表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
その手にふれるまで
27/28

scene.26 「君に届かない、この世界で。」

澄風(すみか)女子学園。


夕方の屋上で立つふたり。


少し冷たくなった風が、

制服のスカートをそっと揺らす。


ひとりは俯き、小さな肩と、

その声がわずかに震えている。



そして──



涙が光った。



────────*────────


scene.26 「君に届かない、この世界で。」


────────*────────



香坂(こうさか)ユイは、

砕け散った鏡の破片を見下ろして、

しばらく動けずにいた。


胸の奥に潜んでいた重たいものが、

じんわりと消えていく。


──ネネちゃん。


名前を呼ぶより先に体が動いていた。


まだ地面に横たわる雪城(ゆきしろ)ネネの

そばへ駆け寄り、そっと膝をつく。


そして、その頬に手を添えた。


「……ネネちゃん」


呼びかける声は、

自分でも驚くほど小さかった。


けれどネネの頬に触れた指先から、

ほんのりした温もりが伝わり、

ユイは安堵のため息をついた。


天野(あまの)チヤは鏡と砕けた破片に手をかざした。


それは、何の抵抗もなく煙のようにほどけ、

彼女のまとう霧へと溶け込んでいく。


そこにはもう、何も残っていなかった。


静かに目を伏せる。


すると、

腕に絡みついていた蛇の目が輝き、

霧は全身をやわらかく包み込んだ。


──そして、それが晴れたとき。


そこにはもうローブ姿ではなく、

私服の姿で立っていた。


視線を向けると、

霧島(きりしま)ユウもまた私服に戻っていて、

ふたりはそのまま静かに目を合わせて頷いた。





ユイは倒れたままのネネの頬に手を当て、

掠れる声で、何度もその名を呼び続けた。


やがて、ネネのまぶたがゆっくりと動く。


そして、ユイの顔を見つけると、

ほっとしたように、息をついた。


それを見て、ユイは口元をゆるめる。


「よかった……」


しかし、すぐに俯いて、震える声で言った。


「……ごめんね、こんな目に、

合わせちゃって……」


涙がこぼれ落ちた。


一度こぼれたら止まらなくなって、

息を詰めながら、また涙を落とす。


するとネネがゆっくりと手を上げ、

彼女の頬に触れ、

細い指先がそっと涙を拭った。


「……泣かないで」


その声を聞いた瞬間、

ユイは胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。


気づけば倒れているネネに

覆い被さるようにして、

その身体を抱きしめていた。


しばらくそうしていると、

ユウがそっと近づいてきて、

落ち着いた声で言った。


「……さぁ、今日は遅いし、帰ろう」


ネネのそばにしゃがみ込むと、

落ち着いた声で言った。


「……立てる?」


そう言って手を差し出すと、

少し戸惑いながらもその手を取った。


ユイの隣に並んだチヤは、

軽く背中に手を添えながら、

みんなでゆっくりと歩き出した。


公園を出て、明るい通りに出ると、

誰からともなく「服、ちょっとひどいね」と

笑いがこぼれた。


チヤとユウは少し話し合うと、

近くのショッピングモールへ向かい、

そこで適当な服を買って、手渡した。


二人はまだ少しぼんやりしていたけれど、

新しい服に袖を通すと、

表情がほんの少しだけやわらいだ。


その後、付き添われてそれぞれの家へ向かう。


家族には心配をかけたはずなのに、

同じ高校の上級生の話なら……と、

帰宅の言い訳を

ひとまず信じてもらえたらしい。


二人とも、結局はあまり叱られずに

済んだようだった。


家まで送り届けたあと、

駅前の広場で立ち止まる。


ユウはふっと息をついて小さく笑った。


「……ちょっと、疲れたね」


「うん」


チヤもおだやかに笑う。


そのまま駅に向かって、

ゆっくり歩き出した──その瞬間。


視界がふっと暗転する。





気がつくと、地下室にいる

夜波(よなみ)アナと音無(おとなし)トワの目の前に立っていた。


一瞬でそこに移動させられて、

二人は小さく息を呑んだ。


チヤは思わず隣のユウの腕にしがみつく。


ユウはそれに気づくと、

そっとチヤの手を包むように

自分の手を重ねた。


アナは二人に目を向けると、

口元を緩めて言った。


「お疲れ様。

……大変だったでしょう?」


ユウは肩をすくめ、ため息まじりに答える。


「……まぁ、ちょっとね」


アナはくすっと笑って、小さく首を傾げた。


「それで──

まだ中に入っているその子たち、

あなたたちのこと、

気に入ったみたいだけど……どうします?」


ユウは少しだけ目を細め、

軽く首を傾けて言った。


「……どうするって?」


そう呟いた瞬間、視界がまた暗転する。


──そして


夜の街を見下ろしながら、宙に浮かんでいた。


ビルの灯りが遠くでまたたき、

冷たい風が髪をかすかに揺らしていく。


アナは静かに夜空を見下ろしながら、

口を開いた。


「この世界には、

遠い星から訪れる存在が、数多くいます。


ただ──あの鏡にいた者のように、

少し行き過ぎてしまうことも、

時折あるのです」



──空中を浮遊している。



その異常な光景を前にしても、

なぜか受け入れられてしまう自分がいた。


それほどまでに──

アナとトワの存在は、現実の枠を超えていた。


ユウは夜空を見つめたまま、

小さく息を吐いて言った。


「……もしかして、私たちに、

それと戦えって言うんですか?」


アナはそっと視線を落としてから、

静かに言った。


「……私やトワのような存在は、この世界で、

直接手を下すことができないのです」


ユウはふと思い出した。


──自分の中にいたものが、

二人に対してひどく怯えていたことを。


それを思い出すと、

胸の奥が少し冷たくなる気がした。


アナはそっと二人を見つめて、

小さく微笑んだ。


「……時々、力を貸していただけますか?」


チヤとユウは顔を見合わせた。


そして、笑みを交わし、ゆっくりと頷いた。


アナは二人の様子を見て、

満足そうに目を細めた。



「……頼みますね」



その時、不意にユウの頭の奥に

小さな声が響いた。




(──わたしのこと、

可愛いって……思ってくれた?)




わずかに目を見開いて、辺りを見回す。


トワが、こちらを見て、

ほんのかすかに微笑んだように見えた。




────────✿────────




綾瀬(あやせ)ノノは教室の席に座り、

バッグから懐中時計を取り出していた。


時計の針は9時27分を指したまま、

ぴたりと止まっている。


しばらくそれを見つめ、静かに息をついた。


いつの間にかそばに来ていた

月森(つきもり)ミナが声をかけた。


「……きれいな時計だね」


ノノは視線を時計から離さないまま、

少し考え込むように言った。


「……うん。

でも、どうして部屋にあったのか、

わからないの」


ミナは隣の空いている席に座り

そっと微笑んで、時計を持つ手を見つめた。


「ノノちゃんのところに

来たくて仕方なかったんじゃない?」


「そうかな……」


小さく呟いて、少し照れたように笑った。


そうしていると、教室の扉が開いて、

陽日(あさひ)リナとユイが一緒に入ってきた。


今朝、ネネはユイと一緒に登校していたが、

昨日の疲れがまだ残っているのか、

少し顔色が悪かった。


そのため、ふたりが付き添い、

保健室まで連れて行っていた。


ミナはふたりの姿に気づき、

そっと顔を上げて尋ねた。


「……ネネちゃん、どうだった?」


リナは肩の力を抜いて言った。


「熱とかはないみたいだし、

たぶんすぐによくなるんじゃないかな?」


「……それなら、よかった」


ミナは、ほっとしたように息をついてから

机に視線を落として言った。


「そういえば、この席、誰のだっけ?」


「うーん、広瀬さん?……は、前か……」


ノノも不思議そうに首を傾げた。


ミナはふと机の中に目をやる。

そこに、何か紙のようなものが見えた。


取り出してみると、

少し不器用に折られた花の形の折り紙。


花弁には、色鉛筆で書かれた幼い文字。


──のの りこ


「これって、ノノちゃんのじゃない?」


ミナが取り出して見せる。


「ほんとだ、『のの』って書いてある……

わたしが書いたのかな。

でも……『りこ』って友達、いたっけ?」


その瞬間、昨晩の日記帳に書かれていた

名前が頭をよぎった。


──リコ


(……なんだか、

とても大切な名前の気がする)


ノノは折り紙を受け取って考え出すと

チャイムが鳴り、ホームルームが始まった。





考えているうちにいつの間にか時間が流れ、

昼休みのチャイムが鳴った。


ユイはネネの様子を見に

保健室へ向かったものの、

眠っているようで教室に引き返し、

四人で昼食を取ることにした。


リナはお弁当をつつきながら、

ふと思い出したように言った。


「そういえばさ、ロマールで

アルバイト募集してるんだけど……

ノノちゃん、どう?」


ノノは箸を止め、目をぱちぱちと瞬かせた。


「……えっ? 私?」


リナはちょっと楽しそうに微笑んだ。


「ノノちゃん、おしゃれだしさ。

うちの制服、絶対似合うと思うんだよね」


ミナも想像したのか笑みをこぼす。


「……きっと似合うと思うな。

制服姿、ちょっと見てみたいかも」


その声にユイも、静かに頷く。


ノノは少し首を傾げて、照れたように笑った。


「……そうかな。

でも、ちょっと興味あるかも」


リナは、

ぱっと顔を明るくして嬉しそうに言った。


「じゃあさ、今日の夕方、一緒に行ってみる?」


ノノはふんわりと笑った。


「……うん、行ってみようかな」





「やっぱりめっちゃかわいい〜!」

リナが目を輝かせて声を弾ませる。


クラシカルな白のブラウスに、

ワインレッドのミディスカート。


胸元には茶色を基調とした、

レースアップのコルセット風ビスチェ。


北欧の民族衣装を思わせるデザインで、

まるで物語から抜け出した少女のようだった。


あの日のあと、

リナに連れられてロマールを訪れたノノは、

アルバイトを始めることを決めていた。


「ちょっと可愛いポーズやってみてよ!」


恥ずかしそうに「こうかな?」と言って

スカートの裾をそっと持ち上げた。


「よーし、いっぱい撮っちゃうよ〜!」


リナは嬉しそうにスマホを構え、

パシャパシャと連写を始める。


撮った写真はすぐに、「きらきら放課後部」の

グループチャットにアップして、

みんなにも見せようとしていた。


画面には、笑顔でポーズを取るノノの姿。


胸元では、

小さな懐中時計のネックレスが光っていた。


面接の日、

オーナーの夢守(ゆめもり)コヨミがその時計を見て

「店の雰囲気に合ってるし、

よかったらつけてみて」と、

勧めてくれていた。


そうしてつけられたネックレスは、

ロマールの制服にすっと馴染んでいる。


「じゃあ、開店準備はじめよっか!」


リナが声をかけると、

「ノノちゃんはテーブル拭くのお願いね」と、

先輩らしく指示した。


それに頷き、少し緊張しながらも、

黙々とテーブルを拭き始める。


新しい場所、新しい仕事。


不安もあるけれど、それ以上に

どこか楽しい気持ちが、芽生えていた。


作業をこなし

奥のテーブルに差しかかったとき、

かすかな音とともに、

胸の懐中時計がわずかに揺れた気がした。


目を落とし、時計に指先を伸ばして手に取る。


そのとき、扉が静かに開き、

鈴の音が店内に柔らかく響いた。


そっと顔を上げて、

自然な笑顔を浮かべながら、声をかける。


「いらっしゃいませ──」


窓ガラスがきらりと輝き、


カフェ・ロマールは

今日も穏やかな時を刻み始めた──




────────✿────────




金網のフェンスに、そっと手をかける。


目の前に広がるのは、

いつもと変わらない夕景。


雲の変化を、ぼんやりと眺めながら

昨日のことを思い出していた。


ネネちゃんは、優しく笑ってくれた。


その笑顔は、あたたかくて、

どこまでも真っ直ぐで──


なのに、わたしは……


胸の奥がじわりと痛む。


あのとき、彼女を傷つけてしまった。


それだけは、消せない。


思い出すたび、不安になる。


昨日はそんなに気にしていないように

見えたけど、

もう嫌われてしまったかもしれない。


わたしに好意を

持ってくれていることは、気づいてた。


でも……それを受け入れたあとで、

もし気が変わったら。


もう、普通に話せなくなるかもしれない。


ネネちゃんは友達がたくさんいて、

いつもみんなの中心にいる。


たとえ気持ちが変わっても──


わたしと話をしなくなっても、

すぐに誰かと仲良くなって、

そのうち忘れられてしまうかもしれない。


でも、わたしは──


そんなとき、

頭の奥に、あの声がふとよぎった。


鏡の中──自分の中にいたものの声。


「いつ告白するの?

他の人に奪われてもいいの?」


それは嫌だ。


そう強く思った。


嫌われてもいい。


何も言わないままの方が、ずっと怖い。


昼休み、

保健室でネネちゃんの顔を見た瞬間、

もう止められなかった。


お昼を食べ終えてすぐ、スマホを開いた。


気づいたら、メッセージを送っていた。





《体調はどう? 心配してる》


次の休み時間、メッセージが届いた。


《もうだいぶよくなったかも。

心配かけてごめんね》


画面を見て、少し安心する。

すぐに返事を打った。


《よかった。教室に戻ってくる?》


《今日、放課後に

お母さん迎えに来てくれるって、

それまで保健室なんだけど、

ちょっと外に出たくなってきたかも》


《元気そうだね。

放課後、少しだけ屋上に来れる?》


《うん。大丈夫》





そして今、

傾きかけた夕暮れに照らされながら

屋上にはひとりきりの気配。


風がスカートの裾を揺らし、

フェンスの向こうで空が赤く染まっている。


遠くの空に、夕陽に照らされた

入道雲がゆっくりと浮かぶ。


その雲の動きを、

ただぼんやりと見つめていた。


扉が開く音が鳴る。


振り向くと、夕日の眩しさに目を細めた。


光の中、ネネちゃんが扉の向こうで、

少し笑みを浮かべていた。


「待った?」


声とともに、あたたかな夕日を背に、

ゆっくり歩いてくる。


寝起きの身体がまだ本調子じゃないのか、

わずかにふらついた。


思わず手を伸ばして、そっと声をかける。


「無理してない?」


彼女は少し笑って、

冗談めかすように言った。


「うーん、寝すぎてちょっと疲れたかも」


その言葉に、肩の力が少し抜けて、

思わず笑みが漏れる。


けれど、そのまますぐに視線が下を向いた。


夕暮れの光が足元を染めていく中、

ためらいながら言葉を探す。


「ちょっと聞いてほしいことが

あるんだけど……」


返ってきたのは、

静かな「うん……」という声。


「……ネネちゃんに、

嫌われるのが怖くて……」


言いながら、喉の奥がきゅっと詰まる感覚。


「いつも優しくしてくれてたのに……」


前に立つ気配が静かに動いた。


何も言わずに頷いてくれるのがわかった。


呼吸が浅くなっていく。


言葉を探すたびに、うまく声が出ない。


「どうしたらいいかわからなかった。

本当にこれからも、

一緒にいてもいいのかなって考えたら、

自信がもてなくて……」


視線を落としながら、

無意識に指先を動かす。


言葉の続きがうまくまとまらないまま

口を開く。


「でも、夏休みあんまり会えなくなって、

ネネちゃんのこと考えてたら、

夜になるとすごく寂しくなって……」


声が震えてくる。


ひとつ深く息を吸い込んで、

絞り出すように続ける。


「少しでも会いたい……

そばにいたいって思ったの……」


まぶたの奥が熱を帯び、視界がにじむ。


「わたしと、どうか……いっしょにいて」


声と同時に、頬を温かい雫がつたった。


ふと、彼女の手が動くのが見えた。


頬に触れて、何かを拭うような仕草。


そっと手を伸ばし、彼女の手にふれる。


指先に、ほんのかすかな

しっとりとした感触が伝わってきた。


そして、涙も拭かずに顔を上げて、

まっすぐその顔を見つめる。


「ネネちゃん……大好き」


彼女の瞳にも、涙が浮かんでいた。


「わたし、ずっと思ってたよ……

中学の時から、ずっと……

ユイちゃんのことが好きだった……」


言いながら、そっと指先がなでてくる。


手を握り返すでもなく、

ただ確かめるみたいに、やさしく。


「もっと仲良くなりたいって思ってたけど、

どうしていいかわからなかった」


その言葉を受け止めながら、

わたしは少し俯いて、ぽつりと返す。


「ごめんね、ちゃんと伝えられなくて……」


すると、やさしい声が耳に届く。




「わたしたちの想い……」




「やっと、届いたね――」




夕日に照らされたその笑顔は柔らかく輝き、

頬を伝う涙が宝石のようにきらめいていた。



ふたりの指がやさしく絡み合った



西の空が、淡い赤にじんでいる



どこまでも優しくて



どこまでもあたたかい



茜色のひかりだった



世界は明日も変わらずに流れていく



けれど、ふたりの世界だけは



確かに変わっていた――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ