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君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
その手にふれるまで
23/28

scene.22 「星がもたらすもの」

そのキャンパスの中央には、

明治の近代化期に招かれたドイツ人技師、

Miskaron(ミスカロン)の名を冠して建てられた

洋風建築の旧館が今も静かに佇んでいた。


煉瓦の外壁に、

窓上には小さなアーチの装飾。


古びた尖塔の先には、

錆びついた金属の飾りが

いまなお名残のように残されていた。


当時賑わっていたこの建物も、

今では耐震基準の問題から

長く立ち入りが禁じられ、

その周囲には、当時のままの

煉瓦造りの壁が巡らされている。


その壁は幾度となく補修され、

新しいモルタルの継ぎ目が

不格好に浮き上がっていた。


正面にそびえる重厚な鉄の門は、

かつての華やかさを打ち消すように、

固く閉ざされている。


その向こうには、旧館を取り囲むように

いくつものモダンな校舎棟が立ち並び、

ガラス張りの壁に蛍光灯の光が浮かんでいた。


──ミスカロニア大学。


古い洋館と現代的な校舎が隣り合う

この光景は、まるで時の層が幾重にも

折り重なったかのようで、

不思議な静けさをその場に漂わせていた。



────────*────────


scene.22 「星がもたらすもの」


────────*────────



【9月3日 午後6時33分】

【ミスカロニア大学】


大学近くの静かな路地で合流した三人は、

軽く挨拶を交わすと大人の白咲(しろさき)リコの先導で

正門へと歩きはじめた。


天野(あまの)チヤと霧島(きりしま)ユウは、

それぞれ制服から私服に着替えており、

どこかいつもより

落ち着いた雰囲気を漂わせている。


ふたりの表情には、

ほんの少し緊張の色が滲んでいた。


やがて、リコが「こっちです」と

軽く指を差す。


三人はそのまま、

まっすぐ旧館の鉄の門へと向かった。


途中、何人かの学生とすれ違ったが、

誰ひとりとして

三人に目を留める者はいなかった。


やがて、足元の石畳が

少し古びた色へと変わる。


リコは振り返り、

二人に向けて、安心させるような

穏やかな笑みを浮かべた。


そうして三人は、

旧館の鉄の門の前へと辿り着く。


門柱には「立入禁止」の札が掲げられている。


門の前に立ち止まると、

ユウが少し顔を強張らせながら

リコの方を見た。


「……ねえ、ここに入るの?

どう見ても、入っちゃいけない場所だけど」


そう言った──そのとき。


鉄の門を留めていた南京錠が、

カチリ、と小さな音を立てて外れ、

鎖とともに地面へと落ちた。


乾いた音が周囲に響く。


しかし、近くを通り過ぎていた学生たちは、

まるで何も聞こえなかったかのように

誰一人として振り返ることはなかった。


三人は思わず小さく息を呑む。


すると、重たい鉄の門は

誰が押したわけでもないのに、

わずかに軋む音を立てながら、

ゆっくりと開きはじめた。


門がゆっくりと開いていくのを見て、

リコは小さく息を吸い込み、

躊躇いなく一歩を踏み出した。


その後ろで、

二人は一瞬、視線を見合わせる。


どこか不安げに眉を寄せながらも

やがて小さく頷き合い、リコの後を追って

門の内側へと足を踏み入れた。



──その瞬間だった。



視界が、ふっと暗転する。


同時に、足元の感覚が消え、

まるで重力から解き放たれたかのように、

体が宙へと浮き上がった。


一瞬の無音。


そして──


気がつけば、三人は、

薄暗く、ただならぬ空気が漂う

古びた部屋の中に立っていた。





【9月3日 午後6時43分】

【ミスカロニア大学・旧館地下室】


空気は冷たく、どこか湿っている。


さっきまでの大学の空気とは、

まるで別世界のようだった。


何が起こったのか理解できないまま、

チヤとユウは小さく息を呑み、

思わずその場に立ちすくむ。


周囲には無数の微細な光の粒が、

ふわふわと宙に漂っていた。


まるで星屑が舞っているかのように

淡くきらめきながら空中をさまよっている。


少しずつ目が慣れてくると、

そこが古びた広間だとわかった。


奇妙に湾曲した天井。


崩れかけた壁には黒ずんだ木材や

剥がれ落ちかけた破片が張り付き、

闇の中にぼんやりと浮かんでいた。


そのドーム状の天井の中央には、

細い鎖に吊るされた蝋燭台が下がっている。


そこに立てられた一本の蝋燭が、

細く頼りない光をかすかに揺らめかせていた。


やがて、その影の奥から──

西洋風のアンティーク人形が、

音もなく歩み出してきた。


チヤとユウは、

互いに視線を交わし、息を呑んだ。


人形はふたりの前まで進むと、

ゆるやかに腕を広げた。


まるで舞踏会のように、

一歩踏み出し、滑るような足取りで円を描く。


一人でに人形が動いているという異様さに、

ふたりはその場から動くことができない。


ただ目の前の出来事に釘付けにされていた。


踊り終えると人形はくるりと向きを変え、

奥の闇へと戻っていった。


その背が見えなくなるのと

入れ替わるように、二人の女性が、

ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。


ひとりは、

淡い金髪に澄んだ青い瞳を持つ女性。


よく見ると、その右目には

小さな星のような光がかすかに煌めいていた。


もうひとりは、

銀色の髪に、虹のような光を帯びた少女。


その左目には同じく星を映したような輝き。


ふたりとも、この現実から

浮いているような空気を纏っている。


人形はふわりと浮かび上がり、

銀髪の少女の方へと滑るように近づく。


その腕に抱き抱えられると静かに収まった。


金髪の女性が三人に視線を移し、

穏やかに微笑む。


「この世界でも、またお会いできましたね」


リコは、チヤとユウの方へ目を向け、

静かに紹介の言葉を口にする。


「紹介します。

夜波(よなみ)アナさんと、音無(おとなし)トワさん。

わたしと……

不思議な縁でつながっている方たちです」


──アナとトワ。


名前を口にしたとき、

空気がすっと澄んだ気がした。


そのときだった。


銀髪の少女──音無トワが宙に浮かび上がる。


何の前触れもなく、

ただ自然に重力から解き放たれたかのように。


二人は思わず息を呑み、

驚きに目を見開きながらわずかに後ずさった。


「……こうしてお会いするのは、

久しぶりですね。チヤさん、ユウさん」


アナの声は、安心させるような

優しさに満ちていた。


チヤはふと、

リコが先日話していた言葉を思い出した。


──わたしたちに、

一度助けてもらったことがあるんだって。


少し戸惑いながらも、

チヤはそっと口を開いた。


「……じゃあ、やっぱりこれは、

二度目なんですか?」


アナは一度、小さく目を伏せ、

それからそっと三人に視線を戻す。


「……そうですね。リコさんの感覚で言えば、

これが“二度目”になるのでしょう」


ユウは視線を少し落とし、

ためらいがちに言葉を探してから、

ゆっくりとアナに向き直る。


「リコさんのことは正直あまり知らないまま、

ここまで来ちゃったけど……」


小さく息を整える。


「これから……

私たち、どうなるんですか?」


アナは、静かに目を細めて微笑んだ。


「……これからあなたたちは、

力を手に入れることになるでしょう」


少し間を置いて、続ける。


「でも、それを知っていて……

ここに来たのでしょう?」


ユウは一瞬視線を彷徨わせたが、

チヤと目を合わせ、

それからまっすぐアナを見る。


「……はい。

そのために来ました。

鏡の中のものと戦うために」


隣でチヤが頷く。


ユウは言葉を飲みかけたが、

意を決して問いかける。


「……その“力”って……

どうやって手に入るんですか?」


アナはトワに一度視線を送り、

再び二人を見つめた。


「……これから私たちが儀式を行います。

その中で、神秘の一部があなたたちの中に

宿ることになるでしょう」


「……でも、そんなことをして……

私とチヤは、無事なんですか?」


かすかに怯えをにじませた声。


「……あなたたちに宿る力は、

“鏡のもの”と同じ性質を持っています」


アナは少し声を落とし、笑みを浮かべた。


「支配するか、されるか……その違いだけ。

強い心を持っていれば、

支配されることはないでしょう」


その言葉は優しかった。


だが、その奥には、

覚悟を促すような重みがあった。


ユウは小さく唇を噛み、

それでも目をそらさずに問いかける。


「……私たちに、それが……

強い心を保つなんてこと、

できるんでしょうか?」


アナはそっと頷いた。


「……少なくとも、

私の知っている世界では」


ユウは隣にいるチヤを見つめる。


「……どうする?」


声は小さかったが、そこに迷いはなかった。


チヤはやさしく微笑み、しっかりと見返す。


「……わたしを、守ってくれるんでしょ?」


軽やかに聞こえたその声には、

決意がしっかりと滲んでいた。





【9月3日 午後6時43分】

雪城(ゆきしろ)ネネの自室】


学校から帰ってすぐ、

制服のままベッドに転がっていたネネは

いつの間にか、うとうとしていた。


「ネネー、ただいまー」


階下から母の声が聞こえる。


はっと目を開けると、

外はもうすっかり日が暮れていて、

部屋の中はうっすらと薄暗い。


──ユイちゃん、今日は連絡なくて……

どうしたんだろう。


昼間、先生に確認したときは

「体調不良で休んでいる」と

言っていたけれど、

こうして一日中既読もつかないと、

不安ばかりが募っていく。


スマホを手に取り、メッセージを確認する。


そこには、今朝──

駅前のベンチでユイを待ちながら送った

《大丈夫? 気づいたら連絡してね》が、

まだ既読にならずに残っていた。


小さくため息をついて、

画面を伏せようとした──そのとき。


ポン、と小さな通知音。


ネネは息を呑み、急いで画面をタップした。


《会って伝えたいことがあるの。

蓮公園で待ってるね》


ほんの少し、胸が高鳴る。


──でも、なんだろう。この感じ。


うれしいはずなのに、

どこか胸がざわついて、落ち着かなかった。


(……でも、こう言われたら、

行くしかないよね)


小さく息を吐き、

スマホをぎゅっと握りしめて起き上がる。


部屋を出て階段を降りると、

廊下の奥からシャワーの音が

かすかに聞こえた。


──少しだけなら大丈夫だよね。


静かに靴を履き、

慎重に玄関のドアを開ける。


夜の空気が、頬を撫でる。


深呼吸し、気づかれないよう足音を殺して

ネネは家を後にした。





【9月3日 午後7時5分】

【ミスカロニア大学・旧館地下室】


アナは静かに頷く。


「……では、始めましょう」


トワがそっと、視線を天井へと向ける。


古い石造りの天井に嵌め込まれた鉄の扉が、

軋むこともなく、ゆっくりと開いていった。


そこから射し込む月光が、

ひと筋の銀の道となって空間を貫いた。


その光が照らした先に──

奇妙な祭壇が浮かび上がる。


誰ともなく、視線が無意識のうちに

その中心へと吸い寄せられていった。


そこにあったのは──

紫のタコのような“偶像”だった。


幼い造形にも見えるそれは、

この場にはあまりにも不釣り合いで、

何か“かたちにしてはならないもの”が

宿っているような気配があった。


祭壇のまわりには星や心臓を象った“供物”が

整然と並べられ、色とりどりの飾り紐が

絡みつくように垂れていた。


三人は思わず息を呑む。


「……目を閉じて、

静かに立っていてください。

これは“力”を押しつけるものではありません。

あなたたち自身の想いが、

それを受け入れるかどうかを決めるのです」


その言葉にうながされるように、

チヤとユウは、そっと目を閉じた。


ゆっくりと深く息を吸い込み、静かに立つ。


トワの身体がふわりと宙へと浮かび上がる。


祭壇の背後へと回り込むと

手のひらをゆっくりと広げ、身を回転させる。


その動きに合わせて、

掌から無数の微細な光の粒子があふれ出す。


きらめく粒は舞い上がり、

回転に導かれるように

螺旋を描きながら空間へ広がっていった。


アナはそっと瞼を閉じ、

胸元で指先を組みながら、静かに息を整えた。



「黒き星々、サドクの印章を通して――」



リコは、その声を聞きながら目を閉じる。



* * *



乾かした髪をゴムでまとめながら、

リビングに戻る。


ソファには綾瀬(あやせ)ノノが腰かけ、

テーブルに立てかけたタブレットで

動画を眺めていた。


こちらに気づいたノノが画面に手を伸ばし、

再生を止める。


そして、振り返ってにこっと笑った。


「さっきの続き、観よっか」


「うん」


返事をして隣に腰を下ろす。


ノノは「えーっと」と

呟きながら再生画面を探している。


その様子を横目で見ながら、

ふと思いついて声をかけた。


「……あ、何かお菓子取ってくるね」


そう言って席を立ち、パタパタとキッチンへ。


棚を開けて、

お菓子が入った袋や箱を探していた。


──そのとき。


背後から、ガラスが砕け散り、

何かを叩きつける音が響いた。


思わず手が止まり、驚いて振り向く。


そこにいたはずのノノの姿は消え、

赤い斑点が飛び散ったソファの横に、

長い髪を揺らす女性が立っていた。


その顔を目にした瞬間、鼓動が跳ね上がる。


高校の時、

同じクラスで過ごした香坂(こうさか)ユイさん。


忘れられるはずのない面影が、そこにあった。


その瞳が、一瞬、赤黒い光を放つ。


同時に、黒い影が素早く伸びる。


「あっ」と声を上げる間もなく視界が暗転し、

気づいた時には別の場所に立っていた──





薄暗い部屋の中。


正面には、ふたりの女性が静かに並んでいた。


金髪の女性が、穏やかな声で呼びかけた。


「……白咲リコさん」


突然のことで状況が掴めず、

思わず言葉が漏れる。


「ここは……?」


「そうね……あなたのひいおばあさんと、

一緒に過ごした場所とでも言えばいいかしら」


「……どうしてわたしはここに?」


「あなたはたった今、襲われて――」


その言葉の途中で、記憶がよみがえり、

はっとして声を上げた。


「……ノノは?」


女性は目を伏せ、小さく息を吐いた。


「……残念だけど──」


脳裏に、赤い斑点が鮮やかによみがえる。


「えっ……」


声にならない声が漏れる。


頭の中が真っ白になり、言葉が続かない。


沈黙が落ちたまま、

女性は静かに言葉を継ぐ。


「……あなたを助けたのは、

サヨさんのおかげです。

あの方は、

私たちにとてもよくしてくださった」


視線がリコの胸元に落ちる。


「その時計には、双子の精神が宿っています。

一つは未来を映し、もう一つは過去へ遡る。


もし望むなら──


眠る力を呼び覚ましてあげましょう」


「……過去へ遡る?」


問いかけに、女性は静かに頷いた。


「その時計に宿る力は、

あなたを思い浮かべた“時間”へと、

そのままの姿で導くでしょう」


言葉の意味を掴みきれずに、

思わず口をついて出た。


「……じゃあ、さっき襲われたことも……

無かったことにできるんですか?」


女性はわずかに目を細め、静かに答えた。


「それは、あなた次第。

私たちにとっては、

どの結果が正解でも、間違いでもないのです」


(ノノを……

あんな目には絶対にあわせたくない)


胸の奥にその想いが込み上げ、

強く拳を握りしめた。


「……お願いします」


その言葉に銀髪の少女の視線が

胸元の懐中時計へと向かうと

左目が一際眩しく煌く。


すると、呼応するかのように、

時計は青白い光を放ち始めた──



* * *



チヤの足元から、

霧がじわじわと立ちのぼり、

そのまま全身を包み込んでいく。


リコはその様子を見守りながら、

胸元の懐中時計をそっと握りしめる。


(これでようやく……未来が、変わる)


静かに目を伏せ、微笑んだ。



──誰かの未来が変わるなら。



わたしは、もう迷わない。

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