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君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
きらめきの日々
8/9

scene.07 「揺れる視線」

香坂(こうさか)ユイは

手鏡に映る自分を見ていた。


奥には自分越しに雪城(ゆきしろ)ネネが

帰る支度をしているのが見える。



──その時、

鏡面が少しもやがかかった気がした。



そして何かに引き寄せられるかのように

無意識に手が……鏡が角度を変え



別の誰かを映し出した──



────────‡────────


scene.07 「揺れる視線」


────────‡────────



4月 入学式。


少し早く着いてしまった

駅前のロータリー。


通学路を行き交う

制服姿がちらほら見えるなか、

ベンチの端に座っていたユイは、

スクールバッグを膝に乗せ、

その上で小さなポーチをそっと開いた。


ポーチの中から取り出したのは、

淡い黄色の巾着に大切にしまってあった、

金の縁取りがされた小さな手鏡。


ほんのりと虹色の光沢が揺れる、

お気に入りのアンティークだった。


髪の乱れを整えるように

前髪にそっと手を添え、

左右のバランスを確認する。


(……うん、大丈夫、かな)


手鏡をそっとしまったとき、

聞き慣れた声が弾むように届く。


「ユイちゃーん! おはよーっ!」


制服の裾を揺らして

ネネちゃんがパタパタと駆け寄ってきた。


自然と笑みがこぼれて、手を振る。


「おはよう、ネネちゃん」


「えへへ、お待たせっ。入学式なのに、

ちょっと寝坊しかけちゃって!」


頬をかきながら、

はにかむように笑った。


(かわいい……)


胸が少しだけ高鳴る。


「ううん、わたしもさっき来たところだから」


ふたり並んで歩き出す。


「……なんだか、ドキドキするね。

今日から高校生かあ」


ネネがぽつりと言った。


「うん。制服、まだちょっと慣れないかも」


「でも、ユイちゃんすごく似合ってるよ?

髪型も、かわいい」


「……ありがとう。ネネちゃんのリボンも、

すごく似合ってる」


照れくささを隠すように笑い合った。


坂道を上って、やっと校門が見えてくると、

ネネちゃんが足を止めてこちらを向いた。


「ねえ、せっかくだし、

校門の前で写真撮らない?」


「…うん」と優しく答える。


彼女はスマホを取り出して

手を伸ばしてみたものの、角度が決まらず、

ちょっと困ったようにこちらを見上げてきた。


「うーん。ユイちゃん、撮って?」


「うん」と笑いながらスマホを受け取る。


腕を伸ばして、

軽く上の角度からレンズを向けた。


肩を寄せて、笑顔を浮かべる。


「……せーのっ」


パシャ、と小さなシャッター音が響き、

スマホの中にふたりの笑顔が収まった。


彼女はスマホを覗き込むように画面を見て、

「ねぇ、今日めっちゃ盛れてない?」と、

楽しそうに笑った。





校門をくぐると、

新入生たちのざわめきが聞こえてくる。


廊下を歩く間も、ネネちゃんはスマホを片手に

あちこちを見渡しては写真を撮っている。


小さなシャッター音が響くたびに、

彼女の表情が明るく弾けて、

その無邪気さにつられて頬が自然とゆるんだ。


1年A組──その札のかかった扉の前で、

ふたりは足を止めた。


「ねえ、ユイちゃん」


「うん?」


「隣の席、だったらいいな」


「……そうだね」


教室の扉を開けると、

すでに何人かの生徒が席に着いていた。


掲示された座席表を確認してから、

それぞれ自分の席を探す。


窓際の列、前から四番目にネネちゃん。


そのすぐ前の席に座ることになった。


「……隣じゃなかったね」


小さく肩をすくめて笑い、

わたしも微笑んで頷く。


窓際の席についた彼女は、

すぐに机の上にスマホを置いた。


その前に腰を下ろし、

少し声をひそめるように尋ねる。


「……ネネちゃんも、緊張していたりする?」


ちらっとこちらを見て、にこっと笑う。


「うーん、してるかも。

でもワクワクの方が大きいかもっ」


その笑顔を見た瞬間、

緊張もふわりとほぐれていった。





一通りの行事が終わった午後、

プリントの内容を説明をする教師の声。


書かれている文を眺めていたけれど、

意識はどこか宙に浮いていた。


白咲(しろさき)リコ──

その名前が、頭の片隅に残っている。


自己紹介のとき

胸元で揺れていた懐中時計のネックレス。


それが目に入った瞬間、

机の横にかけたバッグが、

ほんのわずかに揺れたような気がした。


まるで、誰かに呼ばれたような感覚。


そっとバッグに目を落とす。


……今は何の変化もない。

ただ静かにそこにあるだけ。


(なんだか、胸が苦しい感じがする……)


「ユイちゃん」


ふいに肩をつつかれて、ユイは小さく跳ねた。


顔を上げると、

ネネちゃんが不思議そうにこちらを見ている。


「どうしたの? ぼーっとしてた」


「あ……ううん。なんでもないよ」


微笑んで見せると、

ネネちゃんは安心したように息をついた。


指先をいじりながら、そっと彼女に言う。


「……ネネちゃん。

ちょっと、屋上……行ってみない?」


自分からそんなことを言うなんて、

めったにない。


ただ、この胸のもやもやが

晴れそうなところに行きたかった。


「うんっ、いいよ。

屋上、行ってみたいなって思ってたし!」


ふたりで教室を出て屋上へ向かう。


廊下には、帰り支度をする

生徒たちの声が響いていた。


「──屋上って、

どんな景色が見えるのかな?」


少し楽しそうに声をかけると、

ネネちゃんは顔を上げて微笑んだ。


「気になるね。風とか、気持ちよさそう」


扉を開けた瞬間、

ふわりと気持ちのいい風が吹き抜けた。


屋上には数人の生徒、

そして自己紹介で見たクラスメイトもいた。


陽日(あさひ)リナと月森(つきもり)ミナ。


フェンス沿いに並んで立ち、

風に髪を揺らしながら、話をしている。


ふたりの背中越しに見えるのは、

青く澄んだ空と、春の気配。


──高校生活で、初めて言葉を交わした友達。


四人で屋上の空気を共有するように

立っていると、少し気分が晴れた気がした。





屋上でのひと時を過ごしたあと、

帰り支度のためにバッグを手に取り、

机の上に置いた。


そっとポーチを開き、

巾着から手鏡を取り出して前髪を整える。


──そのときだった。


ごく自然に自分の顔を映していた鏡が、

まるで誰かに手を添えられたかのように、

わずかに角度を変えた。


そこに映り込んだのは──


帰り支度をしている白咲リコの姿だった。


髪をかき上げる仕草。


バッグに手をかける動き。


鏡の中に、その姿が確かに映っている。


違和感よりも先に、

視線が自然と引き寄せられ


息をするのも忘れるように、

しばらくその鏡を見つめていた──


彼女がふと、こちらを見たような気がして、

思わず小さく肩を震わせた。


次の瞬間には、

鏡には何も映っていなかった。


──ただ、自分の顔だけ。


「ユイちゃーん、帰ろ?」


呼ばれて、はっと我に返る。


「あ……うん、いま行くね」


ポーチをそっと閉じ、鏡をしまうと、

バッグのチャックを静かに閉じた。





──それから、もう二ヶ月が経った。 



屋上でお菓子を食べながら

楽しい時間を過ごした六人は、

夕暮れの校舎を後にして帰路についていた。


「今日、楽しかったね」


ネネちゃんがふいにそう呟く。


横顔を見て、小さく頷いた。


「……うん。なんだか、不思議なくらい」


あの屋上での時間。


リコちゃんと綾瀬(あやせ)ノノちゃんが輪に加わって、

最初は少しぎこちなかった空気も、

自然と笑い合えるようになっていた。


気づけば、歩みもどこか軽くなっていた。


やがて駅前に着くと、軽く手を振って、

それぞれの帰り道へと分かれていく。


足を止めてネネちゃんの顔を見る。


彼女はにこっと笑って、小さく手を振った。


「じゃあ、また明日ね」


「また明日」


自然に笑みがこぼれた。





その夜。


自室のベッドに腰を下ろし、

スマートフォンの画面をスワイプする。


“きらきら放課後部”──


少し子供っぽくて、でもどこかやさしい響きの

グループチャットの名前。


「ネネちゃんらしいな」と思えて、

その名前に、つい笑みがこぼれた。


トーク画面には、

さっき共有されたばかりの写真。


ネネちゃんが少し前に出てピースを決め、

そのすぐそばで、みんなに囲まれるように

リコちゃんがやさしく笑っていた。


眩しそうに目を細める彼女の笑顔に、

指が自然と止まる。


けれど、その前で楽しそうに笑っている

ネネちゃんの姿が目に入り、目を細めた。


――そのとき、ポーチの中で、

微かに何かが音を立てた気がした。


気づけば視線は、

いつのまにかリコちゃんへ移っていて、

無意識のうちに画面の中の彼女を

そっと撫でていた。


何も感じないはずなのに、

確かめるように、その体を――。


「リコ……」


小さく名前を口にした瞬間、

ハッと我に返る。


思わず手が緩み、

スマホがすべるように膝の上に落ちた。


どうして彼女を見ていたんだろう……


小さな不安が芽生え、唇をそっと噛む。



だって、

わたしはずっとネネちゃんのことを――



言葉の続きを胸に押し込めたとき、

頭の奥に記憶がよみがえる。


そういえば――入学式の日。


鏡を持っていた手が勝手に動いて

映し出した先には、

なぜかリコちゃんの姿が――


弾かれるように立ち上がり、

机の上に置いてあったポーチへ手を伸ばした。


巾着から手鏡を取り出し、自分の方へ向ける。


そこにはただ、いつもと変わらない自分の顔。


……本当に、変わらない?


(……あの笑顔、

……あの体に近づきたい、そして……)


そう思った瞬間、鏡面がキラリと反射し、


自分の顔のようで、

そうでないものが映り込んだ気がして──



息が詰まった。

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