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悪役令嬢は引きこもる  作者: 九葉(くずは)


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3/10

第3話 灼熱の寝室と、氷の視線

籠城生活、二日目の昼。

地下の魔導管理室は、相変わらず春のように快適だ。

しかし、映写水晶クリスタルに映る地上の様子は、目に見えて荒んでいた。


まず、空気が澱んでいる。

映像からは匂いまでは伝わらないが、鼻をつまんで歩くメイドたちの姿を見れば想像がつく。

私が上水道を止め、汚水路の流れを滞らせたせいだ。

屋敷中のかわやは、すでに限界を迎えているだろう。


「……自業自得ね」


私は優雅にページを捲る。

手元にあるのは『古代魔導回路・排熱構造論』。

読みかけの専門書だ。


その時、水晶の一つから甲高い声が聞こえてきた。


『皆さん! 聞いてちょうだい!』


大広間だ。

暖炉が消えて寒々しいその場所に、厚着をした使用人たちが集められている。

中心に立っているのは、我が家の「泥棒猫」ことイザベラだ。

彼女だけは、どこから調達したのか、最高級の毛皮のコートを羽織っている。


『あの女――ミランダは魔女よ! 悪魔に魂を売って、この屋敷を乗っ取ったの!』


イザベラが身振り手振りを交えて演説をぶっている。

その横には、険しい顔をした夫、ジェラルド様の姿もあった。


『私たちを凍えさせ、飢えさせ、汚物にまみれさせるなんて、貴族のすることじゃないわ! 旦那様、何か仰ってください!』


イザベラがジェラルド様に水を向ける。

ジェラルド様は苦虫を噛み潰したような顔で、重い口を開いた。


『……ミランダには、考えがあるのだろう』


『考えですって!? ただの狂気よ! 私なら、もっと慈悲深くこの家を治めてみせるわ。ねえ、みんなもそう思うでしょ!?』


使用人たちが顔を見合わせ、力なく頷く。

寒さと空腹で判断力が鈍っているのだ。

無理もない。


「……へぇ」


私はパタン、と本を閉じた。

随分と大きく出たものね。

私が「魔女」で、貴女が「慈悲深い聖女」気取り?


「不愉快だわ」


私は椅子を回転させ、制御卓に向き直った。

ただ全体を攻撃するだけでは、私がただの癇癪かんしゃく持ちだと思われてしまう。

ここらで一つ、「格」の違いを見せておく必要があるだろう。


私は屋敷の「環境制御術式」を展開した。

複雑なルーン文字が空中に羅列される。


「目標、東棟二階、客間『薔薇の間』。……イザベラの私室ね」


指先でルーンを書き換えていく。

屋敷全体の気温は「氷点下」に設定されているが、この機構は部屋単位での微調整が可能だ。


「貴女、寒いのがお嫌いなんでしょう? 特別に暖めて差し上げるわ」


設定温度、灼熱の五十度。

湿度、百パーセント。

ついでに、換気ファンの逆回転による「熱風循環」の付加術式を追加。


「術式固定。……発動」


私は意地悪く口角を上げた。

さあ、慈悲深い私からのプレゼントよ。



変化は劇的だった。

大広間での演説を終え、イザベラが得意げな顔で自室に戻ってから、わずか十分後のことだ。


『あ、あつ……!? 何よこれ!?』


映写水晶の中で、イザベラが自分の首元を掻きむしり始めた。

部屋に入った瞬間、そこは灼熱の砂漠と化していたからだ。

壁の通気口からシュウシュウと蒸気が噴き出し、視界が白く濁っていく。


『窓! 窓が開かないわ!』


彼女は窓に駆け寄るが、当然、私の封鎖術式によってびくともしない。

五十度の熱気が、厚着をした彼女を襲う。

高価な毛皮のコートが、今はただの拘束具だ。

慌てて脱ぎ捨てようとするが、汗で肌に張り付いて脱げない。


『誰か! 誰か開けて! 焼け死んじゃう!』


彼女は扉を叩くが、外には誰もいない。

使用人たちは皆、主人の命令で一階に集まっているからだ。


そして、悲劇は顔面に訪れた。


『いやぁぁぁっ! 私の顔が!』


鏡の前で絶叫するイザベラ。

厚塗りの白粉おしろいが、熱と湿気でドロドロに溶け出し、顔面を濁った川のように流れ落ちていく。

睫毛まつげを長く見せるための煤墨すすずみが目の周りに広がり、まるで亡者のような形相だ。


「ふふっ。化けの皮が剥がれましたわね」


私は冷めた黒豆茶を啜りながら、その様子を鑑賞する。

そこへ、異変を察知したジェラルド様が廊下を走ってきた。


『イザベラ!? どうした、部屋から熱気が……』


ジェラルド様が無理やり扉をこじ開ける。

途端、廊下に猛烈な白煙(湯気)が溢れ出した。

その中から、ドロドロの顔をした半裸の女が這い出してくる。


『水ぅ……水をぉ……』


もはや貴族の令嬢としての尊厳はない。

ジェラルド様は息を呑み、後ずさった。

そして、ゆっくりと虚空を見上げた。


水晶越しに、彼と目が合った気がした。


彼の瞳にあるのは、軽蔑ではない。

戦慄だ。

彼は気づいたのだ。

私が屋敷全体を適当に壊しているのではなく、狙った場所、狙った人間だけを、ピンポイントで地獄に落とせるという事実に。


『……ミランダ』


ジェラルド様の唇が動くのが見えた。


『君は、どこまで見えているんだ』


お生憎様。

全部見えていますよ。

貴方がその泥棒猫の腰に手を回すフリをして、実は触れないように服の布地だけを掴んでいたことも。


「……あら?」


私は映像を拡大した。

確かに、ジェラルド様の右手が、イザベラの腰から数ミリ浮いている。

昨夜の抱擁の時もそうだったのだろうか?


「ま、まさかね」


私は首を振った。

あの男は「氷の将軍」。女心が分からない不器用な男だ。

単にイザベラの汗で汚れるのを嫌がっただけに違いない。


私は興味を失い、映像を切り替えた。

廊下では、化け物のような顔になったイザベラを見て、メイドたちが悲鳴を上げて逃げ惑っている。

これで少しは、誰がこの屋敷の真の「支配者」か理解したことだろう。


「さて、次はどの機能を『調整』しましょうか」


私は制御卓の盤面を指で叩く。

兵糧攻めは順調だ。

食料庫の鍵も、遠隔操作で封鎖してある。

そろそろ、彼らの空腹も限界に達する頃合いだ。


私は引き出しから、糖蜜漬けの果物を取り出した。

甘い。

背徳的な味がする。


扉の向こうの住人たちが、私に降伏の白旗を上げるまで。

この優雅で残酷な駆け引きは終わらない。

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