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君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
きらめきの日々
5/10

scene.04 「白いページ」

霧の向こう──

長い髪の生徒が、背を向けて立っていた。


手には、小さな手鏡。


その鏡をじっと見つめている。


こちらに気づいたのか、

わずかに振り向く。


見覚えのある後ろ姿だった。


香坂(こうさか)ユイさん。


けれど、その瞳には──光がなかった。


まるで溶けたルビーのように、

赤黒く濁って、輝きを失っている。


その瞳の端から、ぽたり、と涙がこぼれた。


それは哀しみの色ではなく、

まるで血のように、深い赤を帯びていた。


その背後には、

空にうっすらと新月が浮かぶ。


わずかな光が、

縁をなぞるようにまとわりつき、

輪郭だけが、闇の中にかすかに滲んでいる。


その月に、ほんの一瞬、視線を奪われ──


ふと目を戻したとき、

彼女の姿は、もうそこにはなかった。


霧だけが、薄く、静かに漂っていた。



その瞬間──



不意に、胸元をぐっと掴まれたような

感覚が走った。



* * *



息が詰まり、跳ねるように身を起こす。


夢の中から、現実に引き戻された。


ベッドの上。


肩が大きく上下し、

鼓動だけがうるさく響いている。


掴まれた気がする胸に、

震える手をそっとあてる。


──少し、冷たい金属の感触。


懐中時計のネックレス。


カーテンの隙間から、

朝の光がうっすらと差し込む。


その光を受けて、

胸元の時計が淡くきらめいた。





ゆっくりと息を整え、目元をこする。


まだ夢の感触が、

まぶたの裏に微かに残っていた。


そのまま、もう一度横になる。


天井をぼんやりと見つめながら、

呼吸のリズムを落ち着けていく。


陽日(あさひ)さんたちのグループが浮かんだ。


明るくて、よく目立つ子たち。


教室でも楽しそうにしていて、

少しだけ、遠い存在。


そこにいた、香坂ユイさん。


あんな顔をするなんて、

思ってもみなかった。


……そんなことを考えていたら、

少しずつ頭が冴えてくる。


もう一度、深く息を吸って──

ゆっくりと身体を起こした。


机の上のメガネを取り、

いつものようにかける。


本棚の隅から日記帳を手に取り、

表紙を開いた。


パラパラとページをめくると、

短い文章がいくつか書かれたページや、

何も書かれていないように

見えるページがあった。


昨日の日付が書かれたページに目を落とす。


その下には、数行の走り書きのような文字。


「みんなで海に行った。

浜辺で花火をした。

打ち上げ花火がすごくきれいだった」


読みながら、まぶたの裏に

夢の中の光景が浮かんでくる。


花火のぱちぱちという音。


海のにおいと、みんなの笑い声。


──それは、やさしくて、

あたたかい夢の日記だった。


ページをめくると今日の日付。


自然と、ため息が漏れた。



────────*────────


scene.04 「白いページ」


────────*────────



日記帳を閉じ、スクールバッグに入れる。


制服を着て、鏡の前で髪を左右に分ける。


ゴムで髪を留めながら、

今朝見た夢のことを思い出す。


──香坂ユイさんの、あの瞳。


朝から少し、気持ちが沈んだ。


ちょうどそのとき、

階下から朝食を知らせる声が聞こえた。


その声に誘われるようにして、

ツインテールにした髪を軽く整え、

食卓へ向かった。


朝食の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。


ごはんを口に運びながら、

何気なく、向かいに座る母を見つめる。


中学になり、母から

懐中時計をもらったばかりの頃、

一度だけ、不思議な夢の話を

したことがあった。


「へえ、そんな素敵な夢を見たの?

叶うといいね」


母はそう言って、やわらかく笑った。


やっぱり、母もこの時計を持っていた頃、

夢を見ていたのかな。


そんなことをぼんやり考えていたら──


「あ……もうこんな時間」


慌てて残りを口に運び

「ごちそうさま」と、

素早く食器を流し台に置く。


それから部屋へ向かい、

バッグを肩に掛けて玄関へ向かうと、

ちょうどお弁当を持って待っていてくれた。


「はい、リコ。

気をつけて行ってらっしゃいね」


「うん……ありがとう」


お弁当を受け取り、そのまま靴を履いた。


扉を開けると、

朝の光がやわらかく差し込んできた。


いつものように、

綾瀬(あやせ)ノノと待ち合わせをしている

近くの公園へ向かうと、

入り口のポールにもたれて待っていてくれた。


「おはよう」


そう声をかけると、

彼女は小さく手を振って歩み寄り、

同じように「おはよう」と返す。


それから、

他愛のない話をしながら並んで歩く。


そんな時、ふと香坂さんのことを思い出す。


──あの夢のことを、

ノノに話したほうがいいのかな。


でも、まだあまり親しくもない

クラスメイトのことを持ち出すのは、

ちょっと変な気がして──


すると隣を歩く彼女が、

覗き込むようにこちらを見た。


「……何か考えてた?」


「……なんでもないよ」


軽く微笑んでそう答えると、

彼女は安心したように、やわらかく笑った。


「そっか。

ねえ、昨日こんな動画見たんだけどさ」


そう言って、思い出し笑いをしながら

楽しそうに話し始めた。


不安な夢のことを考えていたけれど——。


ノノの声に、こうして触れて。


少しだけ、心が軽くなった気がした。


そのまま並んで歩き、校門をくぐりながら

小さな声でまた笑い合った。





3限目のチャイムが鳴るには、

まだ少し時間があった。


教室のざわめきが落ち着いていく中、

静かに日記帳を眺めていた。


数日前に見た、ある夢の記録を、読み返す。


──陽日さんが、月森(つきもり)さんに

プレゼントを手渡していた。


ふたりとも、ほんの少しだけ、

いつもよりうれしそうだった。


(……この場面、好きだったな)


なんとなく指先で、その文章をなぞる。


すると胸元の懐中時計の裏が、

ふわりと青白く光った。


その小さな光に気づいて、そっと顔を上げる。


そして、陽日さんの席の方を見た。


彼女が、笑いながらカバンの中を探って、

ミニタオルを取り出しているところだった。


「これね、この前みつけたんだけど。

どうこれ、可愛くない?

で、ひとつはミナにあげたくて」


そう言って、

透明な袋に入ったタオルを見せる。


月森さんは少し驚いたような顔をしたあと、

微笑んでそれを受け取った。


「ありがと。……でも、いいの?」


「あたしもね、色違いだけど買ったんだ〜」


そう言って陽日さんは、

自分のバッグから

同じデザインのタオルを取り出して見せた。


(なんだか……可愛いな)


そう思いながら、見つめていた。


日記帳へ目を戻すと、

さっきまでしっかりと書かれていた文字が、

水ににじむように、静かに消えていく。


──夢が、ひとつ現実になった。


そのとき、背後から声をかけられた。


「……あの、ごめん、えっと……」


振り返ると、クラスメイトが立っていた。


「リコ」


隣の席のノノが声をかけた。


「あっ……白……咲さん?

あの、先生が日誌渡してって言ってて……

ちょっとだけ」


「ありがとう」


軽く頷き、クラスメイトから

学級日誌を受け取った。


彼女はほっとしたように会釈して、

そのまま別の生徒の方へ向かっていった。


(……また、少し、忘れられてる)





この懐中時計をもらったばかりの頃、

妙にリアルな夢を見て──

なんとなく、日記に書きとめてみた。


すると、なぜか

本当に“起こる”ようになった。


夢が現実になりそうな瞬間、

懐中時計の裏側が

ふわりと青白く、淡く光る。


それが、“夢が現実になる”合図だった。


だから──


悲しいこと、怖いこと、

壊れてしまいそうな出来事は、

できるだけ、見なかったふりをしてきた。


「書かなければ、起きない」


そう信じて。


夢が現実になるたびに、

なぜか少しずつ、みんなの記憶から

忘れられていくような気がした。


それに気づいたのは、

少しあとになってからだった。


それでも──

幸せな夢だけは、

どうしても書かずにいられなかった。


そんなふうにして、

いつしか少しずつ忘れられても、

もう不思議と悲しいとは思わなくなっていた。


友達を作っても、

またいつか忘れられてしまうかもしれない。


そう思うと、新しく誰かと仲良くなるのが、

ほんの少しだけ怖かった。


──でも、ノノはなぜか、

わたしのことを一度も忘れなかった。


ノノにまで忘れられたらどうしようって、

悩んだこともある。


この不思議な力のことも、

何度か打ち明けようと思った。


きっと彼女なら受け止めてくれる。


……それでも、

少しでも遠ざけられてしまうのが怖くて、

言葉にはできなかった。


彼女は、いつだってそばにいてくれる。


そのことが、とても安心できて──


少しだけ、救われる気がした。





授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。


気づけばもう放課後だった。


今日はあの悲しい夢のことばかり

考えていた気がする。


わたしに、何かできるわけじゃないけど──

それでも少しだけ知りたくなった。


そんなことを思いながら教室を見渡すと、

月森さんが帰り支度をしているのが

目に入った。


とてもじゃないけど、

香坂さんに直接話しかけられそうにない。


でも、仲の良さそうなグループにいる

月森さんなら、

少しは話ができるかもしれない。


職員室に用事があって席を外しているノノに、

「後で連絡するね」とメッセージを入れる。


それから、少し勇気を出して、席を立った。


「……あの、月森さん」


声がほんの少しだけ震えた気がする。


「陽日さんって、今日は……?」


(いきなりこんなこと聞くの、変だったかな)


でもそんなふうに思う前に、

微笑んで答えてくれた。


「うん、今日はバイト。先に帰ったよ」


「……そうなんですね。あの……よければ、

図書室、つきあってくれませんか?」


話し始めてみると、

不思議と緊張がほどけていく気がした。





月森さんと図書室に行った後、

校庭で少し話しているうちに、

ノノが戻ってきた。


それから三人で他愛ない話をしながら

校門を出て、並んで駅前へ向かった。


月森さんは電車通学なので、

そこで手を振って別れた。


ノノとそのまま並んで歩き出す。


しばらくして、ふいに話しかけてきた。


「……ね、リコ」


「ん?」


「最近、よく夢を見てる気がするんだよね」


「そうなの?」


少し楽しそうな声で、彼女は続けた。


「うん。目が覚めたときには

全部忘れちゃってることも多いんだけど、

誰かと一緒に笑ってたり、

楽しそうに話してたり……

ちょっといい夢が続いてる気がする」


「……わかる。わたしも、そうかも」


少しだけ遠くを見やって答えた。


ノノが、こちらを見て言った。


「そういえば今日、

月森さんと話してたの、珍しいね。」


「……そう?」


「うん。なんかちょっと新鮮だった」


「そうかな?」


少し考えてから、

できるだけ何でもないみたいに言う。


「……ちょっと、あのグループ、

いいなって思って」


そう言うと、ノノはいたずらっぽく笑った。


「へぇ、

わたし以外の友達作る気になったんだ?」


「どうせぼっちですよ」


そう言って、

少しぶっきらぼうにそっぽを向いた。


「うそうそ。で、仲良くなれそう?」


彼女は小さく手をひらひらさせながら言った。


「たぶんね」


そう答えると、

彼女はちらっとこちらをみて言った。


「でも、ちょっと雰囲気似てるよね。

月森さんとリコ」


「……そうかな?」


「見た目は……ぜんぜん違うけどね」


「なにそれ、わたしが子供っぽいってこと?」


「その髪型のせいじゃない?」


自分のツインテールの先を

指でふわふわと触りながら、

少し口を尖らせた。


「わたしだって、髪を下ろしたら……

大人っぽくなるかもよ?」


ノノは少し考えるように首を傾けて、

それからふっと笑った。


「うーん……ならないね」


そう言って、ノノは頭にそっと手を置いて、

優しく撫でてきた。


「……ひどいなぁ」


でもつい笑ってしまって、

彼女もそれに合わせるように微笑んだ。


そんなふうに軽口を叩き合いながら

歩いていると、いつの間にか、

いつもの小さな公園まで来ていた。


少し歩調を緩めて、

ふっと息を吐いてから言った。


「……実はね、

今日はちょっと不安なことがあって」


それを聞いたノノは

入り口のポールに、

軽くお尻をのせて、ぽつりと言った。


「なんか、そんな気がしてた」


「……え?」


「今日のリコ、

いつもより考え事してる顔してたから」


彼女の言葉を聞いて、

隣のポールに軽く腰を預ける。


「そうなんだ……でも、

ノノと一日話してたら、

だいぶ楽になったかも」


そう言うと、嬉しそうに目を細めて、

「そっか。よかった」そう言って笑った。


「ありがとう」


ノノが顔を覗き込みながら言った。


「じゃあ、夜また通話しよっか」


嬉しくなってすぐ「うん」と頷いた。


そして、そこで小さく手を振り合って別れる。


家へ向かう道を歩きながら、ふと思った。


今日みたいに、

ちょっとした約束をしたり、

くだらないことで笑い合ったり。


一日なにも特別なことが

なかったように見えても、

そんな小さな幸せに気づけたら、

きっと毎日が、

もっと楽しくなるのかもしれない。



たとえ、みんなから少し忘れられても──

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