ふざけるな!」
「ふざけてなんてないよ? これが事実」
「貴様、本当に人間か!? さては我に歯向かう魔族では無いのか!」
「失礼ね。れっきとした人間よ」
「『異世界の』だけど」と心のなかで付け足す。
異世界召喚、それが私の身に起きたのは約一年前のことだった。
学校からの帰宅途中、友人と別れたその直後、突然身体が光に包まれ気を失った。
そして目覚めて見れば泉の前。そこから現れた精霊さんに「魔王を倒して欲しいから召喚しちゃった☆」なんて軽く言われ、「平穏な日々を送る」をモットーとする私はしっかりNO! を突き付けてやった。
その後、魔王が倒されないと元の世界が戻れないことが発覚し、勇者が現れるのを待つ平和な日々。異世界のんびりライフ最高。
しかし、平穏な日々を送るにしても自衛能力は必要だと村長に言われて魔法を習うことに。そして気がついたら「これは勇者の素質があるぞ!」と先生から大絶賛され、その噂が瞬く間に国を駆け巡り、人生初の王様との面会。魔王を倒す使命を授かった。さよなら私のスローライフ。
そこから一年近くの冒険を経て、伝説の杖だの究極魔法だの授かり、ついに魔王城まで来たってわけ。この一年は本当に辛かった。修行修行に次ぐ修行。死にたくないから必死に頑張ったら師匠たち(各地にいる)に次々と教えこまされ、今では近接だろうが遠距離だろうが全て魔法で太刀打ちできる。たぶん全人類で一番強いんじゃないかな? 女子高生なのに。
そんな悲しき回想をしていると、九割くらいの魔力が練り終わった。
魔王は何やら魔法をパスパス放った後、私の対魔法防衛魔法を認めたのか、物理攻撃に変更。しかしそれも勿論対策済みの私に、指の一本すら触れられずにいる。
「そんなバカな! たかが人間ごときが! この魔法は四天王すら一撃で葬り去れるのだぞ!」
また魔法攻撃に切り替えたようだが、全くの無駄。
だいたい四天王なんてほとんど覚えていない。
骸骨みたいな奴が「よくきたな。俺は四天王の1人◯◯だ(名前覚えてない)! まぁ他の四天王を見る前にお前は死ぬがな」みたいなことをダラダラ言ってきたのは記憶にある。
一人ひとり前口上を聞くのがめんどくさいから骸骨さんに「誰が一番強いか気になるから呼んできてくれない? え、聞かれるの怖いの? もしかして自信無いわけ?」とか煽って全員集めてもらい、まとめて一掃した。
今覚えば少し悪いことしたかも。
「ねぇ魔王。1つ聞いていい?」
「なんだ!」
魔王はかなり苛ついてるようだ。
でもこっちはずっと魔力練ってて暇だし、少し話し相手してもらおう。お話し好きみたいだし。
「どうして人間の領地を侵略するの?」
そう聞くと魔王は一瞬呆け、また高笑いを始めた。地味に低めのイケボで。本当にいい声だなこの魔王。
「そんなの決まっているだろう。我が男だからだ。魔王であるという以前に我は男なのだ! 世界を目指さずに何が男か!」
いわゆる男のロマンってやつだろうか。
わからなくはない。確かに女の私にはわからないそういうロマンがあるのかもしれない。
でも。けれど。
たかがそんなもので私の『平穏』は崩されたのだ。
プツンと何かが切れる音がした。私は魔王にニッコリとした笑顔で話しかける。
「ねぇ魔王。質問に答えてくれたお返しに一つだけいいことを教えてあげる」
「な、なんだ?」
私はこんなにも笑顔で話しかけているにも関わらず、なにやら魔王は怯えている様子だ。なんだか楽しくなってきた。
「魔力っていうのはね、思っているよりもずっと繊細に制御できるものなんだよ。だからね、もし上手にコントロールできれば例えどんなに魔力量が多くても、決して身体から魔力が漏れ出すなんてことはないんだよ。私以外にできる人を見たことはないけどね」
「つ、つまりお前は何が言いたいんだ!?」
「そう、つまりね――」
私はここで一旦言葉を切る。究極魔法が完成したのだ。
魔王もそれに気づいたのか周りに防御魔法を多重に展開させている。
私は気にせず最期の言葉を紡ぐ。さよなら魔王さん。
「つまり、私がこの部屋に入った時点で勝敗はわかりきっていたことなんだよ」
そして私は究極魔法を発動させる。
魔王はなにやらひどく怯えた様子だったが、私は人生で一番の笑顔だったと思う。
これで元の世界へ帰れるのだ。平穏な生活ばんざい!
魔王の最期は呆気なかった。展開していた数十にもなる防御魔法は一秒として彼の身体を護ることなく消滅。たぶん断末魔のようなものをあげていたと思うけど私の耳に届くことは無かった。魔王城が吹っ飛ぶ音にかき消されたのである。
こうして私と魔王の戦いは思ったより早く幕が下りた。
「……もしかしてやり過ぎちゃったかな?」
終わってみればそこは焼け野原……と言うにも酷い世界が広がっていた。魔王城を中心にかなりの範囲の大地が抉れていた。雨でも降れば湖になりそうだ。
究極魔法――それはこの世界で神話として語られるほどの魔法だ。その絶大な威力と引き換えに使用者には二回の死が訪れる。まず、必要とされる魔力量がバカみたいに多い。聖女クラスでなければ生命力を足したとしても足りないほどの魔力量だ。たいていは発動する前に生命力を吸われきって死ぬ。二回目は発動直後。究極魔法は広範囲をまとめて滅する。即ち使用者の身体すらも飲み込む。だから仮に生命力が残っていたとしてもどのみち死に至るのである。
ちなみに私はこれで一度死にかけた。
師匠から「お前なら使えるかもしれねぇな。一回やってみようぜ! なっ! 一回だけでいいから!」と軽い気持ちで強要され、仕方なしに発動してみればなんと自分をも巻き込む自爆技。必死に自分の周りに防御魔法を展開し身を護りきったのはいいものの、魔力不足に陥り丸一日気絶した。目覚めたら森がまるまる消滅していたのはいい思い出だ。
師匠曰く「これじゃあ使いこなせてるとは言えねぇなぁ」だそうで、そこから修行に修行また修行。今ではそのアレンジ版(威力を三倍くらいにした)を二発は撃てる体となった。三発撃ったら気絶する。たぶん。
目を凝らして遠くを見ても、究極魔法の影響がどこまで届いているかわからない。
魔王討伐隊(魔王に勝てるとは思えないけど)の人たちが巻き込まれてなければいいけど。
そんなことを考えていたら、突如地面から精霊が現れた。
私を拉致った張本人だ。この精霊あの泉から出られるんだね。
「勇者よ、どうやら魔王を倒したようですねっ!」
「まぁね」
「よくやってくれました! ありがとねっ☆」
精霊がパチパチとウインクをしてくる。久々に見てもやっぱりうざい。
「これで私は元の世界に戻れるってことだよね?」
「はい、そうです。良かったですね!」
「良かったですね」ってそんな。……そういえば精霊にも究極魔法って効くのかな?
「で、いつ帰れるの?」
「いつでも帰れますよ。でも今帰っちゃうと富とか名声とか貰えなくて少しもったいないと思うよ☆」
「いや、そういうのは要らないんで」
「そうですかー」と少しテンションの下がる精霊。
私が求めているものは富でも名声でも権力でもない。元の世界での平穏な日々だ。
「では今すぐ帰りますか?」
「うん。できるだけ早くして欲しいかな」
「そうですか。では今から向こうの世界へお返ししますね」
そう言った直後、精霊の周りに大きな魔方陣が描かれる。
今ならわかるけど凄い魔力量だ。これで究極魔法が何回撃てんだろう?
「貴方のおかげでこの世界は救われました。本当にありがとうございます」
そう言うと彼女は私の首に蒼い魔石のついたペンダントをかける。
見たことのない魔石だ。元の世界のものではないけれど、こっちの世界でも見たことがない。
「これは何ですか?」
「貴方の世界にはこちらの物を持ち込むことはできません。しかし、それではあまりに寂しいでしょう? これはせめてものお土産です。貴方が困ったときに力を貸してくれるでしょう」
要するに精霊の加護のついたお守りってところかな?
予想はしていたけどこっちの世界のものは持って帰れないらしい。そう考えるとこれはいい記念になるだろう。
……それにしてもいきなり口調が変わったな、この精霊。最初からこれくらい丁寧だったら困らなかったのに。
そんなことを考えていると、身体中が光に包まれ、視界が歪み始める。
どうやら準備が整ったようだ。
「それでは向こうの世界へお送りします。あちらの世界でも貴方に神の祝福があらんことを」
え? 神? 今神って言った? もしかしてこの精霊って……
こうして私は無事、元の世界へと帰還を果たしたのである。
目覚めるとそこにはコンクリート製の天井があった。
うわ、コンクリートとか凄く久しぶりな気がする。
身体を起こすとそこは見知らぬ建物の中。一瞬まだ異世界なのかと思ったけど、精霊とか妖精の声が全く聞こえない。
建物の構造からして元の世界だと思うんだけど、なにか確かめる術はないかな? と思い、ポケットに手を入れて気付く。セーラー服だ! しかも私の高校のやつ。
私はポケットからスマホを引っ張りだすと、スマホの挙動を確認する。異世界では精霊さんに便利なデバイスに改造されたからちょっと不安だったけど元に戻っているようだ。電波も入ってるし日付もちゃんと表示されている。ちなみに日付は転生した日のままだった。ってことは……
「帰ってきたぞー! ただいま私の平穏な日々!」
私はそう叫ぶとぴょんぴょん跳ねる。近くに人がいたら変人だと思われけど、別にいいよね。異世界よりマシだし。
その時ふと私は思った。魔法はどうなったのだろうと。
私は恐る恐る確認する。ここで「魔力が残ってました!」なんて事になったら一大事だ。絶対に面倒事に巻き込まれる。
今のところ体内に魔力の流れは感じられない。まるで普通の女子高生。
しかしまだ油断はできない。とりあえず初歩魔法を試してみよう。
私は指先に小さな炎を発生させる魔法を試す。あっちの世界はライトとか無かったから地味に重宝したんだよね、この魔法。
私は指先に神経を集中させるが一向に炎が出る気配はない。どうやら完全に魔力を失ったらしい。
良かった。これで今まで通りの生活が送れる!
私は軽く伸びをしてこれからのことを考える。とりあえずここがどこかを調べよう。スマホが使えるしGPSで一発だろう。もしここが家から離れていようが特に心配はない。異世界よりは遥かに近いのだから。
そんな呑気なことを考えながらGPSを起動してみる。なんか元の世界って感じ。電気とか無かったからね、異世界。
その瞬間――
女の叫び声があたりに響いた。耳をつんざくような悲鳴。絹を裂くような悲鳴とはこのことかもしれない。
えっ? 何事? 悲鳴?
私は不思議と冷静だった。いや,不思議でもないか。あれだけの冒険をしてれば多少はね? 悲鳴なんて日常茶飯事だったし……なんかあまり嬉しくないことに慣れた気がするぞ。
ただ絶対に面倒事だしあまり関わりたくはないなあっていうのが本心だった。でも流石に無視はできないよね。本当に、心から関わりたくないけど。
私はとりあえず悲鳴のあった方へ駆け出す。
そして気づいた。異様に身体が重たい。
この世界で魔法が使えないのと同様、どうやら身体能力も戻っているようだ。
これはこれでありがたいんだけど、なんか少しさびしい。あんなに鍛えたのになぁ。
少しがっかりしながらも私は全力で駆ける。悲鳴の発生源はだいたい予測できていた。こういう経験からくるような感覚は失われていない。ちょっとだけありがたい。
そして目的地にたどり着くとそこには――
「さぁおとなしくするカニよ!」
「嫌ぁ! 誰か助けてっ!!」
カニがOLを襲っていた。いや正確にはカニの姿をした変人? 怪人? みたいなやつだ。首から下は人型で、体全体が赤い甲羅っぽいもので覆われている。そいてその上はでかいタラバガニみたいなやつがそのままくっついてる感じ。できれば見て見ぬふりしたいくらいのやつ。
あんまり関わりたくないけど止めきゃだよね……OLさんショートヘア振り乱して顔真っ白にしながら叫んでるし。
「あのー、何をやっておられるんですか? 何かの撮影? 魚介戦隊カニレンジャーとか?」
「カニ!?」
私が声を掛けるとカニっぽいのが反応する。
あ、よく見ると手は普通に人っぽい。指も五本ありそう。
「お前は何者カニ? 邪魔するカニか!?」
「私は見ての通り普通の女子高生です。邪魔するにもなにも何しているのか全くわからないんですが……」
「何をしているかだと? ……しているかカニか? ならば教えてやるカニよ!」
カニはそう言うとOLさんから手を放し、誇らしげに右腕で胸をポンと叩く。言い直すくらいなら無理に語尾つけなきゃいいのに。
OLさんはそのままへたり込むと、恐怖で身体が動かないのか、はたまた腰を抜かしたのか、少しずつジリジリとカニから逃げている。
がんばれOLさん!
「俺は悪の組織『魚介クラブ』の下っ端その1『一刀両断恐怖のハサミ! ザ・カニー』様よ!」
そういうとカニーは「カニカニカニカニ!」と笑い始める。魔王と違って軽い声だ。なんか裏声みたいな感じ。
とにかくよくわからないけど、面倒くさい奴だってことはわかった。自分から悪の組織だの下っ端だの言ってるし、そもそもどこにハサミがあるというのだ。……よく見ると顔のタラバガニに小さなハサミが二つ付いてるがまさかあれではないよね?
「よくわかりませんがどうしてOLさんを狙うんですか!」
「カニー? そんなことも分からないカニか?」
「えぇ、全く」
「しょうが無いカニね……」
そう言うとカニーはゆっくりと逃げていたOLさんを捕まえると自分の元へと抱き寄せた。
あーせっかく頑張って逃げてたのに。
「悪の組織の第一歩としてまずは人さらいから始めたカニよ!」
「……は?」
「こうやって徐々に悪いことをしていき、やがては世界を欲しいままにする。それこそ男のロマン! ……カニよ!」
カニはドヤ顔で胸を張る。いや、カニがドヤ顔かどうかなんてわからないけど。
だいたい言いたいことはわかった。世界征服に向けてまず人さらいを始めたってことね。うん。だいたいわかった。男のロマンね、男のロマン。
「また男のロマンか! そんなもので私の『平穏な日々』を乱すなっ!」
「カニっ!?」
「どいつもこいつもロマンロマンロマン……ふふふ、そんなに男のロマンが大事ですか? 静かに平和にのんびりと暮らしたいという私の小さな望みを壊すほどに?」
「な、なんか目が怖いカニよ? や、やるカニか? いくら女子高生でも手加減はし、しないカニよ?」
「ふふふふふ……」
私の中で何かが外れる音がした。
もう我慢の限界だ。せっかく帰ってきたのにこんな変な奴にまた「平穏」を壊される? いいかげんにしなさいよ!
その時、突如私のペンダントが蒼く光り始めた。まばゆくて目が開けてられないほど強い光。とにかく眩しい。
「へ?」
「な、なにカニか!?」
すると突然私の身体は光りに包まれてゆく。まるで私に覆いかぶさるように光が広がっていく。
そして気が付くと私は光の中にいた。
光の中というのも変な話なのだが、確かに光に包まれた空間の中に私はいるのだ。不思議と光の中は眩しくない。
「なに……これ?」
全身が何か暖かなものに覆われていく感覚。なんだろうこのムズムズとしたこそばゆいような感じは。
その直後、私のセーラ服が消失した。否、それだけではない。下着の類も光の粒として消えていくのである。
え!? ちょ、ちょ、ちょっとー!?
私が騒ぐのにも関わらず、衣服がどんどん消えていく。
このままじゃ数秒後には生まれたままの姿じゃ……と思いきや、なぜかソックスだけは残った。えっ、なんで!? なにこのマニアックな感じ!?
ソックス以外の衣服が消えると、私は再び暖かなものに包まれる。さっきと違うのはなにかヌメリとした感触が全身に広がっていくこと。なんか気持ち悪い。
あまりの気持ち悪さに思わず目を瞑るとすぐにその感覚は無くなった。恐る恐る目を開けた私はその光景に驚く。なんとさっきまで素っ裸だったはずなのに(ソックスは履いてたけど)、何やら白を基調としたフリフリのドレスに身を包んでいたのである。なんだこれ!?
すると次は髪に違和感があった。まるで後ろから髪を持ち上げられてく感じ。気になって触ってみると、ロングヘアにしていた私の髪は後頭部で一つに結わえられていた。いわゆるポニーテール。手繰り寄せてみると何故か毛の色がピンクになっていた。なんじゃこりゃ! これじゃ校則違反だよ!
髪の違和感が消えた頃、少しずつ光の空間が消えていく。徐々にカニーの姿も見えてきた。
そして光が完全に消え去った時、私は右手に杖を持っていた。
異世界で杖はたくさん見たけど、そういうのとは違ったやたらファンシーな杖。全体的に白く、先端がハートの形をしている。よく見ると精霊からもらった蒼い魔石がハートの中心に埋め込まれていた。
「な!? その姿はなにカニか!? 随分恥ずかしい格好カニね!」
「あなたには言われたくないです!」
でもカニーのいうことも一理ある。今の私の格好は絵本に出てくるお姫様のようだ。空想上なら構わないが、この格好で電車とか乗ってたら流石にドン引きだ。
「とにかくやる気カニね。手加減はしないカニよ!」
「え、ちょっ!?」
カニーはそう叫ぶと正面から迫ってくる。手を固く握りしめて。「一刀両断恐怖のハサミ」の異名は一体どこへ?
私は避けるために横に軽くステップを踏む。カニーのスピードは常人と大差ないレベルだし攻撃も一直線だ。今の身体能力でも充分に避けられる。
しかし。
軽くステップを踏んだはずの私は、予想よりも遥かに遠くに着地していた。やたらと身体が軽く感じる。
「カニ!? ……素早いカニね!」
カニーが何やら騒いでいるが、驚きたいのはこっちのほうだ。これは明らかに普通ではない。
「まさか?」
試しに私はさっきとは逆の方向へと軽く跳んで見る。するとやはり予想よりも遠くへと跳ぶことができた。
これはまさか。
「異世界の時と同じ状態?」
そう、今の私は異世界の時と同じ、いやそれすらも凌駕するほどに身体能力が上がっていた。
「何をごちゃごちゃ言ってるカニ?」
カニーが先ほどのようにまっすぐ殴りかかってくる。
私はカニーが接近するよりも速くカニーの懐へと潜り込み、正拳突きを放つ。
「ごふぅ……カニ」
カニーはそのまま真後ろへと吹っ飛び、壁へと衝突した。
建物が揺れ、OLさんが悲鳴を上げている。
私は魔法使いだったから武術はあまり得意ではない。しかし、カニー程度だったら充分に通用するようだ。鍛えておいて本当によかった。
「さて、カニーが起き上がる前に……と」
この姿になってもう一つ気づいたことがある。
身体の中に魔力の流れを感じるのだ。
ということは、今の私は魔法を使える可能性が高い。とはいえ暴発すると怖いからとりあえず初級魔法を試そう。
使う魔法は至ってシンプル。私の拳くらいの大きさの火球を出す魔法だ。勿論飛ばすこともできる。
「いてて。酷い目にあったカニよ……」
カニーが頭を擦りながら立ち上がる。思ったよりも丈夫だ。常人なら死んでいてもおかしくは無いと思うんだけど。やっぱり怪人は頑丈なのかな?
カニーがこっちを向いた瞬間、私はカニーに向かって火球を射出する。
「えーい!」
「カニ!?」
思った通り、私は魔法で火球を作り出すことができた。しかし、予想と違ったことが一つだけ。それはその大きさだ。拳くらいの大きさの魔力しか使ってないのになぜか私の頭くらいの大きさの火球ができていた。なんでだろう? こんな初級魔法を間違えるとは思えないんだけど。
何はともあれ、私の火球(大)は見事にカニーへと直撃。
「魚介クラブ万歳!!」
カニーはそう叫ぶと大爆発を起こし消滅した。
不思議な事にそれは私が異世界でさんざん見た爆発とは違って、なぜかピンク色のやたらファンシーな爆発だった。そのせいか建物への被害が一切ない。わんだほー。
爆発を見届けた私は「ふぅ」と溜息をつくと肩の力を抜く。とりあえずどうにかなった。いや、今の私の姿はどうにかしているけど。
私の格好は未だドレスのままだ。ちゃんと返ってくるんだろうな、私のセーラー服。
私は座り込んでいるOLさんに近づくと「大丈夫ですか?」と声をかける。
OLさんは安心したのか目に大粒のナミダを浮かべていた。よほど怖かったのだろう。せっかくの化粧もぼろぼろだ。
「あ、あの、さっきの変な人は何なんですか?」
「さぁ? 私もわかりません」
私にわかるのはあれが私の「平穏な日々」を邪魔しかねない集団の一員だということだけ。
しかしよく考えて見れば、やってることは犯罪だし、丈夫なだけであまり強くないから警察とか自衛隊でも倒せると思う。ただ見た目はあれだけど。
あとは私のような魔法使い……うーん、もしかすると魔法少女ってやつかな? の存在が広まらなければ私の「平穏な日々」は守られると思う。たぶん。
そんなことを考えていると、OLさんが話しかけてきた。
「もしかしたらなんですけど、ひょっとすると貴方って魔法少――」
「えい☆」
私は睡眠魔法を可愛く行使。危ない危ない。危うく「平穏な日々」への第一歩が崩れるところだった。
それにしてもこの服脱げないんだけど? なにこれ? ちゃんとセーラー服戻ってくるよね? あと髪も戻してください! これじゃ学校に行けないじゃないですか!
こうして魔王を倒した私は新たな戦いへと身を投じることとなる。
はぁ。いつ返ってくるんだろう。私の「平穏な日々」……