第6話 王都への意識潜行
深夜の魔導管理室。
私は制御卓に向かい、神経を研ぎ澄ませていた。
目的は一つ。
ここから遠く離れた王都にある、ヴォルフィード家の別邸に「潜入」することだ。
もちろん、物理的にではない。
魔導術式による、意識と情報の潜行だ。
「……距離は三百キロ。遠いけれど、道は繋がっている」
私は深呼吸をし、台座の巨大な水晶球に両手をかざした。
この世界には、地中を流れる魔力の奔流――「地脈」が存在する。
私の実家である技術伯爵家は、かつて王国の依頼を受け、この地脈を利用した通信網や防衛結界の整備を行った。
つまり、王都の主要な魔導設備は、すべて私の父や祖父が設計したものなのだ。
そして、技術屋というのは用心深い生き物だ。
万が一の保守点検のために、必ず「職人用の裏口」を用意しておく。
公式な記録には残らない、設計者だけが知る秘密の侵入経路を。
「術式展開。地脈への同調、開始」
私の魔力を鍵に、水晶球が激しい明滅を始めた。
意識が肉体を離れ、光の奔流へと吸い込まれていく感覚。
視界が白く染まる。
膨大な魔力の海を泳ぎ、私は一直線に王都を目指した。
『――接続先、特定。王都第一区、ヴォルフィード別邸』
頭の中に合成音声が響く。
視界が開けた。
そこに見えたのは、暗闇に沈む王都の街並みと、その一角に建つ瀟洒な屋敷の俯瞰図だった。
「防衛結界の階梯は?」
『旧式第三階梯。穴だらけです』
私は鼻で笑った。
最新鋭の要塞であるこの屋敷に比べれば、王都の別邸など紙細工も同然だ。
宰相派の連中も、まさか数百キロ離れた辺境から、屋敷の結界を乗っ取られるとは夢にも思わないだろう。
「侵入開始。……結界の管理権限を書き換えます」
私は指先を動かし、空中に浮かぶルーン文字の配列を組み替えていく。
警報を鳴らさず、静かに、誰にも気づかれずに。
まるで鍵穴にぴたりと合う合鍵を作るように。
カチリ。
脳内で小さな音がした。
『掌握完了。別邸内の「映写水晶」および「伝声石」への接続を確立』
「よし」
私は別邸内部の映像を呼び出した。
目指すは、リリア様がいるはずの主寝室だ。
映像が切り替わる。
天蓋付きの寝台。
卓上には飲みかけの水と、大量の薬瓶。
そして、寝台の上で力なく身を起こしている少女の姿があった。
月明かりに照らされたその顔は、ジェラルド様によく似ていた。
整った顔立ちだが、病的に白い。
彼女が、リリア様だ。
彼女は苦しげに胸を押さえ、何かを羊皮紙の束に書き記していた。
「……聞こえますか、リリア様」
私は寝室の隅にある、魔導ランプの伝声機能を使い、極力優しい声で呼びかけた。
ビクッ!
リリア様が肩を跳ねさせ、ランプの方を向いた。
『だ、誰……?』
震える声。
無理もない。
無機質なランプから突然話しかけられたのだから。
「怪しい者ではありません。……いえ、怪しいですね。でも、貴女の味方です」
私は努めて冷静に告げた。
「私はミランダ。貴女の兄、ジェラルド・ヴォルフィードの妻です」
沈黙が流れた。
彼女の大きな瞳が、驚きに見開かれる。
『お兄様の……奥様?』
「はい。現在、ジェラルド様と共に辺境の屋敷にいます。……少し複雑な事情がありまして、こうして遠隔の術式で話しかけています」
彼女は警戒するように目を細めた。
聡明な子だ。
すぐに信用したりはしない。
『証拠は? お兄様は、私になんて呼ぶか知っていますか?』
試されている。
私は記憶を探った。
先ほど見たジェラルド様の過去映像。
彼は妹のことを何と呼んでいたか。
「……『リリア』と。愛称ではなく、名前で。ジェラルド様は身内に対して、変に甘えた呼び方をなさらない方ですから」
リリア様が、ふっと息を吐いた。
警戒の色が少しだけ和らぐ。
『……そうです。お兄様は、そういう不器用な方です』
彼女は寝台から降り、ランプに近づいてきた。
足取りは覚束ないが、その瞳には強い光が宿っていた。
『ミランダ義姉様。……お兄様の手紙に、貴女のことが書いてありました』
「え?」
予想外の言葉に、私は素っ頓狂な声を出してしまった。
手紙? あの氷の将軍が?
『「妻は、俺には理解できないほど難解な図面を愛する、変わった女性だ」と』
「……褒め言葉には聞こえませんわね」
『続きがあります。「だが、その瞳は常に真実を見ようとしている。俺は彼女の、その揺るぎない知性を尊敬している」……と』
顔が熱くなるのを感じた。
何それ。
直接言ってよ。
いや、直接言われたら爆発してしまうかもしれないけれど。
『義姉様。……お兄様は今、苦しんでいるのでしょう? 私のせいで』
リリア様の声が沈んだ。
彼女は自分の置かれた状況を正確に理解していた。
自分が人質であり、兄が言いなりになっていることを。
「ええ。ですが、それも今夜で終わりです」
私は意識を引き締め、本題に入った。
「リリア様。今から私の言う通りに行動してください。貴女を、その部屋から『消して』みせます」
『消す……? でも、屋敷の外には見張りの兵がいます』
「外には逃げません。……その部屋の暖炉の裏に、隠し扉があるのをご存知ですか?」
『隠し扉?』
「ええ。曾祖父様が屋敷を改築した際、緊急用の『隠し避難所』を作らせました。図面には載っていない、完全な密室です」
私は頭の中にある設計図を展開する。
技術伯家の仕事は、いつだって完璧だ。
「暖炉の右側の装飾、獅子の口の中に指を入れて、魔力を流してください」
リリア様は頷き、よろめきながら暖炉へ向かった。
言われた通りに操作すると、ゴゴゴ……と石が擦れる重い音を立てて、暖炉の奥の壁が横へと滑った。
中には、狭いが清潔な小部屋と、数日分の水と食料、そして簡易寝台が見えた。
『すごい……こんな場所が』
「中は外部からの探知魔法を完全に遮断する結界が張られています。そこに入り、内側から鍵をかけてください。私が外から『認識阻害』の術式を重ねがけします」
そうすれば、見張りが入ってきても「リリア様が消えた」ようにしか見えない。
屋敷中を探しても見つからない。
外部へ逃げた痕跡もない。
敵は大混乱に陥るだろう。
「一つだけ条件があります。……解毒薬が切れるまで、あと何日持ちますか?」
『……あと三日です。それ以上は、発作が起きて……』
「十分です」
私は断言した。
「三日以内に、私が必ず決着をつけます。ジェラルド様を解放し、正規の解毒薬を持って、貴女を迎えに行きます。ですから、それまで誰にも見つからずに、そこで耐えていただけますか?」
リリア様は、隠し部屋の中で私に向かって微笑んだ。
その笑顔は、ジェラルド様にそっくりだった。
『信じます。……だって、あのお兄様が選んだ方ですもの』
彼女はランプを隠し部屋の中に持ち込み、扉を閉めた。
ガチャン、という施錠音が、王都から数百キロ離れた私の耳元で響く。
『……掌握術式、完了。生体反応、隠蔽』
合成音声が告げる。
これで、リリア様はこの世界から「消失」した。
宰相派は明日、空っぽの寝台を見て半狂乱になるだろう。
人質はいなくなったのだ。
私は意識を自分の肉体に戻した。
目を開けると、いつもの薄暗い管理室だ。
額にはびっしりと汗をかいていた。
「……成功ね」
私は大きく息を吐き、椅子の背もたれに倒れ込んだ。
これで、最大の弱点は消えた。
イザベラが持っている「今月分の薬」は、もはや脅し文句にはならない。
なぜなら、人質が消えた以上、彼女たちは取引材料を失ったからだ。
「さあ、反撃の時間よ」
私は立ち上がり、壁の映写水晶を見上げた。
そこには、何も知らずに眠るジェラルド様の部屋が映っている。
彼は椅子に座ったまま、壁にもたれて仮眠を取っていた。
その顔には、深い疲労が刻まれている。
もう、貴方が膝を屈する必要はない。
私が、その鎖を断ち切ったから。
私は伝声管ではなく、自分の喉で呟いた。
「おはようございます、旦那様。……今日は、とても良い天気になりそうですわよ」
外はまだ吹雪いているけれど。
この屋敷に吹き荒れていた嵐は、まもなく終わる。
私はニヤリと笑い、次なる一手――「イザベラ追放作戦」の仕上げに取り掛かった。




