第6夢
翌朝、ミナトの頬を一陣の風が撫でた。彼は目を覚ます。
「………ってー。」
凝り固まった体の節々を丁寧に解していく。
昨晩は結局この森を抜け出すことができなかった。遠くに灯りが見えたので集落か何かがあることは分かっていたのだが、鬱蒼と茂る木々に方向感覚を失い、後ろをつけ回す小動物たちに気を取られ、挙句疲れに身を任せ眠ってしまったのだった。
奴ら、行っちまったのか。
どこに帰ったのだろうか、あの特異な動物たちの姿は忽然と消えていた。彼らの奇妙な気配だけでなく、この森自体が抱えていた漠然とした薄気味悪さや仄暗ささえも無くなったように感じられる。太陽光が地面をまだらに照らし、鳥たちが声高に囀り合う。
「おい、お前こんなとこで何してやがる!」
しわがれた男の声がした。ミナトは緩慢な動きで来訪者を見上げた。
「アグ、タニーニャ、こっち来てくれ!」
男は野太い声を張り上げた。しばらくすると
「カムル、何か見つけたのか?」
「どうした?」
複数の足音がまばらに聞こえ、ミナトの近くで止まった。
「お、お前誰だ?見ない顔だが…狩人か?」
「い、いえ、ごく一般的な市民ですが…。」
お前は何者かと問われ、ミナトは一瞬言葉に詰まった。なんと説明すればよいのか。
とりあえずまぁ狩人ではないし、こっちの世界でまで医者と名乗るのもなんだし…大衆の一人ってことで間違ってはないよな?
「狩りや採集に来たにしては軽装すぎるだろうが。こいつの髪見て見ろよ、黒だぞ。それに目鼻立ちだって異邦人のそれじゃねえか。」
「そうだな…。」
カムルと呼ばれた男が他の2人を従えているようだ。3人は明らかな当惑といささかの興奮の色を浮かべながら何やら熱心に言葉を交わしていた。
ミナトはほっと息をつく。よかった、人間が人間の形をしていて。ちゃんと言葉も通じる。
夕べの奇妙な生物たちがおよそ己の見知ったものとは違っていた故に、人間もまた異形なのではないかとおそれていたのだ。ところが見た目は自分とさして変わらないときた。日本にいたころ街中で外国人を見かけた時のような、多少の物珍しさを感じるくらいだった。
「おぉい兄ちゃんよぉ。こんなところで行き倒れるくらいだ、大変なことがあったんだろうと察するってもんよ。ここはひとつ、正直に答えてくれまいか?」
大男のカムルは子供をあやすように、注意して温和に語りかける。
「はいなんでしょう?」
ニタリ、と口角があがりそうになるのを必死でこらえた。この青年に警戒の色はない。
「一体どこの国から逃げて来たんだい?」
はて、この男は。
俺が亡命でもしたのだと思っているのだろうか…まぁ無理はない。森なんかで寝っころがって、身体も服も土でグチャグチャだ。痩せ型というのも相俟ってひ弱な印象を与えているのかも知れない。
「日本、という国を知っていますか?」
「ニホンだって?どこだそれは。」
「知らねぇなぁ…。」
「おいらも知らん。」
三者顔を見合わせ、知らない、知らないと言う。やはりここは日本とも地球とも遠くかけ離れた仮想世界なのだ。ミナトはひとつ頷いた。
「私たちは自分の国のことをそう呼びました。あなた方が私たちの国をどう呼ぶかは知り得ません。めったに他国と交流をしない国なのです。ご察しの通り、私には訳あって母国を離れなければならなくなりました。途中私を襲う輩に出会い、夢中でここまで逃げてきたのですが、捕まってしまいました。金になりそうなものはすべて持っていかれ…。絶望の淵で私は意識を失い、ここに倒れたようなのです。」
よくもまぁべらべらと喋れるものだ。我ながら感心した。
「そうかいそれは…辛かったなぁ。」
「全部もっていかれちまったのか…。」
「なんてこった…。」
3人はひどく沈んだような顔をしていた。初対面の男に対してこんなに同情してくれるとはなんと慈悲深い。俺は少し気を良くした。
「あ、でも残っているものもあるようです。」
ミナトは黒色のコートのポケットをさりげなく触って見せた。向こうで研究室を後にして、車と衝突した時と同じ服装だ。今更ながらだが驚いた。財布にスマートフォン、ウォークマンに家の鍵、ポケットティッシュに腕時計、ブレスレット、指輪…。限りなく肌近くに身に着けていたものは依然としてミナトと共にあった。
そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、という意味を込めてニコッと笑うと、男たちもにわかに活気づいた。
「そりゃ本当かいお前さん!」
「よかったなぁ!よかったよかった!」
「今日は女神様がついてるんだなぁきっと。」
たかが少しの携帯品が残っているというだけで、3人の喜びっぷりは極まっていた。正常な判断力のある人間だったら彼らの反応を訝しく思うはずであったが、これは夢だと高をくくっているミナトにはさして気になることではなかった。
この男たちのようなゴロツキは他国から亡命してきた者や路頭に迷った老若男女から金品を盗んだり、そういった困窮に喘ぐ人々を売ったりして金を荒稼ぎする悪党どもである。
「こういうのはどうだい、可愛そうなお前さんを俺たちの国に招待するとしよう。」
渾身の笑みをたたえながら、男は右手を青年へと差し出す。青年が恭しくその手を取った。
さぁて、どう調理してやろうかねオボッチャン。
カムルは心の中で舌なめずりした。