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君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
きらめきの日々
6/10

scene.05 「星までの距離」

6月はじめ。


授業の合間の休み時間。


机を引く音や誰かの笑い声が混ざり合って、

教室には穏やかなざわめきが広がっていた。


窓際の席で、

雪城(ゆきしろ)ネネはそっと髪を整えながら、

手元のリボンを見つめる。


それは、少し前に買ったばかりの、

薄いピンク色の細いリボンだった。


柔らかな光を受けて、

かすかにきらめいている。


深呼吸をひとつ挟んでから、立ち上がり、

前の席に座る香坂(こうさか)ユイへと近づいた。


「ねえ、ユイちゃん。これ、似合うと思う?」


そう言って、リボンを髪に当て、

小さく首を傾けたりしながら

ユイに見せてみせた。


彼女は、ゆっくりと顔を上げ、

柔らかく微笑んだ。


「……うん。似合ってると思うよ」


その声は、いつもの優しさ。


でも、どこか遠くにいるような、そんな印象。


ネネは、小さく「ありがとう」と微笑み返す。


胸の奥にわずかな違和感が残る。


(……なんだろう、今の反応)


言葉にはできないけど、

なんだか遠くに行っている気がする。


そんなものを感じながらも、

自分をなだめるように、そっと席へ戻った。



────────*────────


scene.05 「星までの距離」


────────*────────



昼休み。


四人で昼食を済ませたあと、

それぞれの気分で自由に過ごしていた。


ネネは自分の席でバッグを開き、

いつものリボンを外すと、

新しいリボンに付け替えていた。


スマホの画面を

軽く覗き込んで位置を確認する。


そこへ、ちょうど通りかかった

陽日(あさひ)リナが声をかける。


「ネネちゃん、リボン新しいやつ?」


ネネは軽く振り返り、微笑んで頷いた。


「うん、この前買ったんだ。

……似合ってる?」


「えー、めっちゃいいじゃん!

似合う似合う!」


リナの素直な言葉に、

ネネは少し照れながらも笑みを返す。


けれどその内側では、

さっき交わしたユイとのやりとりが、

まだ胸に少し残っていた。


そんな自分のざわつきを隠すように、

リナと他愛ない会話を続けた。


ユイがどこか遠くに感じられてしまうことが、

思った以上に寂しく感じられたから。


ネネは、リナの明るさに

ほんの少し気を緩める。


けれど、視線の端では常にユイを捉えていた。


前の席で、彼女は静かにポーチを開けていた。


淡い黄色の巾着から取り出されたのは、

小ぶりなアンティークの手鏡。


金の縁に、

虹のような干渉光がちらつく不思議な意匠。


ユイはその鏡をそっと覗き込む。


ネネの胸が、微かにざわめいた。


見てはいけないものを見てしまったような、

そんな感覚。


(……いま、あの鏡に……誰か、いた?)


一瞬だった。


だが、確かにそこに、誰かの姿が映っていた。


──水色の髪。


黄色のメガネ。おっとりした表情。


白咲(しろさき)リコ。


ネネは反射的に視線を戻す。


けれど、ユイの様子は何も変わらない。


まるで何事もなかったかのように、

彼女はそっと鏡をしまった。


ネネは気づかないふりをしながら、

リナの奥に見えるリコへ視線を移す。


彼女は隣の綾瀬(あやせ)ノノと談笑している。


ユイがリコと親しげにしている姿を

見た覚えはなかった。


けれど、自分の知らないところで、

ユイが見ている何か。


もしかしたら、

他の子を見てるんじゃないか──


そんな考えがふいに胸を締めつけた。


さっき、少しそっけないように

見えたユイの表情が、頭から離れない。


リナはネネの顔をちらりと見て、

ふと声を落とす。


「……ねえ、なんか元気ない?」


「え? そ、そんなことないよ?」


思わず笑ってごまかすネネに、

リナは少しだけ首をかしげる。


そして、少し窓の外を見てから、

ふっと思いついたように言った。


「そうだ、学校終わったらさ、

ロマールに来てみない?

うちのオーナー、タロットとか

すごく当たるって有名なんだよ〜」


「……占い?」


ネネは少し首を傾けて、

興味ありげにリナを見た。


「そうそう。

あたしもバイト初めたばかりのとき

見てもらって、けっこう当たってたし」


リナは身を乗り出して、

前の席にいるユイに声をかけた。


「ねえ、ユイちゃんも一緒にどう?」


リナは少し笑ってから続けた。


「今日バイトあるんだけど、

放課後すぐはいつも少し暇だし、

オーナーに話してみる」


するとネネがユイの方へ顔を向け、

「ユイちゃん、行ってみない?」

と優しく尋ねた。


ユイは少し考えるように視線を落としたあと、


「……ネネちゃんが行くなら、

わたしも行ってみる」


と、ネネを見て微笑んで答えた。





放課後。

陽が傾きはじめた街に、

やわらかな夕陽が差し込む。


三人がカフェ・ロマールの扉を開けると、

やさしい鈴の音とともに、

落ち着いた空気が迎え入れた。


「いらっしゃいませ」


カウンターの向こうで、

静かに本を読んでいた女性が顔を上げる。


左目だけが見える紫の瞳に、

静かな微笑みが浮かぶ。


もう片方の目は、

流れるような前髪にふんわりと隠れていた。

ロマールのオーナー、夢守(ゆめもり)コヨミ。


「こんにちは、コヨミさん」


リナが明るく声をかける。


「うん、この子たち、学校の友達でね。

……ちょっと、占いに興味あるかもって

言ってたから、連れてきちゃった」


ネネとユイは、

少し緊張した面持ちでぺこりと頭を下げた。


「はじめまして。雪城ネネです」


「……香坂ユイです」


リナは少し申し訳なさそうに笑って、


「あの、コヨミさん……

今日、少しだけお願いしてもいいですか?」


彼女はふわりと笑い、

店の奥のテーブルをすすめた。


「どうぞ。おふたりは、

このような占いを受けるのは初めてかしら?」


「わたしは……はじめてです」


ネネが言うと、ユイも小さく頷いた。


店内には、他にお客はまだいない。


時間帯もあってか、

ゆったりとした空気が流れていた。


リナは「ちょっと準備してくるね」と

手を振って、制服のまま裏手に

引っ込んでいく。


コヨミは、

カウンターの奥のテーブルの引き出しから、

小さなベルベットのポーチを取り出した。


中には、太陽や月、星の意匠が

細やかにあしらわれたタロットカードが

静かに収められていた。


カードにそっと触れながら、

コヨミはネネとユイを優しく見やった。


そして、少しだけ意味ありげに微笑む。


「ふたりの気持ち、

いっしょに見てみましょう。

“関係”って、

ひとりじゃ見えないことも多いから」


ネネは思わずユイの方をちらりと見て、

胸の奥が高鳴るのを感じた。


コヨミはタロットカードを

優しく撫でるように整えると、

ふたりに視線を向ける。


「“ワンオラクル”。

今の気持ちを、カードが

すくい上げてくれるはず。

だから、あまり緊張しないでね」


ゆっくりとカードを切り、

扇のように山札を広げて

ネネの前に差し出した。


「どうぞ、心が動いた瞬間に、

一枚を引いてください」


ネネは静かに頷き、指先で一枚を選ぶ。


現れたのは『星』の正位置。


「……まっすぐな願いとか、

信じたいって気持ちが、

ここに宿っている気がします」


ネネは小さく息をのんだ。


「……そうだったら、いいな」


続いて、ユイの前にも

カードが差し出された。


ユイは少し迷いながらも、

一枚をそっと引き取る。


『正義』──逆位置。


「少し、心の天秤が

まだ少し揺れているのを感じます。

あなたの中にある

“正しさ”と“本当の気持ち”が、

まだ釣り合っていないのかも……」


ユイは少し視線を伏せると

長いまつ毛がわずかに震えた。


「……わかりません。

自分の気持ちが、正しいのか……」


コヨミは優しく微笑みながら、

最後の一枚を手に取る。


「じゃあ、ふたりの“今”を、

カードに聞いてみましょうか」


一呼吸のあと、静かに置かれた一枚。


『恋人たち』──逆位置。


描かれたふたりは、向かい合って立っていた。

けれど互いを見つめるのではなく、

男は女を、女は空の天使を見上げていた。


その上空には、大きく翼を広げた天使が、

ふたりを静かに見守っている。


「このカードは、ふたりの“今”の気持ちを

そのまま映してるんです。

怖いとか、迷ってる気持ちも含めて。

でも、想いがあるなら……

きっと、変わっていけますよ」


ユイは俯きがちに

「ありがとうございます」と答えた。


その横顔を、ネネはそっと見つめていた。


カウンターの奥から

リナが袖をまくりながら

近づいてきて声をかけた。


「どうだった?」


ネネは少し照れくさそうに笑って答えた。


「……すごく、不思議だった。

でも、ちょっとだけ、前向きになれたかも」


ユイはしばらく黙っていたが、

やがて小さく呟く。


「ちょっと不安だったけど……

うん。来てよかった、って思う」


ユイの言葉に、

リナがぱっと表情を明るくする。


「よかった!

せっかくだしさ、甘いものでも食べてってよ。

今日のおすすめスイーツあるんだ〜!」


そう言ってカウンターに向かおうとする

リナに、コヨミも穏やかに頷いた。


「占いのあとは、甘いものがよく効きますよ」


店内に、ふわりと優しい空気が広がった。





ネネはロマールを出て、

駅前でユイと軽く言葉を交わしたあと、

それぞれの帰り道へと歩き出した。


そしてひとり、家路につく。


本当は聞きたかった。


わたしのことを、どう思っているのか。


けれど、その一言を口にする勇気は、

まだ持てなかった。


沈みゆく空に、

まだ少し夕陽の名残が残っている。


ネネはどこかふわふわとした気持ちのまま、

足を進めていた。


占い、当たってたのかな。


ユイの手元からめくられた『正義』の逆位置。


そして最後に、

コヨミさんが引いた『恋人たち』の逆位置。


逆さまになったその姿は、

どこか、すれ違いを語っているようで……


それでも、自分が引いたのは

『星』の正位置だった。


未来を信じる気持ち──





「……ただいま」


ネネは玄関のドアを開け、そっと靴を脱いだ。


キッチンの奥から、小さな物音が聞こえる。


母が夕食の支度をしているのだろう。


洗面所には湯気が立ちこめていた。


どうやら、

母が先に湯を張ってくれていたらしい。


声をかけ、タオルを手に浴室へと向かう。


制服を脱ぎ、

下着を外してからそっと顔を上げると、

洗面台の鏡に映った自分と目が合った。


そこには、思っていたよりずっと

疲れた顔をした自分がいた。


(今日は朝からずっと考え事していたかも…)


もやもやとした気持ちを洗い流すように、

ゆっくりと髪を洗った。


そして熱すぎない湯に

ゆっくりと身を沈めると、

今日一日の出来事が、

泡のように浮かんでは消えていく。


お湯の中、ネネは膝を抱え、

小さく丸まった。


湯気に包まれた肌が、ほんのりと紅を差し、

肩から胸元にかけてゆっくりと雫がつたう。


ネネは、ふぅと小さく息を吐いた。


──胸の奥が、じんわりと熱い。


それはお湯のせいだけじゃないことを、

ネネ自身が一番よく知っていた。


(……やっぱり、ちょっと変だったよね。

ユイちゃん……)


リボンを見せたときの反応。


占いでの、少し俯いた時の瞳。


あの鏡のことだって、もちろん覚えてる。


ユイがずっと大事にしてきた、

あのアンティークの手鏡。


だからこそ、最近のユイの仕草が気になる。


鏡をじっと見つめていたとき。


まるで誰かと話しているような眼差し。


その先に、

白咲リコがいたような気がして……


(わたしのこと、見てくれてるのかな。

もし違ったら……)


ネネは湯船のお湯を両手ですくい、

ぱしゃりと顔にかけたあと

「はぁ」と深く息を吐いた。


少しでも、

不安が流れていってくれたらいいのに──


そう思いながら。


バスタオルを肩にかけ、

髪をふきながら部屋に戻る。


湿った髪が背中に触れて、

ひんやりとした感触が心地いい。


ゆるめのパーカーを羽織り、

ショートパンツに足を通すと、

リビングから、どこかほっとするような

美味しそうな匂いが流れてきた。


ネネがダイニングに顔を出すと、

母がエプロン姿のまま笑顔で振り向いた。


「ちょうどできたところ。

今日は、ネネの好きなやつ」


テーブルには、

ハンバーグとにんじんのグラッセ、

ポテトサラダに、コンソメスープ。


「わ……おいしそう」


「お腹すいてるかなって思って」


ネネはこくりと頷き、箸を手に取る。


ことさら会話が多いわけではないけれど、

母と向かい合って食べるあたたかな食卓が、

今日の疲れを癒してくれるようだった。


食後の食器を一緒に運び終えると、

「先に休んでていいよ」と母に声をかけられ、

ネネは自室に戻った。


鏡の前でくしを通しながら、ふと思った。


(……ユイちゃん、いま何してるかな)


机の引き出しから、小さな紙を取り出す。


占いのあと、コヨミさんが渡してくれた

今日のカードの意味が簡単に記されたメモ。


『星:希望、信じる心、未来への道筋』


指先でそっとなぞるように読み返す。


髪を梳かし終えると、

そのままベッドに転がった。


スマホを手に取り、

画面をスライドさせていく。


出てきたのは、入学式の日に

校門前でユイと一緒に撮った写真。


画面の中のユイは、

少し照れたように笑っていて……


「……ユイちゃん」


思わず、指先で画面を撫でる。


そしてスマホを伏せ、

ブランケットを胸に抱き寄せた。


(わたしを……見てくれてるって、

信じてみたいな……)


そう願って、まぶたを閉じた。


温もりに包まれたまま、

やがて眠りに落ちていく。


──窓の外。


夜の街は静まり返り、

窓明かりがぽつぽつと浮かぶ。


その上の夜空に、小さな星がひとつ、

静かに瞬いていた──

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