第29話:水路の護岸工事と、石造り工房の誕生
正午の太陽が高く昇り、初夏の暖かな光が開拓地の広場を眩しく照らし出していた。
午前中に完成したばかりの【玄武岩の防風石垣】のおかげで、北の山肌から吹き降ろす冷たい突風は完全に遮断されている。
石板テーブルの周りには穏やかで清々しい初夏のそよ風だけがそっと吹き抜け、午前中の激しい重労働を終えた一同の身体を心地よく包み込んでいた。
「ふぅ……! 午前中の石垣作り、本当にお疲れ様!」
ティルは手ぬぐいで額の汗を拭い、作業着の袖をまくり直しながら、石板テーブルの前に立った。
テーブルの上には、朝から焚き火の熾火で温めていた平らな石板調理器が据えられている。
「さあ、みんな! お待ちかねのお昼ごはんにしよう!」
ティルが平らな石板の上に、竹葦の葉で包んだ三角形の塊を並べると、ジュワリと香ばしい音が弾けた。
「わぁぁ……! すっごく香ばしい匂いがしてきたッス!」
モグが両前足のシャベル爪をパチパチと鳴らし、鼻をひくつかせながら身を乗り出した。
今日のお昼ごはんは、昨夜の大晩餐会で炊き上げた【大根菜と炒り雑穀の混ぜご飯】をぎゅっと結び、熱した石板で両面を香ばしく焼き上げた特製焼きおにぎりだ。
表面には、野生の甘木の実の果汁と炒りキビ粉を小鍋でじっくり煮詰めた特製ダレが刷毛で幾重にも塗られている。
タレが石板の熱でジュウジュウと泡立ち、香ばしく焦げる甘辛い匂いが立ち上るだけで、胃袋がきゅうと鳴るほど食欲をそそられる。
「午前中は石を運んだり土を掘ったりで、みんな汗をたくさんかいたからね。しっかり塩分とエネルギーを補給しよう」
ティルは木のヘラでこんがりときつね色に焼けたおにぎりを裏返し、仲間たちの木皿へと取り分けていった。
そして、新しく家族となった巨大な石工職人の前には、大人の顔ほどもある特大の焼きおにぎりが二つ並べられた。
『……ぬ? これは米……いや、雑穀の塊か……ガメ?』
ガンは大きなくちばしを近づけ、物珍しそうに琥珀色の瞳を瞬かせた。
「採れたての大根菜を細かく刻んで岩塩で揉み込み、炒りキビと一緒に混ぜ込んであるんだ。焦げ目のところがカリッとして、とっても美味しいよ」
ティルが微笑みながら手渡すと、ガンはおずおずと太い前足でおにぎりを持ち上げ、大きな口を開けてかぶりついた。
サクッ、むぎゅ……!
『……っ!?』
ガンの首がピクンと跳ね、琥珀色の瞳が見開かれた。
『な、なんという香ばしさじゃ……! 表面はカリッと小気味よく、中はふっくらと柔らかい。噛みしめるたびに、大根菜の爽やかなほろ苦さと、香ばしい焦がしダレのコクが口いっぱいに広がるわい……ガメ!』
「でしょ!tィルの料理の腕前は最高ピョね!」
ピピが自分の分をついばみながら、誇らしげに胸を張る。
「ぷるも! おこげのカリカリしたところ、大地の味がしてだーいすきぷるぅ!」
ぷるが嬉しそうに身体を弾ませ、サンも「はむっ、あぐあぐ!」と勢いよく頬張って、千切れんばかりに尻尾をブンブンと振り回した。
「ふむ……。素朴な握り飯かと思いきや、焦がしダレの香気と岩塩の塩梅が見事ですわね。労働の後の滋養補給としては、文句のつけようがありませんわ。……メェ」
ベルも専用クッションの上で優雅に咀嚼し、満足そうに目を細めている。
ガンは瞬く間に二つの特大おにぎりを平らげると、水路から汲んできた冷たい湧き水をゴクゴクと飲み干し、ふはぁと豪快に息を吐き出した。
『五臓六腑に染み渡る美味さじゃった! これほどの馳走を腹に収めては、職人として昼寝などしておられんわい!』
ガンはむくりと太い四肢で立ち上がり、太い爪をカチリと打ち鳴らした。
『ティル様、そして若造どもよ。午後の工事に取りかかるぞ! 予定通り、水路の【石組み護岸】と、作業小屋の土台を固める【石造り工房】の建設じゃ……ガメ!』
「「「おおーーっ!!」」」
美味しい昼食で活力を満たした一同から、広場に響き渡る威勢のいい掛け声が上がった。
最初に取り掛かったのは、畑の命綱である水路の本格的な改修工事だ。
ピピが嘴と水流で掘り進めた水路は、これまで素掘りの土手のままだったため、湧き水の勢いで側面が少しずつ削られ、泥が水底に沈殿し始めていたのだ。
『水路の護岸には、水流の抵抗を受け流す滑らかな板石が必要じゃ』
ガンは北の玄武岩地帯の岩壁へと向かうと、前足の爪に琥珀色の温かな光を灯した。
【大地の脈動】。
硬質な玄武岩の結晶の筋を見極め、厚さ十センチ、縦横五十センチの均一な敷石へと、サクサクと豆腐のように軽やかに切り出していく。
「切り出した石は、どんどん運ぶッスよ!」
モグが水路沿いの土手をシャベル爪で平らに削り均し、ぷるが細長く伸びて石材の下に入り込み、摩擦ゼロのローラーのようにスルスルと運搬していく。
水路沿いへと運ばれた板石を、ガンとティルが水路の両脇に丁寧にはめ込んでいった。
ガチリ……ピタリッ……。
石と石の継ぎ目には、水圧を逃がすためのわずかなスリットが計算通りに設けられている。
さらに、水路が大きく曲がるカーブの地点には、ガンが曲面を削り出した【水受け石】を配置し、激突する水流を滑らかに下方へ受け流す工夫が凝らされた。
水路の高低差がある部分には、段々畑のような【階段式カスケード(減勢工)】を構築。
落ちる水が泡立って空気中の酸素をたっぷりと巻き込み、畑の作物が最も喜ぶ生きた水へと生まれ変わっていく。
「ピピ、湧き水の水門を少しずつ開けてみてくれ!」
ティルが声をかけると、上流の水源池にいたピピがくちばしで調整用の堰板を持ち上げた。
サラサラサラ……ジャバァァッ!
豊かな湧き水が、新しく完成した石組みの水路を一気に駆け抜けていく。
以前のように泥を巻き上げて濁ることは一切ない。
滑らかな玄武岩の川底の上を、透き通った清流が光の帯となってサラサラと流れ下り、耳に心地よい涼やかなせせらぎの音を開拓地に響かせた。
「わぁぁ……! お水が鏡みたいにピカピカに透き通ってるピョ!」
ピピが上空から滑空して水面に舞い降り、嬉しそうに羽毛を濡らした。
「土手が全然削れないッス! これなら大雨で増水してもビクともしないッスね!」
モグも歓声を上げる。
さらに、水路の中間地点には、ガンが提案した【沈砂池】が設けられた。
深さ五十センチほどの四角い石組みの溜め枡だ。
上流から流れてくる砂や落ち葉をここで沈殿させ、畑へは常に澄み切った清らかな水だけを送り届ける仕組みである。
『カッカッカ! どうじゃ、見事な護岸じゃろうが! だが、本番はこれからじゃぞ。次はあの作業小屋じゃ……ガメ!』
ガンが次に向かったのは、広場の片隅に建つ作業小屋だった。
丸石を地面に並べただけの基礎の上に、丸太と葦草で組まれた簡易的な小屋。
普段の道具置き場としては役立っていたが、風雨や害獣、地面からの湿気に対する耐久性は心もとなかった。
「この小屋の土台を、どうやって補強するんだい?」
ティルが尋ねると、ガンは小屋の柱の根元を指差した。
『柱を一本ずつテコで持ち上げ、不安定な丸石を撤去する。そして、水平に削り出した巨大な【玄武岩の礎石】を四隅に据え付けるのじゃ』
ガンは爪を振るい、一辺六十センチ、高さ三十センチの巨大な立方体の礎石を四つ切り出した。
上面の中央には、柱のホゾが隙間なく嵌まり込むよう、四角い窪みが綺麗に彫り込まれている。
モグが基礎の土を深く掘り下げ、割栗石を敷き詰めて突き固めた。
その強固な地盤の上に、ぷるの誘導で重量級の礎石が正確に据え付けられる。
ドスン……!
重厚な礎石の上に小屋の柱が降ろされると、カチリと完璧な噛み合わせの音が響いた。
ティルが両手で力いっぱい揺すってみても、小屋全体が岩盤と一体化したかのように、微塵の軋みすら生じない。
『さらにじゃ! 小屋の周囲に、高さ一メートルの【石組みの腰壁】を立ち上げるぞい!』
ガンは規格通りの石ブロックを次々と積み上げ、小屋の外周をぐるりと囲む頑丈な石壁を築いていった。
雨水や跳ね泥から木材を守り、冬の冷たいすきま風が床下から吹き込むのを防ぐための腰壁だ。
床面には、細かい玄武岩の砂利と粘土を混ぜて突き固めた【三和土風の土間】を施工。
地面からの湿気と冷気を完全に遮断し、夏はひんやりと涼しく、冬は暖かさを保つ快適な床が完成した。
サンがその石壁に駆け寄り、胸の太陽の光をふわりと注ぎ込む。
「おじいちゃんの石壁、あったかくするワン!」
サンの放つ金色の光によって石材と土間の余分な湿気が瞬く間に抜け、石と土の密着がより強固に安定していく。
さらに、工房の内部には、ガンが切り出した平らな石板と乾燥させた丸太を組み合わせ、頑丈な収納棚と作業台が設えられた。
モグの予備のシャベル爪や手入れ用の砥石、ピピが集めた種袋、ティルの農具や小刀が、整然と並べられる。
足元には、ぷるが「ひんやりぷるぅ!」と飛び込み、滑らかな石畳の感触を全身で楽しんでいた。
ベルも完成した工房の内部を優雅に歩いて点検し、満足げに首の銀鈴を鳴らした。
「ふむ……。地面からの湿気が完全に遮断されていますわね。これなら、わたくしの刈り取った上質なフリースや乾燥ハーブを保管しても、カビが生える心配はありませんわ。……メェ」
夕暮れ時。
西の地平線が茜色から深い群青へと染まり始める頃――開拓地の広場には、見違えるような光景が広がっていた。
北側を優美に守る、緩やかな弧を描く【防風石垣】。
透き通った清流がサラサラと音を立てて巡る【石組みの美しき水路】。
そして、重厚な玄武岩の礎石と腰壁に守られた、堅牢な【石造り工房】。
ただの荒野の野営地だった場所が、数千年の風雨にも耐えうる、本物の農園集落の骨格を備えた瞬間だった。
「ふぅ……! みんな、本当にお疲れ様!」
ティルは額の汗を拭い、腰に手を当てて完成した工房と水路を見渡した。
前世のオフィス街では決して味わえなかった、自分たちの手で暮らしの礎を築き上げていくという、深い充実感と高揚感が胸を満たしていた。
ガンは自らの太い前足を見つめ、それから完成した工房をまじまじと見上げた。
その表情には、何百年も忘れていた、純粋な職人としての熱い感慨が滲み出ていた。
『……ワシの技が、誰かを傷つけるための兵器ではなく、命を育み、仲間を守るための礎となったか……』
ガンは低く呟き、深く息を吸い込んだ。
『悪くない……。いや、これほど誇らしい仕事は、数百年の生涯で初めてじゃわい……ガメ』
その時だった。
グゥゥゥゥゥ……ッ!!
静まり返った夕暮れの開拓地に、まるで地鳴りのような凄まじい音が響き渡った。
「「「えっ……!?」」」
仲間たちが一斉に身構えたが、音の出どころは岩山ではなかった。
ガンの巨大な腹甲の奥からだった。
『ぬ……ッ!? こ、これは……不覚……!』
ガンは顔を真っ赤にして、慌てて首を甲羅の中へと引っ込めようとした。
丸一日、全精力を使って石を切り出し、仲間たちと重労働に打ち込んだのだ。
いくら老練な魔物とはいえ、猛烈な空腹に襲われるのは当たり前だった。
「あはは! ガン親方、お腹が空いたんだね!」
ティルは思わず声を出して笑った。
「これだけの大工事を成し遂げてくれたんだ。今夜は、ガン親方のための特別な大歓迎晩餐会を開くよ!」
「やったッス! 宴会ッスね!」
モグが飛び跳ねる。
「アタシが水路の清流で野菜を冷やしてくるピョ!」
「ぷるも、お鍋をピカピカに洗うぷるぅ!」
「ぼく、火起こしのお手伝いするワン!」
仲間たちが楽しげに声を上げ、晩餐会の準備へと走り出した。
甲羅から恐る恐る顔を出したガンは、照れくさそうにくちばしを尖らせながらも、嬉しそうに目を細めた。
『フン……! 職人に腹いっぱい飯を食わせるのは、施主の当然の務めじゃからな! ティル様の手料理、心して味わわせてもらうぞ……ガメ!』
夕闇が迫る荒野に、赤々と温かな焚き火の明かりが灯り始めていた。
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