第10話 私たちの愛すべき引きこもり生活
騒動から一週間。
ヴォルフィード辺境伯邸は、以前とは全く違う姿に生まれ変わっていた。
「奥様! 素晴らしいです! この『自律清掃の魔導具』のおかげで、廊下の拭き掃除が十分の一の時間で終わります!」
メイド長が、涙ぐみながら報告してくる。
彼女の足元では、私が動力炉の余剰魔力で動くように改造した「亀型の床磨き機」が、せっせと床を磨いていた。
「それは重畳。……空いた時間で、図書室の整理をお願いね」
「はいっ! 喜んで!」
私は優雅に茶を啜る。
かつて私を「陰気な女」と陰口を叩いていた使用人たちは、今や私の信奉者だ。
無理もない。
私が屋敷の機能を完全掌握し、彼らの労働環境を劇的に――主に魔導具による自動化で――改善したのだから。
「奥様は女神だ」「いや、魔導の女神だ」という声が聞こえるが、訂正はしない。
快適な引きこもり生活のためには、周囲の環境整備が不可欠なのだ。
そこへ、玄関ホールが騒がしくなった。
「お兄様! 義姉様!」
明るい声と共に、馬車から飛び出してきたのは、リリア様だった。
病み上がりとは思えない健脚で駆け寄ってくると、出迎えに出ていたジェラルド様に目もくれず、私に抱きついてきた。
「義姉様! 会いたかったです!」
「お、お帰りなさいませ、リリア様」
私は面食らいつつも、彼女の背中を撫でた。
華奢な体だが、その瞳はジェラルド様と同じ、意志の強い青色をしている。
「あの『隠し避難所』、最高でした! 狭くて、静かで、誰にも邪魔されなくて……私、あそこを私の私室にしたいです!」
リリア様が目を輝かせて言う。
おや。
この子も、もしや「素質」があるのだろうか。
「ふふ、気が合いますわね。今度、もっと快適にするための遮音術式をお教えしますわ」
「はい! ぜひ!」
手を取り合って盛り上がる私たちを見て、ジェラルド様が苦笑しながら近づいてきた。
「……俺の出迎えは無しか」
「あら、お兄様もいたのですか? 義姉様があまりに素敵なので、目に入りませんでした」
リリア様が悪戯っぽく舌を出す。
ジェラルド様は「やれやれ」と肩をすくめたが、その表情は崩れるほどに緩んでいた。
妹が無事に帰ってきた。
その事実だけで、彼の心にあった氷壁は完全に溶けてしまったようだ。
◇
その夜。
リリア様を旅の疲れを癒やすために早めに休ませた後。
私とジェラルド様は、主寝室にいた。
あの初夜の日、私が走って逃げ出した、因縁の部屋だ。
しかし今は、冷たい隙間風も、不穏な空気もない。
私が調整した空調術式のおかげで、室内は陽だまりのように温かい。
ジェラルド様が、二つの硝子杯に葡萄酒を注ぐ。
「……やり直させてくれ、ミランダ」
彼は杯の一つを私に手渡し、真剣な眼差しで見つめてきた。
「あの夜、君を一人にしたことを。君の手を取れなかったことを、ずっと悔いていた」
「もう、その話は終わりですわ」
私は杯を彼のものに軽く合わせた。
チン、と澄んだ音が響く。
「結果的に、屋敷の防衛網の綻びも見つかりましたし、害虫駆除もできました。……それに」
私は少し顔を赤らめて、続けた。
「貴方の本心も、知ることができましたから」
ジェラルド様は照れくさそうに鼻を擦り、それから一歩、私に近づいた。
大きな手が、私の頬を包み込む。
「ミランダ。俺は不器用で、言葉足らずな男だ。また君を怒らせたり、誤解させたりするかもしれない」
「その時は、また管理室に引きこもりますわ」
「それは困る」
彼が困ったように笑い、私の腰を引き寄せた。
「だから、これからは。……君と同じ部屋に、引きこもらせてほしい」
「……え?」
「君がいないと、俺は駄目なんだ。君の知恵も、その強がりなところも、全部含めて」
彼は私の耳元で囁いた。
「俺を、君の共犯者にしてくれ。一生」
それは、どんな甘い愛の言葉よりも、私の胸に深く突き刺さった。
共犯者。
この広い世界から扉を閉ざし、二人だけの世界を作る相手。
それは私にとって、最高の求婚だった。
「……仕方ありませんわね」
私は彼の首に腕を回し、背伸びをした。
「私の半分を貴方に譲渡します。……大切にしてくださいね?」
「ああ。命に代えても」
ジェラルド様が、私の唇を塞いだ。
今度は、儀式的な口付けではない。
互いの体温を確かめ合うような、深く、優しい口付け。
私は目を閉じた。
頭の中にある複雑な図面も、魔導回路の計算式も、今はすべて消え去っていく。
残ったのは、彼の温もりと、満ち足りた幸福感だけ。
窓の外では、また北部の雪が降り始めたらしい。
でも、もう怖くはない。
ここは世界で一番堅牢な要塞。
そして、愛する人と二人きりになれる、最高の「引きこもり場所」なのだから。
ジェラルド様が、指を鳴らして部屋の明かりを落とす。
私は彼に身を委ねながら、心の中で最後の術式を紡いだ。
『全館、安息の刻へ移行。……ただし、この部屋への干渉は、朝まで一切拒絶する』
おやすみなさい、世界。
私たちは今から、とても忙しくなるのです。
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