第9話 地下牢の告白と、王都への『招待状』
翌日の夜。
屋敷の地下深くにある特別独房は、冷たい静寂に包まれていた。
カツ、カツ、と足音が響く。
私とジェラルド様は、鉄格子の前に立った。
「……出して……ここから出して……」
格子の向こうで、イザベラが小さく縮こまっていた。
かつての派手なドレスは泥と煤で汚れ、高慢だった表情は見る影もない。
完全な暗闇と沈黙。
貴族令嬢にとって、それは死以上の恐怖だっただろう。
「気分はいかがですか、イザベラ様」
私が声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
『ミランダ!? お願い、許して! 私は命令されただけなの!』
彼女は格子に縋り付き、泣き叫んだ。
その言葉を待っていた。
私は手にした「記録の魔石」をかざした。
青白い光が、彼女の顔を照らし出す。
「命令、ですか。誰からの?」
『さ、宰相閣下よ! あの古狸が、辺境伯の力を削ぐために私を行かせたの! リリアを人質にして、ジェラルドを操れって!』
「屋敷の結界を破壊しようとしたのも?」
『そうよ! 失敗したら消されると思ったから……だから魔導阻害石を使ったの! 全部あいつの指示よ! 私は悪くない!』
ペラペラとよく喋る。
保身のためなら主さえ売る。
予想通りの浅ましさだが、今はそれが役に立つ。
「……十分だ」
隣で聞いていたジェラルド様が、低く唸った。
その目には、妹を脅かされた怒りが静かに燃えている。
彼は魔石を受け取り、私に頷いた。
「証拠は取れた。……ミランダ、準備は?」
「万端ですわ。王都の『大幻影水晶』への接続経路、すべて確保済みです」
私はニヤリと笑った。
今夜は、王都で年に一度の「建国記念舞踏会」が開かれている。
国王陛下をはじめ、宰相、そして高位貴族が一堂に会する晴れの舞台。
最高の「断罪劇」の幕開けだ。
◇
場所を変え、私たちは魔導管理室に戻った。
ジェラルド様は正装である軍服に着替え、胸には勲章を輝かせている。
私もまた、煤けたドレスを着替え、久しぶりに化粧を施した。
「緊張しますか、旦那様」
「まさか。……戦場に出る前と同じ気分だ」
彼は私の肩に手を置き、力強く微笑んだ。
その手から伝わる体温が、私を落ち着かせてくれる。
「では、始めましょうか」
私は制御卓に向かい、王都への直通術式を展開した。
狙うは、舞踏会場の中央に設置された、巨大な幻影投影術式。
本来は国王陛下の御姿を大きく映すためのものだが――今夜だけは、私たちがその舞台を奪う。
「接続開始。……強制介入します!」
私が掌を水晶に叩きつける。
世界が反転するような感覚と共に、私たちの意識は王都へと飛んだ。
◇
王都、王城の大広間。
煌びやかなシャンデリアの下、宮廷楽団の優雅な旋律が流れていた。
着飾った貴族たちが談笑し、グラスを傾けている。
その中心で、恰幅の良い宰相が、取り巻きたちに囲まれて上機嫌に笑っていた。
『いやはや、辺境伯も今日は欠席か。北の田舎暮らしが板についたようですな』
『ははは、違いありません』
宰相がワインを煽った、その時だった。
ブツンッ。
唐突に、楽団の演奏が止まった。
広間を照らしていた魔導灯が一斉に消え、会場が闇に包まれる。
悲鳴とざわめきが広がる中、虚空に巨大な「光の幕」が現れた。
『――ごきげんよう、王都の皆様』
凛とした女の声が、会場全体に響き渡る。
光の中に映し出されたのは、優雅に扇子を持った私――ミランダ・ヴォルフィードの姿だった。
『な、なんだ!? 誰だ!』
宰相が叫ぶ。
私は幻影の中で、優雅にカーテシー(臣下の礼)をした。
『辺境伯夫人、ミランダです。本日は皆様に、北国からの特別な余興をお届けに参りました』
私が扇子を閉じると、幻影が切り替わった。
映し出されたのは、薄暗い牢獄で泣き叫ぶイザベラの姿だ。
『宰相閣下よ! 全部あいつの指示よ! リリアを人質にして……!』
会場が静まり返る。
イザベラの告白が、鮮明な音声と共に再生されていく。
人質。
脅迫。
そして禁忌である「魔導阻害石」の使用。
『馬鹿な……! イザベラだと!?』
宰相の顔から血の気が引いていくのが、こちらの水晶越しにも見えた。
彼は震える手で衛兵を呼ぼうとするが、誰も動かない。
全員が、幻影に釘付けになっているからだ。
告白が終わり、再び場面が変わる。
今度は、私の隣に立つジェラルド様が映し出された。
氷のような冷徹な瞳が、会場の宰相を射抜く。
『……聞こえているか、宰相』
ジェラルド様の低い声が、雷のように轟いた。
会場の空気が張り詰める。
『我が妹リリアを誘拐し、我が領土を危機に晒した罪。そして、禁じられた古代兵器を悪用し、国境の守りを崩そうとした国家反逆罪。……言い逃れができると思うな』
『で、でっち上げだ! これは偽造された幻影だ!』
宰相が喚き散らす。
しかし、ジェラルド様は動じない。
彼は懐から、一枚の羊皮紙を取り出し、貴族たちに見せつけた。
『これは、リリアが隠し持っていた「解毒薬」の鑑定書だ。王家御用達の薬師ギルドにより、王家の管理する倉庫から横流しされた毒物であることが証明されている。……その管理責任者は、誰だったかな?』
逃げ場なし。
宰相が膝から崩れ落ちる。
その時、会場の奥から、威厳ある老人がゆっくりと歩み出た。
国王陛下だ。
陛下は宰相の前で足を止め、冷ややかに見下ろした。
『……見苦しいぞ、宰相』
『へ、陛下……! これは誤解で……』
『余も疑ってはいたのだ。辺境からの報告が途絶え、リリア嬢の姿が見えなくなったことを。……まさか、余の足元でこのような謀略が行われていようとは』
陛下が手を振る。
控えていた近衛兵たちが、一斉に宰相を取り囲んだ。
『連れて行け。……詳しくは、地下の尋問室で聞こう』
『お、お助けを! 陛下ぁぁぁっ!』
宰相の絶叫が遠ざかっていく。
会場はしばらくの沈黙の後、割れんばかりの拍手に包まれた。
それは悪の失脚に対する喝采であり、辺境伯夫婦の勝利を称える音だった。
幻影の中で、ジェラルド様が陛下に向かって深く一礼する。
陛下もまた、鷹揚に頷き返した。
『辺境伯、そしてその妻よ。大儀であった。……後日、改めて王都へ招こう』
『はっ。ありがたき幸せ』
通信が切れる直前。
私は貴族たちに向かって、最後に悪戯っぽく片目を閉じてみせた。
『それでは皆様、良き夜を。……ヴォルフィード家は、いつでも歓迎いたしますわ。ただし』
私は扇子で口元を隠し、微笑んだ。
『招待状なき不法侵入者には、特製の「死の罠」でおもてなし致しますので、ご注意を』
フツッ。
接続を切断する。
管理室に、静寂が戻ってきた。
「……終わりましたね」
私が息を吐くと、ジェラルド様が椅子ごと私を引き寄せ、抱きしめた。
「ああ。完璧だ」
彼の声が、耳元で震えている。
重荷が取れた安堵感。
「これでリリアも帰ってくる。……君のおかげだ、ミランダ」
「ふふっ。技術伯の娘を嫁に貰って、正解でしたでしょう?」
「ああ。俺の人生で、最高の幸運だ」
彼は私の手を取り、その甲に口付けた。
無骨だが、温かい唇の感触。
私は顔が熱くなるのを隠すように、彼の胸に顔を埋めた。
幻影の向こうの華やかな舞踏会よりも、この薄暗い機械油の匂いのする部屋の方が、今の私にはずっと輝いて見えた。
「……帰りましょう、旦那様。今度こそ、誰にも邪魔されない寝室へ」
私が囁くと、彼は力強く頷き、私を抱き上げた。
お姫様抱っこ。
柄にもないことをする。
でも、悪くない。
私たちは足取り軽く、管理室を後にした。
長く、寒かった冬の嵐は、もう過ぎ去っていた。




