第54話:几帳面すぎるリスと、ミリ単位の規格外農園
夏の陽光が燦々と降り注ぎ、木漏れ日の農園は爽やかな活気に満ちていた。
朝露の残る東の香草畑で、朝餉を終えたティルたちは新たな作業に取り掛かろうとしていた。
工房のテラスでは、右肩に特製バームを塗ったメリッサが、穏やかな表情で左手の木刀を握り直している。
切断された右腕の先には、今朝生まれたばかりのエメラルド色の魔力の輪郭が、木漏れ日を浴びて淡く瞬いていた。
「ティル殿、腕の奥がじんわりと温かく、脈動が心地よいリズムを刻んでおります。これなら、畑の土運びも十分に手伝えそうです」
「無理は禁物だよ、メリッサ。腕の魔力回路が繋がり始めたばかりなんだから、今日はお茶を飲んでゆっくり休んでいてほしいな」
ティルが優しく微笑みかけると、メリッサは灰青色の瞳を伏せ、少し照れくさそうに口元を綻ばせた。
「……はい。ティル殿がそう仰るなら、大人しく休息をいただきます」
その傍らで、三毛猫のミケが丸太のベンチの上でゴロンと寝転がり、前足で顔を念入りに洗っていた。
「フン! アタシの【熱量制御】で温めて作った特製バームなんだから、効き目は折り紙付きニャ! メリッサ、アタシにもっと感謝の言葉を捧げてもいいのニャよ?」
「ふふ、心から感謝しておりますよ、ミケ殿」
メリッサが微笑んで顎の下を撫でようとすると、ミケは「ウニャッ!?」と耳を伏せ、ツンと明後日の方向を向いた。
「べ、別に撫でてほしいわけじゃないニャ! アタシは気高き女王ニャ!」
相変わらずのツンデレぶりに、テラスには穏やかな笑い声が広がった。
「さて! それじゃあ俺たちは、第六号畝の隣に新しい苗床を作ろうか」
ティルが声をかけると、土の中からモグがシャベル爪をパチンと鳴らして飛び出してきた。
『合点承知ッス! 秋に向けて、寒さに強い根菜と冬越し用のカボチャの苗を仕込むんスよね!』
『おいらも自慢の完熟堆肥をたっぷり用意してあるチュ! ふかふかの土を作らせたら、おいらの右に出る者はいないチュよ!』
チュウ吉も黒檀ベラを誇らしげに掲げ、鼻の穴をフンと膨らませた。
ティルたちは農具を抱え、第六号畝の南側に広がる真新しい開墾地へと向かった。
ここは、モグが昨日のうちに大まかに耕起を済ませてくれた、広々とした黒土の区画だ。
「よし、まずはモグ、種を蒔くための溝――播種溝を掘っていこうか。深さはだいたい指の第二関節くらい、間隔は歩幅ひとつ分くらいでお願いできるかい?」
『お安い御用ッス! モグの豪快なド迫力掘削を見せるッスよーっ!』
ザッ、ザッ、ザシュッ!
モグが両前足の頑丈な爪を激しく動かし、勢いよく土煙を上げながら直線の溝を掘り進めていく。
多少の曲がりや深さのばらつきはあるものの、大地の生命力を感じさせる力強くおおらかな掘りっぷりだ。
チュウ吉もその後に続き、黒檀ベラで完熟堆肥をサッサと撒き散らしていく。
『へへっ! 大雑把なくらいが空気がよく通って、土の中の虫たちも喜ぶチュ!』
「うん、いい調子だね。モグもチュウ吉もありがとう」
ティルが頷き、額の汗を手ぬぐいで拭った。
太陽が真上に昇り、日差しが一段と強くなってきた。
「みんな、そろそろ一度休憩にしようか。ピピが冷たい井戸水を汲んでくれたよ」
『お水、ちゃんと飲まなきゃ熱中症になっちゃうピョ!塩分も摂るピョね!』
空からピピが、ハッカの葉を浮かべた木桶を運んできた。
ティルたちは木陰に腰を下ろし、冷えた清水を喉へと流し込んだ。
清涼なミントの香りが、乾いた喉と身体を心地よく潤していく。
――だが、十分ほどの休憩を終えて畑に戻った瞬間。
ティルたちは全員、その場にピタリと足を止めて絶句した。
「……え……?」
『な、なんじゃこりゃあぁぁぁッス!?』
モグが両前足を頭に乗せ、目を飛び出さんばかりに見開いて叫んだ。
目の前に広がっていたのは、信じがたい光景だった。
さっきまでモグが豪快に掘り進めていた、大らかで少し歪なはずの土の溝が――。
跡形もなく、綺麗サッパリと平らに均されていたのだ。
それだけではない。
平らにならされた黒土の上には、極細の木の棒で引っ掻いたような、恐ろしく精密な直線が几帳面に引かれていた。
さらに、どこから集めてきたのか、長さ五センチほどの乾燥した小枝が、等間隔に地面へと几帳面に突き刺されている。
その小枝同士は、細く裂いた野草のツルによってピンと張り巡らされ、まるで建築現場の測量水糸のような格子模様を形成していた。
チュウ吉が撒いたはずの完熟堆肥も、一粒残らず集められ、畝の端に縦横十センチ四方の見事な立方体に積み上げられている。
『おいらの堆肥が……! 芸術作品みたいに四角くブロック化されてるチュ……!?』
チュウ吉がアゴを外れんばかりに落として震えている。
『モグの掘った溝が……消えたッス……! 誰ッスか!? モグの汗と涙の結晶を埋め戻した不届き者はーっ!?』
モグが土煙を蹴立てて憤慨した、その時だった。
『――そこまでであります!㠀動かないであります、規格外農業集団!!』
キリリと引き締まった、だがひどく甲高い小さな叫び声が、赤色玄武岩の石垣の上から響き渡った。
ティルたちが一斉に見上げると、そこには一匹の小さな魔物が立っていた。
ふさふさとした巨大な尾を背負った、体長三十センチほどの小柄なリスだ。
頭には乾燥したイネ科の野草を編んだ小さな鉢巻きをきりりと締め、額には汗が光っている。
右前足には、滑らかに削られた手作りの木製定規。
左前足には、先端を尖らせた木炭の芯がしっかりと握られていた。
そして何より目を引いたのは、限界までパンパンに膨らんだ両頬だった。
どんぐりや木の実を詰め込みすぎたのか、まん丸に膨れ上がったほっぺたは、まるで二つの大きなお餅のようだ。
リスはピシッと背筋を伸ばし、右前足を額に当てて、ぎこちない敬礼のポーズを取った。
『当職はプランター・スクワレル! この杜撰極まる土壌整理と、ミリ単位でズレまくった畝の歪みを正すため、緊急介入したであります!』
「プランター・スクワレル……?」
ティルは目を丸くし、それからふわりと笑みをこぼした。
「こんにちは。すごく真面目で、可愛いリスさんだね」
『な、なにぃぃッ!? か、可愛いとは何事でありますか! 不敬であります!』
リスは頬を真っ赤にして怒鳴ったが、膨らんだほっぺたのせいで声が少しこもっている。
『当職は歴戦の播種工兵であります! 貴殿らの農業は、見るに堪えない怠慢と妥協の産物であります! 見よ、この惨状を!』
リスは石垣からタタッと素早く飛び降りると、自慢の木製定規を地面にビシッと突き立てた。
『貴殿らの掘った溝! 始点の深さは四十二ミリ、終点の深さは五十八ミリ! 十六ミリもの高低差があるであります! これでは雨水が片側に偏り、根腐れの原因になることは明白であります!』
「うっ……!」
モグが胸を押さえて怯んだ。
『さらに畝の間隔! 一列目は四十八センチ、二列目は五十三センチ! 五センチもの狂いがあるであります! 日照条件の不均等、通風の阻害、収穫時の動線ロス! すべてにおいて失格であります!』
リスは鼻息を荒くしながら、定規を振り回して熱弁を振るった。
『種とは! 大地と太陽の恵みを均等に享受する権利を持っているのであります! 深さは適正値プラスマイナス一ミリ以内! 株間は寸分の狂いもなく一直線! それこそが、命に対する最低限の礼儀というものであります!』
「すごい……! そこまで厳密に計算しているんだ」
ティルは感嘆の声を漏らした。
ブラック企業時代、ミリ単位の図面や規格書に追われていた自分を思い出し、どこか懐かしいような、親近感の湧く光景だった。
しかし、モグとチュウ吉は納得がいかない様子で詰め寄った。
『理屈はわかるッスけど! モグたちの畑は、これでも立派に美味しい野菜が育ってるッスよ!』
『そうだチュ! 野菜ってのは大地の気分で自由に伸びるもんだチュ! 四角四面に縛り付けるなんて息が詰まるチュ!』
『自由と放縦を履き違えては困るであります!』
リスは尻尾を逆立てて反論した。
『規格化された秩序こそが、最大限の収量を約束するのであります! ……現に、当職がかつて管理していた森の果樹園は、すべての木々が十五度の方角を向き、三メートル間隔で美しく整列していたのであります!』
誇らしげに語るリス。
だが、その瞳の奥に、ふと暗い影がよぎった。
「その果樹園は……今はどうなったんだい?」
ティルが穏やかな声で尋ねると、リスはピクッと耳を伏せた。
『……ぜ、全滅したであります……』
リスの声が、急速に小さくなった。
『森のイノシシどもが……「線引きが細かすぎて歩きにくい」「実が落ちる場所まで指定するな」と怒り狂い……当職の畑をめちゃくちゃに踏み荒らしたのであります……。仲間たちからも「お前の几帳面さには付き合いきれない」と追放され……当職はこの荒野へ流れ着いたのであります……』
垂れ下がった大きな尻尾。
自らの信念を貫くあまり、誰にも理解されず、孤独に傷ついてきた過去。
膨らんだ両頬を抱え、リスは地面を見つめて震えていた。
『それでも……当職は曲げられないのであります……。種を粗雑に扱う世界など、認めるわけにはいかないのであります……!』
張り詰めた空気。
その静寂を破ったのは――。
――ぐぅぅぅぅぅぅぅ……ッ!!
けたたましい地響きのような、情けない腹の虫の音だった。
『……っ!?』
リスの身体がビクッと跳ね上がった。
見れば、パンパンに膨らんでいたはずの両頬が、みるみるうちにしぼんでいく。
口からポロポロとこぼれ落ちたのは、土だらけの小さな乾燥ドングリがたったの二粒だった。
どうやら、頬を膨らませて自分を大きく見せていただけで、中身はほとんど空っぽだったらしい。
『ぐ、ぐぬぅ……! きょ、凶悪なる敵の精神攻撃……ではなく、燃料補給の限界であります……! 三日三晩、測量と計算に夢中で……何も口にしていなかったであります……』
フラフラと足元をおぼつかせ、リスは白目を剥きながら前へとバタリと倒れ込んだ。
「あ、危ない!」
ティルが素早く駆け寄り、倒れかけた小さな身体を両手で優しく受け止めた。
抱き上げると、羽毛のようにひどく軽い。
骨が浮き出るほど痩せ細った身体で、それでも定規と木炭だけは決して離さず、小さな前足で固く握りしめていた。
「無茶をして……お腹がペコペコだったんだね」
そこへ、騒ぎを聞きつけたミケが、丸太の柵の上からひょっこりと顔を出した。
「ニャんだニャんだ? 騒がしいと思ったら、みすぼらしい小ネズミが一匹倒れてるニャ」
『リスであります……! ネズミとは骨格構造からして違うであります……!』
ティルの手のひらの上で、リスが弱々しく抗議する。
「フン! 強がりなところと、空腹で行き倒れる間抜けなところは、まるでアタシの昔そっくりニャ」
ミケはフフンと鼻を鳴らし、尻尾の先の灯火を小さく揺らした。
「ニンゲン、早くあの美味い飯を食べさせてやるニャ。このままじゃ、この頑固リスの魔力の火が消えちゃうニャ」
「うん、そうだね。工房へ連れて行こう」
ティルはリスをそっと胸に抱き、工房のテラスへと戻った。
テラスの丸テーブルの上に、清潔な麻布を敷き、リスを寝かせる。
メリッサが心配そうに覗き込み、ベルが織り上げた柔らかな羊毛のハンカチをそっと掛けてやった。
「衰弱が激しいですね。固形物をいきなり胃に入れるのは危険かもしれません」
「そうだね。まずは温かいスープで胃を温めてもらおう」
ティルは厨房へ向かい、手早く料理の準備を始めた。
小鍋に裏山の雪解け水を注ぎ、第六号畝で採れたばかりの黄金新芽の乾燥ハーブをひとつまみ落とす。
そこへ、昨夜の残りのふかしいも――黄金甘芋の裏ごしをたっぷりと溶かし込み、搾りたての菜種油をごく少量垂らした。
ことことと弱火で煮込むと、黄金色のポタージュスープから、甘く香ばしい湯気がふわりと立ち上る。
仕上げに、すり鉢で細かくパウダー状に砕いた香ばしい炒りクルミを浮かべた。
「はい、お待たせ。特製の【黄金甘芋とすり潰しクルミのポタージュ】だよ」
ティルが木製の小さな匙にスープをすくい、リスの口元へと運んだ。
『て、敵の施しなど……軍人の誇りが許さないのであります……! まずはこのスープの糖度と粘度を測定しなければ……』
意地を張るリスだったが、鼻先をくすぐる抗いがたいほど甘く芳ばしい匂いに、喉がゴクリと鳴った。
「いいから、冷めないうちに飲んでごらん」
ティルが優しく微笑み、匙を唇に触れさせる。
ペロリ。
リスの小さな舌先が、黄金色のポタージュに触れた。
――その瞬間。
ビクッッ!!
リスの丸い黒目が、限界までカッと見開かれた。
『……っ!? な……なん……ッ!?』
甘い。
とろけるように濃厚で、雑味が一切なく、どこまでも優しい大地の甘み。
舌の上で滑らかにほどける甘芋のペーストと、カリッと香ばしいクルミの油分が、疲弊しきった五臓六腑へとじんわりと染み渡っていく。
ハーブの爽やかな後味が、熱で火照った頭をすっきりと冷ましてくれた。
『……う、うみゃい……! うみゃいでありますぅぅぅッ!!』
軍人気取りの口調が完全に崩壊した。
リスはティルの持つ匙を両前足でガシッと掴み、顔ごと突っ込むようにして貪り飲んだ。
ズズッ、ズズズズッ……!
「あはは、焦らなくていいよ。鍋にたくさんあるからね」
ティルが平皿にスープを注いでやると、リスはお皿に鼻先を突っ込み、夢中で舌を動かした。
ペロペロペロペロッ……!
あっという間に平らげ、お皿の底までピカピカに舐め上げる。
『ぷはぁぁぁぁっ……! 生きてる……! 身体の芯に、温かいエネルギーが満ちてくるであります……!』
リスの全身の毛並みが、幸福感でボワッと二倍ほどに膨らんだ。
額の汗は引き、虚ろだった瞳にはキラキラとした生気が力強く宿っていた。
だが次の瞬間、リスの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
『うぅ……っ……! こんな……こんな美味しいもの、生まれて初めて食べたであります……! 誰も当職の測量を認めてくれなかったのに……怒鳴られて、追い出されてばかりだったのに……どうして、こんな見ず知らずの当職に優しくしてくれるのでありますか……!?』
しゃくりあげながら泣く小さなリス。
ティルは屈み込み、その小さな頭を指先で優しく撫でてやった。
「君の引いた線、すごく綺麗だったよ」
『え……?』
リスが涙で濡れた顔を上げる。
「畑の畝を綺麗に揃えるのは、日光を均等に当てて、風通しを良くするためには本当に大切なことなんだ。モグやチュウ吉の豪快な力強さも素晴らしいけれど、君のようにミリ単位で気を配れる丁寧さは、俺たちの農園に一番足りなかった宝物だよ」
ティルの言葉には、一片の嘘も、お世辞も混ざっていなかった。
その温かな眼差しに触れ、リスの胸に熱いものが込み上げていた。
否定され続けた自分のこだわりを、この青年は「宝物」だと真っ向から肯定してくれたのだ。
『て、ティル殿……!』
「ねえ、お腹がいっぱいになったら、もう一度畑を見に行かないかい? 君の力で、俺たちの新しい畑を、世界で一番綺麗に整えてほしいんだ」
ティルが優しく手を差し伸べると、リスはゴシゴシと涙を拭い、木製定規をギュッと胸に抱きしめた。
『は、ハッ! 喜んで任務を遂行するであります!!』
力強く敬礼を返すリスの瞳には、かつてない誇りと希望の光が輝いていた。
木漏れ日の農園に、また一人、規格外に頼もしい新たな仲間が加わろうとしていた――。
【後書き】
読者の皆様、第54話を最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
第3段階の新たな仲間候補、神経質すぎる播種工兵リス『リスキー(プランター・スクワレル)』との大波乱の遭遇劇をお届けいたしました!
モグの豪快な溝を勝手に埋め戻し、ミリ単位のズレに激怒する几帳面すぎるリスキーと、マイペースに温かく受け止めるティルの掛け合いをお楽しみいただけましたら幸いです!
空腹で行き倒れたところを救われ、甘芋とクルミの絶品ポタージュに涙を流すリスキーのモフモフリアクションに、少しでもほっこりしていただけましたら嬉しく思います!
次回・第55話、リスキーの本格的な能力測定と、ティルとの魂の契約!
ミリ単位の精密測量と、神業の播種スキルが、荒野の畑に前代未聞の美しい幾何学模様を描き出します!
もし「リスキーのキャラが面白かった!」「ポタージュが美味しそう!」「これからの活躍が楽しみ!」と感じていただけましたら、
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