第7夢
時刻は昼の12時16分を指していた。ミナトの持つ腕時計の盤上での話だ。
この世界での時間の流れはどうなっているのだろう。
「すみません、どなたか今何時だかわかる方いらっしゃいませんか?」
昨晩、木々の間からミナトが見た集落へと一行は進んでいる。足取りは軽やかだ。
「何時かわかるかだって?お前自分の腕に時計くっつけといて何言ってんだ。」
アグと呼ばれた男がミナトにつっかかった。ひょろりと細長い身体にギョロっとした目。愛嬌のある顔とはとても言えない。
「狂ってしまっていないか心配で…。」
ミナトは平生、人に媚びたり顔色を窺ったりするような性格をしていない。俺を嫌いたいなら嫌えばいい。俺は興味のあるやつ、尊敬できるやつとしかつるまない。彼はそれを貫いた。
こちらの世界でも同じようにつっけんどんに対応することもできたが、何故かそれは憚られた。自分の夢なんだから臆せずに好きなように振る舞えばいいんだ。そうは思うが、説明のし難い妙な勘がミナトを牽制する。この夢が、この世界が、疑わしいまでにリアルすぎる。色彩や匂い、感触、人の感情の動きに至るまでディテールが緻密すぎやしないか…?
あたかも最初からこの世界は存在したかのように。
まるで本当にこの世界が存在するかのように。
そんな奇妙な感覚を抱いてからは、何となくではなくもっと慎重にこの世界を生きる必要があるように思えた。
「アグ!怖がらせるな馬鹿野郎!」
「へ、へいっすいません!」
即座に頭を下げつつも、アグの目は執拗にミナトの腕時計を見つめていた。皮には光沢があり、針や盤は宝石でできているように見えた。無意識に唾をのみ込む。
「ついさっき12時の鐘を聞いたな。あれから10分くらいは経ってるんじゃねぇか?そういえばよ、名前聞いてなかったなぁ。」
カムルの低い声が『12時の鐘』『10分は経った』と告げた。幸い俺の持つ時間感覚と似ているようだ。これはとても助かる。
「そうでしたね、失礼しました。私は柏木湊といいます。」
「カシ…ワ?なんだって?」
「家名がカシワギ、下の名がミナトです。」
「そうか、やはり家名があるんだな。」
「やはり?」
「い、いや、なんでもねぇ。使う言葉はこじゃれてるし、汚れてはいるが良いもん着てるみたいだったからよ、貴族なんかなぁと思って。」
「貴族だった、と言うべきですね。」
一度作った設定を安易に変えるべきでない。俺は亡命した没落貴族だ。ここに来るまでに盗賊に襲われ身ひとつになったのだ。別人を生きるのも楽しいかも知れない。
短い自己紹介を3人から聞く。よく鍛えられ、茶色い無精ひげを生やした大男はカムル。ひょろ長ギョロ目で額が広いのがアグ。浅黒い肌の四角い顔をした中肉中背がタニーニャ。彼らは幼馴染なのだという。
聞けば昔からやんちゃを繰り返していたそうだ。武勇伝をいくつも聞かされた。大人たちには愛想をつかされ、みな自分らを遠巻きにするようになっていった。でも悲しくなどなかった。自分らは分厚い壁に囲まれて守られたような気になっている弱者たちとは違うのだ。俺たちは馴染まない。決して飼いならされた動物にはならないのだと。
いろいろと解せない部分もあったが、興奮気味に話してくる彼らの話を大人しく聞いているうちに森は開け、目の前にはたいそう立派な城下町が現れた。人の声や動きが感じられる。思わず気分が高揚した。
ミナトは子細に観察する。
街は堅固な城壁で守られているようだ。出入りするには巨大な石門をくぐる必要がある。人力では到底持ち上げることが出来ないであろう。くぐり抜けている間に門が落ちて来やしないかと彼はヒヤヒヤした。
「待ちなさい。」
鋭い制止の声。振り返ればそこには衛兵がひとり。数メートル先にも何人か見えたが、別の仕事をしているようだ。ミナトはじっと兜の中の瞳を見つめた。
銅製の鎧の中で心優しき新米兵は思う。至るとこで悪事を働いているカムル一団に、憐れ子羊が混ざっているではないか。この青年はヤツらのカモだ。見逃してはおけない。
「見ない顔がいるな。どういう関係だ?」
「たかが下級兵の端くれにそんなことわざわざ教えてやる必要はあるのかい?」
柔らかな物腰であったが、カムルの言葉からはからかいと敵意がほとばしっている。年若い兵士はムッとした。すると青年から、心地よい響きの声が紡がれる。
「柏木湊といいます。はじめまして。訳あってあちらの森の中でこの方たちに助けられました。そしてこの国まで案内してくださったんです。もしかして、入国許可証など必要ですか?」
「いや…そんなものは要らないが…助けられたですって?」
「はい。」
中性的な顔をした黒髪の青年は確かに頷いた。ダメだ。衛兵は頭を抱える。もうすでに懐柔されているとは!
あなたの身が危険に晒されています。奴らは凶悪犯です。逃げてください。
そう説得しようと口を開けた瞬間、あたりに轟音が響き渡った。
『緊急事態、緊急事態』
けたたましいサイレン音。
『ルティカから半径10キロ圏内に魔物反応、直ちに閉門せよ。』
立て続けに鐘が打たれる。
『市民は安全を確保し、全戦力は配置につけ、繰り返す…』
爆発的な喧噪が城下に溢れた。
「閉門だ!ラッセル何をしている!早く位置につけ!」
名前を呼ばれた新米兵はタイミングの悪さに辟易した。カムルの顔が嬉しそうに歪んだのを見て、反吐が出そうだった。
「あなたっ!!!」
「は、はい!」
「彼らを信用してはいけない!カテドラルへ急ぐのですっ!」
それだけ言うのが精一杯だった。
もうすでに目先の緊急事態に思考は占拠されている。