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悪役令嬢は引きこもる  作者: 九葉(くずは)


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第5話 監視水晶は見た!

深夜。

私は眠れずに、制御卓の前に座っていた。


胃の中には、まだあのパンの温かさが残っている。

それがどうにも、居心地が悪い。


「……惑わされては駄目」


私は自分に言い聞かせる。

ジェラルド様は敵だ。

私を裏切り、泥棒猫を屋敷に引き入れた男だ。

たかが一度、食事を運んでくれたくらいで絆されてどうするの。


「証拠……証拠が必要ね」


あの男が私を愛していないという、確固たる証拠が。

そうすれば、この胸のざわめきも収まるはずだ。


私は映写水晶クリスタルを操作した。

現在時刻の映像ではない。

「過去の記憶」を呼び出す。

この屋敷の監視術式は優秀だ。

屋敷の魔力が続く限り、数日前の光景まで遡って再生できる。


「見せてみなさい。貴女たちがどれだけ愛し合っているのかを」


私は指先で、イザベラの部屋――今は灼熱地獄から解放され、多少は温度が下がった客間――を指定した。

時間は、昨夜。

私がイザベラを熱責めにした直後の映像だ。


水晶の中に、荒れ果てた部屋が浮かび上がる。

ドロドロになった化粧を落とし、不機嫌そうに髪を拭くイザベラ。

そこへ、ジェラルド様が入室してくるのが見えた。


『……大丈夫か』


ジェラルド様が声をかける。

優しい声だ。

やはり、愛人を心配しているのか。

私は冷めた目で画面を睨んだ。


しかし、次の瞬間。

イザベラの態度が豹変した。


バシャッ!


彼女は手にした濡れ手拭いを、ジェラルド様の顔に投げつけたのだ。


『大丈夫なわけないでしょう!? あの女、殺してやるわ!』


半狂乱で叫ぶイザベラ。

ジェラルド様は無表情のまま、手拭いを払い落とした。

怒るでもなく、ただ静かに彼女を見下ろしている。

その目は……まるで汚物を見るような、冷え切った目だった。


(……え?)


予想外の反応に、私は瞬きをした。

恋人に向ける目ではない。


『ジェラルド! お前が不甲斐ないからよ! さっさとあの扉を壊して、あの女を引きずり出しなさい!』


『……扉は魔導結界で守られている。無理だと言ったはずだ』


『言い訳はいいわ!』


イザベラがジェラルド様の胸倉を掴んだ。

身長差があるため、ぶら下がっているようにしか見えないが、彼女の表情は必死だ。

そして、彼女は懐から「小さな小瓶」を取り出した。


それを見た瞬間、ジェラルド様の顔色が変わった。

恐怖、焦燥、そして絶望。

「氷の将軍」と呼ばれた男が、震えている。


『……今月の分よ。リリアの薬』


イザベラが小瓶をちらつかせて笑った。

リリア?

確か、ジェラルド様の妹君の名前だ。

病弱で、王都の別邸で療養していると聞いているが。


『お前が私の言うことを聞かないなら、この瓶……ここから王都へ送る便には乗せないわよ?』


『やめろ!!』


ジェラルド様が叫んだ。

その悲痛な響きに、私は息を呑んだ。


『リリアには時間がないの。この「解毒薬」を飲まなければ、あの子の血は腐って、二度と目覚めなくなるわ』


解毒薬。

その単語が、私の脳内で謎の欠片ピースを繋ぎ合わせた。


病弱なのではない。

毒を盛られているのだ。

それも、生かさず殺さず、定期的に薬が必要な種類の毒を。

そしてその供給権を、この女――いや、この女の背後にいる「誰か」が握っている。


『……頼む。それだけは』


ジェラルド様が、膝をついた。

誇り高い辺境伯が、泥棒猫の足元に跪いている。


『言うことを聞く。だから、薬を送ってくれ。妹だけは……巻き込まないでくれ』


『だったら!』


イザベラが彼の髪を乱暴に掴み上げた。


『あの女に「管理権限」を放棄させなさい! どんな手を使ってもよ! 愛しているフリでも何でもして、あの部屋から出しなさい!』


『…………分かった』


ジェラルド様が、掠れた声で答える。

その拳は、血が滲むほど強く握りしめられていた。


プツン。

私は映像を切った。


部屋に静寂が戻る。

ただ、魔導熱盤の低い駆動音だけが聞こえる。


「……馬鹿な人」


私は呟いた。

震える手で、自分の口元を覆う。


騙されていたのは、私の方だった。

彼は私を裏切ったのではない。

守ろうとしたのだ。

妹の命を。

そしておそらく、私の命も。


もし彼が私に事情を話せば、私はイザベラと敵対し、リリア様の薬は止められていただろう。

だから彼は沈黙を選んだ。

「不誠実な夫」という汚名を被ってでも、私を遠ざけ、妹を生かすために。


「……全部、繋がったわ」


初夜の「愛している」という言葉への短い肯定。

あれは愛の告白への同意ではなく、脅迫への屈服だったのだ。

あの時、彼がどれほどの屈辱を感じていたか。

想像するだけで、胸が締め付けられる。


私は椅子から立ち上がり、部屋の中を歩き回った。

怒り。

猛烈な怒りが湧き上がってくる。

ジェラルド様にではない。

人の命を道具にし、家族の絆を踏みにじる、あの女と黒幕に対してだ。


「許さない」


私は制御卓に戻り、両手をついた。


「よくも私の夫を……私の家族を、愚弄してくれたわね」


私の目は、もう泣いてなどいない。

技術屋の目は、問題解決のためにある。

敵の正体と弱点が分かれば、あとは「修理」するだけだ。


私は操作盤のルーン文字を叩いた。

兵糧攻めは継続だ。

イザベラには、地獄を見てもらわなければならない。


しかし。

私は指先を滑らせ、一つの術式を変更した。


「上水道制御、一部解除。……主寝室の吐水口のみ、給湯術式を再接続」


カチリ、と音がして、水晶が承認の光を放つ。

これくらいは、許されるだろう。

あの煤まみれの顔を、温かいお湯で洗ってほしい。


これは降伏ではない。

共闘のための、ささやかな補給だ。


「待っていてください、ジェラルド様」


私は水晶の中に映る、誰もいない廊下に向かって誓った。


「貴方の背負っている荷物、私が半分持ちますわ。……いえ、全部まとめて私が爆破して差し上げます」


技術伯の娘を敵に回したことを、骨の髄まで後悔させてやる。

私はドレスの袖を捲り上げ、新たな作戦の構築を開始した。

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