第8話 要塞は目覚め、悪意を呑み込む
熱い。
動力炉のある最深部は、灼熱の蒸気と、爆ぜる魔力の火花で満たされていた。
「……野蛮なことをしてくれるわね」
私は咳き込みながら、動力炉の制御盤に駆け寄った。
部屋の中央にある巨大な魔石――この屋敷の心臓が、不規則に明滅し、苦しげな唸り声を上げている。
その基部には、イザベラが投げつけたであろう「魔導阻害石」の破片が突き刺さり、黒い泥のような魔力の澱みを垂れ流していた。
「技術への冒涜だわ」
私は愛用の「魔導調整槌」を振り上げた。
繊細な修理?
いいえ、今は時間がない。
異物は物理的に排除するに限る。
ガァン!!
思い切り叩きつける。
阻害石が砕け散り、黒い煙を上げて消滅した。
しかし、乱れた魔力の波長は収まらない。
血管が詰まった心臓のように、魔力が逆流を続けている。
「術式、強制再構築」
私は制御盤に両手をつき、自身の魔力を流し込んだ。
指先が焼けるように熱い。
私の魔力と、屋敷の魔力が混ざり合い、火花を散らす。
『警告。回路破損。接続できません』
頭の中に響く拒絶の音声。
私は歯を食いしばった。
「黙りなさい! 私が繋げと言っているのよ!」
私は強引に魔力をねじ込んだ。
断絶した回路を迂回させ、焼き切れた術式をその場で書き換える。
汗が目に入る。
ドレスの裾が機械油と煤で汚れる。
構うものか。
私は今、戦っているのだ。
夫が剣で敵を斬り伏せている間に、私は知恵と技術でこの城を守る。
ドォォォォン……!
遠くで爆発音が聞こえた。
ジェラルド様だ。
多勢に無勢。いくら「氷の将軍」でも、数十人を相手に狭い通路で戦い続けるのは限界があるはずだ。
「間に合って……!」
私は叫び、最後のルーン文字を書き込んだ。
カッ!
動力炉の魔石が、強烈な青い光を放った。
不協和音が消え、代わりに低く、力強い駆動音が響き渡る。
ヒュン、と空気が澄んでいく感覚。
熱気が換気口へと吸い込まれ、照明が明るさを取り戻した。
『――中枢術式、復旧。全機能、正常値へ移行』
「よしっ!」
私は小さく拳を握りしめた。
その場にへたり込みそうになるのを堪え、壁の「監視盤」を見る。
映し出されたのは、一階の大広間へと続く大階段だ。
そこでは、ジェラルド様が獅子奮迅の働きを見せていた。
しかし、敵の数は多い。
じりじりと包囲され、階段の中腹まで押し込まれている。
『へへっ、観念しろ! 辺境伯の首を取れば大金星だ!』
傭兵風の男たちが、下卑た笑いを浮かべて剣を突き出す。
ジェラルド様の背中が、壁に当たる。
逃げ場はない。
「……私の夫を、随分といじめてくれたわね」
私はニヤリと笑った。
制御盤のレバーを握る。
ここからは、私の手番だ。
「屋敷の機能は全て戻ったわ。……さあ、死の舞踏会の始まりよ」
私はレバーを「迎撃態勢」へと叩き込んだ。
◇
戦況の変化は、劇的だった。
ジェラルド様に斬りかかろうと、大階段を駆け上がっていた兵士たち。
その足元の石段が、突然、消失した。
『え?』
誰かが間の抜けた声を上げる。
階段の段差がなくなり、またたく間に急勾配の「斜面」へと変化したのだ。
『う、うわあああああっ!?』
重心を失った兵士たちが、将棋倒しになって滑り落ちていく。
重い鎧を着ているせいで止まれない。
彼らは団子状態になって転がり落ち、大広間の床に激突した。
『な、なんだ!? 何が起きた!』
混乱する敵兵たち。
しかし、屋敷の悪意はそれで終わりではない。
「逃がさないわよ」
私は次なる紋章を押す。
『捕縛術式、展開』
大広間の床の絨毯が、まるで生き物のように波打ち、立ち上がった。
それは転がった兵士たちを簀巻き(すまき)のように包み込み、きつく締め上げる。
『ぎゃあああ! 絨毯が! 絨毯が食ってくる!』
悲鳴が響く。
さらに、天井のシャンデリアが不気味に揺れ、そこから無数の鎖が垂れ下がってきた。
逃げ惑う兵士の足を絡め取り、逆さ吊りにする。
まさに、屋敷全体が襲いかかってくる恐怖。
これが古代魔導要塞、ヴォルフィード邸の真の姿だ。
階段の上に残されたジェラルド様は、呆気にとられたようにその惨状を見下ろしていた。
そして、ふと虚空を見上げ――私の見ている監視盤に向かって、ニヤリと笑ってみせた。
『……最高の援護だ、ミランダ』
その唇が動くのを、私は確かに読み取った。
胸が熱くなる。
ああ、なんて頼もしい共犯者。
「まだ終わりませんわ」
私は監視盤の視点を切り替えた。
混乱に乗じて、一人だけ玄関ホールへと逃げ出そうとしている人影がある。
ボロボロのドレスを着た女。
イザベラだ。
『開け! 開きなさいよ!』
彼女は玄関の扉をガンガンと叩いている。
しかし、復旧した防御結界によって、扉はびくともしない。
『なんで……なんでよ! 私は宰相閣下の代理人よ! こんなところで!』
彼女が絶叫する。
私は冷ややかにその背中を見つめた。
逃がすわけがない。
貴女には、自分が何をしたのか、たっぷりと反省してもらわなければならない。
私は「空間転移」の術式を構築した。
屋敷内部の回廊を繋ぎ変える、短距離転移だ。
「貴女の行き先は、外ではありません」
指先で座標を指定する。
目的地は、地下の「特別独房」。
かつて罪人を閉じ込めていた、光も音も届かない石牢だ。
「さようなら、泥棒猫さん」
起動紋を押す。
『いやぁぁぁぁっ!』
イザベラの足元に魔法陣が輝き、彼女の姿がかき消えた。
転移完了。
これで、彼女は誰にも見つけられない闇の中で、己の罪と向き合うことになる。
私は大きく息を吐き、制御盤から手を離した。
終わった。
侵入者は全員無力化。
主犯格は確保。
屋敷の機能は正常。
膝から力が抜け、私はその場に座り込んだ。
緊張の糸が切れ、指先が震えている。
怖かった。
本当は、すごく怖かった。
でも、守れた。
「……ミランダ!」
焦ったような声と共に、動力炉室の扉が開かれた。
ジェラルド様だ。
彼は剣を捨て、私の元へ駆け寄ってきた。
「無事か!? 怪我は!」
「……平気、ですわ。ちょっと魔力を使いすぎましたけど」
私が力なく笑うと、彼は安堵のため息をつき、いきなり私を抱きしめた。
汗と、鉄と、血の匂い。
でも、不快ではなかった。
彼の心臓の音が、私の耳元で力強く響いている。
「よくやった……。本当に、よくやってくれた」
彼の腕に力がこもる。
「氷の将軍」が、子供のように震えていた。
「君がいなければ、俺は家も、妹も、誇りも失っていた。……ありがとう」
私は彼の背中に手を回そうとして、自分の手が煤で真っ黒なことに気づき、躊躇った。
でも、彼は構わず私を強く抱きしめ続ける。
「旦那様、軍服が汚れますわ」
「構わん。……これが、俺たちの勝利の勲章だ」
彼は顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見つめた。
そこにはもう、迷いも隠し事もなかった。
「ミランダ。改めて言わせてくれ」
彼の青い瞳が、熱を帯びて揺れている。
「愛している。……政略でも、義務でもない。俺は、君という女性に惚れている」
ドクン、と胸が跳ねた。
今度は脅迫でも、嘘でもない。
本物の言葉。
私は視界が滲むのを感じた。
ああ、計算外だ。
こんなに汚れた顔で、こんな場所で、求婚のやり直しをされるなんて。
「……私もです、ジェラルド様」
私は涙を拭うのも忘れ、微笑んだ。
「貴方のその不器用なところ、嫌いではありませんわ」
瓦礫と機械油の臭いが充満する動力炉室で。
私たちはようやく、本当の意味で夫婦になった。
だが。
まだ一つだけ、片付けなければならない仕事が残っている。
「……ジェラルド様。イザベラの処遇と、黒幕への『お返し』について、相談がありますの」
私が涙を拭いて切り出すと、ジェラルド様は獰猛な笑みを浮かべた。
「奇遇だな。俺も同じことを考えていた」
反撃は終わらない。
私たちを嵌めた宰相閣下に、特大の請求書を送りつけに行こう。




