第15話 雪と桜
海軍航空祈動学校の入校式は、4月上旬に行われる。
俺がこの世界にやってきたのは昨年の8月だから、約8か月が経過したことになる。
良くも悪くも、少しは俺もこの世界に慣れてきたものだ。
入校式の当日は午前5時に起床した。
午前9時には到着して入校手続きを済ませ、手荷物を学生寮の自分の部屋に運び入れよとの指示だったため、だいぶ早い目覚めである。
約8か月過ごしたこのアパートの部屋とも、今日でお別れだ。
姉ちゃんと最後の朝食をゆっくりと取った。
「こどもはいつか大人になるもの、とは言え、いざ巣立つとなると寂しいわね……」
「姉ちゃん、なにをお母さんみたいなこと言ってるの。」
思わず、笑いながら返した。
「実際、お母さん代わりだったじゃない。寂しがる権利は十分にあるわ。」
姉ちゃんは、少し不満そうに頬を膨らませて答えた。
我が姉ながら、かわいい。
「もちろん感謝しているよ。記憶喪失の日から今日まで、姉ちゃんがいたから何とかやってこれた。」
少し迷いつつ、俺は告げることにした。
「――立派な航空祈動士になって、姉ちゃんのことを守るから。」
気恥ずかしさを堪えて、そう約束した。
こんな言葉、元の世界だったら口に出せなかったかもしれない。
「――うん、頼もしい弟を持てて嬉しいわ。」
姉ちゃんは、いつもの大好きな笑顔で言ってくれた。
入校後は自由な外出はできなくなるけど、長期休暇や記念日などは届け出れば外出は認められると聞いている。
すぐに元気な姿を見せに行こう――そう心に決めた。
朝食後、歯みがきや整髪などで身だしなみを整え、あらかじめ入校前に採寸しておいた祈動学校の制服を手に持つ。
海軍航空祈動学校の制服は、海軍航空祈動連隊の第一種軍装――紺色の制服を模してデザインされている。
その制服の袖に手を通し、前ボタンを留めた。
玄関で姉ちゃんと少しだけ言葉を交わすと、「いってきます」と未練を断ち切るようにドアを閉じる。
そのまま学校の最寄り駅へと列車で移動し、最寄り駅から学校の校門まで歩いていく。
元の世界だと温暖化が進んでいるからか、桜も3月下旬には満開になっている印象だったが、この世界では4月上旬のいまが満開のようだ。
春の陽光も相まって、穏やかな気持ちで校門までの坂を登ると、“帝国海軍航空祈動学校”と書かれた校門が見えてきた。
赤レンガの門柱に黒鉄で作られた校門は、とても立派だった。
――ここで2年間過ごすのか。
元の世界でどの大学に進むべきか悩んでいた自分が、まさか軍学校に進学することになるとは。
そんな感慨にふけりながら、校門前で気合を入れ直していると――
「緊張しますよね?」
「うおわっ!!」
すぐ隣から声が聞こえてきた。
完全に不意打ちである。
隣を見ると、俺と同じ祈動学校の制服に身を包んだ女の子が立っていた。
「驚かさないでくれ……。せっかく登った坂から転げ落ちたらどうしてくれる。また登るのが大変だろうが!」
「ふふ、転げ落ちる方ではなく、登るのが大変なんですね。」
隣の女の子は、クスクスと可憐な笑い声を漏らした。
その女の子の第一印象は、「まるで雪のようだな」というものだった。
色白の肌に銀色に近い髪。そして、瞳の色は少し灰色がかった青色をしていた。
「………………」
言うまでもなく、日本人は黒髪に黒目が圧倒的に多い。
この世界にカラーリングやカラーコンタクトが存在しているのか分からないが、少なくとも俺は一度も見ていないし、規律の厳しい軍学校がそれを認めることはないだろう。
俺がつい押し黙っていると、彼女の方から事情を教えてくれた。
「大丈夫です。驚くのも無理はありません。私、“黒キ影”から逃れてきた難民の、ロシア系二世なんです。」
俺は、その言葉で彼女の境遇を察した。
“黒キ影”難民のロシア系二世――
それは、文字通り“黒キ影”の脅威により、難民としてロシアから日本に移住してきた人たちの子孫を指す。
1941年に世界で初めて“黒キ影”が出現し、ハワイ諸島を占拠したあと、その奪還の目処が立たないまま、翌年の1942年に南アメリカ大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸中央部の3か所に、“黒キ影”が同時に出現した。
これは、現在人類が置かれている苦境の直接的な原因となる事件であり、諸悪の根源と言っても良い。
ユーラシア大陸中央部に出現した“黒キ影”は、またたく間に勢力を拡大した上で北進を開始し、中国やロシア、モンゴルといったユーラシア大陸中央部にある国家を脅かすことになった。
中でも当時、血で血を洗うような凄惨な戦争――第二次世界大戦をヨーロッパで戦っていたロシアにとって、突然もう一つの戦線が東にできたのだ。
その絶望は想像に難くない。
最終的に当時のロシア政府は苦渋の決断――戦力の西部集中、すなわちウラル山脈以東からの事実上の兵力撤退を決めた。
結果的に黒キ影”の北進は、中国軍や日本陸軍をはじめとした大陸同盟の奮闘もあり、現在もかろうじて中国で止まっている。
だが、第二次世界大戦は終結したものの、今度はヨーロッパで“黒キ影”との戦線を抱えることになったロシアは、現在もウラル山脈以東への再派兵に転じることができず、ウラル山脈以東はロシア領ではあるものの、事実上の勢力空白状態となっている。
“黒キ影”による難民とは、そうした様々な事情があって、“黒キ影”の脅威により母国で生活ができなくなった人たちのことだ。
まさに、“黒キ影”が生んだ悲劇の象徴である。
特に日本は地理的関係から、ロシア東部からの難民を積極的に受け入れ、その多くは海路によりアメリカ経由でロシア西部へと帰国したが、日本で家庭を持つなど、様々な事情で日本に残る決断をした人たちも少数存在している。
彼女は、まさに親がそのケースに該当しており、自分はその子供だと名乗り出たのだ。
「――ごめん。余計な気を回させてしまったな。俺は広瀬 志道という。」
「構いません。私は千堂 多紗といいます。これからよろしくお願いしますね、広瀬くん。」
決して愉快ではない話をさせてしまったにも関わらず、笑いながら自己紹介をしてくれた。
うーん、礼儀正しくてめっちゃ良い子だ。
良い子なんだけど……
俺の中にちょっとした悪戯心が生まれた。
「なあ、千堂。」
「多紗で構いませんよ。」
「じゃあ、俺も志道でいいよ。それより……」
そう言って、彼女の雪のような髪を指で差した。
「頭に桜、刺さっているぞ。」
それも花びらじゃなくて、一輪まるごと。
■あとがき
いつもお読みいただきありがとうございます!
作者の神田川です。
突然ですが、私は成長する主人公が好きです。
誰かの意志を継ぐ、戦う理由を見つける、弱さを乗り越える――成長の仕方は数あれど、とてもワクワクしますし、その後の活躍を見届けたくなります。
そのような訳で、第2章から主人公である志道の原点にして、彼の成長が描かれる“祈動学校編”が始まります。
主人公は、この時点ではただの高校生なので、途中ドキドキハラハラする場面も多いと思いますが、彼は必ず困難を乗り越えて成長しますので、ぜひ見守ってあげてください!
それでは、第2章をお楽しみください。




