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君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
その手にふれるまで
20/28

scene.19 「未来の記録」

【9月2日 午後9時15分】

白咲(しろさき)リコの自室】


部屋には、まだ夏の名残を感じる

夜の空気が流れていた。


湯上がりの髪をゴムで

緩くまとめて、机に向かう。


肩にかかる髪が、

まだ少し湿っているのがわかる。


日記帳は開いたまま。


ペンを持ったまま、

手だけが止まっていた。


ふと、少しだけ開けた窓の方へ目を向ける。


夜の窓には、

遠くの明かりがちらちらと瞬いていた。


きらきら放課後部のみんなの顔が頭に浮かぶ。


ペンを置き、スマホを手に取った。


指先で画面を開き、

グループチャットが表示される。


スワイプすると、

何気ない写真や短いメッセージのやり取り。


みんなで海に行った写真が並んでいる。


スマホを置いて、

一度、深く息を吸い込む。


ゆっくりと吐き出してから、ペンに手を伸ばす。


走らせた文字は、少し震えていた──



────────*────────


scene.19 「未来の記録」


────────*────────



【9月2日 午後3時52分】

澄風(すみか)女子学園・屋上】


「……わたしたちは、あなたのこと、

少し知ってるつもり」


その言葉にリコは驚き、瞬きをした。


天野(あまの)チヤは、

そのまま穏やかな声で続ける。


香坂(こうさか)ユイさんの夢のこと、そして──

あなたの大切にしている時計のことも」


そのまなざしがリコをまっすぐ捉えたまま、

やさしく語りかけてくる。


「……どうして、

それを知ってるんですか?」


小さく、それでもはっきりとした声だった。


戸惑いと、わずかな警戒が滲む。


リコの指先が、

無意識に胸元の懐中時計に触れた。


チヤは、リコの視線を受け止めながら、

ゆっくりと口を開いた。


「……昨日、ある人に会ったの。その人は、

“これから起こる未来”の話をしてくれた」


リコは息を呑んで、目を伏せた。


「……未来、って……

夢で見たユイさんのことが

現実になるような……そんな話ですか?」


チヤは頷いた。


「そう。でも──今のままじゃ、

その未来は現実にならないかもしれないの」


「……でも、現実にならなかったら……

それで、いいんじゃないですか?」


リコは目を伏せたまま、続ける。


「わたし、あの夢……現実にしたくなくて、

ずっと日記に書かなかったんです」


チヤは、リコの顔を見て静かに言った。


「……あなたは、もう気づいているはず。

あの鏡に、何か“秘密”があるって」


わずかに目を見開いたのを見て、

言葉を継いだ。


「このまま何も書かなければ、

“あの未来”は来ないかもしれない。

でも──


鏡の中の“それ”は残り続ける。

そして、ゆっくりとユイさんを蝕んでいくの」


リコは唇を噛み、迷いを含んだ声でたずねた。


「……じゃあ、どうすればいいんですか?」


それは、自分自身に向けた問いのようだった。


「あなたは今日、見たはず。

ユイさんが、“それ”に操られかける瞬間を」


リコの表情が、ぴくりと強ばった。


ほんの数時間前──

昼休みの出来事。


ユイの、まるで別人のような冷たい瞳。


空気がひやりと変わった

あの瞬間がよみがえる。


チヤは言葉を選びながら、静かに告げた。


「今日、あの夢を日記に書いたなら……

今夜、ユイさんは“それ”に呑まれる」


リコは目を伏せ、唇を震わせた。


「……本当に、

そうしないといけないんですか?」


少しだけ間を置いてから応えた。


「ユイさんを助けるには、“それ”を……

鏡の中に潜んでいるものを、

外に出さなきゃいけないの」


そう言ってから、隣にいる霧島(きりしま)ユウに目を向ける。


彼女は頷き、リコへと優しく視線を移した。


「大丈夫。出てきた“それ”は、

私たちがなんとかするから」


その声は落ち着いていて、

どこかあたたかさを帯びていた。


チヤは、少しためらいながらも静かに続けた。


「……でもそれを書いたら、

“それ”を強く呼び起こすことになる。


その力を使ったあなたは、

周囲の記憶から消えていくのが、

もっと早くなるかもしれない……」


その言葉に、

リコの胸がぎゅっと締めつけられる。


誰かの記憶から、

自分の存在が少しずつ薄れていくこと。


それには、もう慣れているつもりだった。


でも──


仲の良い友達まで含まれるかもしれないと

気づいた瞬間、胸の奥がじわりと冷たくなる。


誰かの記憶から静かに消えていくことが、

こんなにも寂しくて、

こんなにも怖いなんて思ってもみなかった。


俯いたまま、しばらく黙っていると──

チヤが、やわらかい声で語りかけてくる。


「……でも、その人は言ってたよ。

あなたが大切にしている人は──

ずっと、あなたのことを忘れなかったって」


(……ノノ)


その顔を思い浮かべた瞬間、

堪えていた涙が、そっと滲んだ。


チヤは黙って、

リコの手にそっと自分の手を重ねる。


しばらくの沈黙ののち──


リコは、涙を拭おうともせず、

ぽつりと呟いた。


「……未来のことを知ってる人って……」


チヤは重ねた手を、

導くようにリコの胸元へと動かす。


触れたのは──金色の懐中時計。


リコは、かすかに笑った。


両手で、その小さな時計を包み込む。


そこから伝わるぬくもりは、

やさしくて、あたたかくて──




誰よりも、よく知っているものだった。






【9月2日  午後4時43分】

【澄風女子学園・屋上】


傾きかけた陽が、校舎の影を長く伸ばす。


空にはうっすらと、秋の雲が広がっていた。


フェンス越しに見下ろす街並みに、

リコはひと呼吸、深く息を吸い込む。


それから、ゆっくりと振り返った。


「……帰りましょうか」


チヤが微笑み、ユウも静かに頷く。


三人は屋上の扉を開け、

ゆっくりと階段を下りていく。


踊り場を折れ、廊下へ出たところで──


「あっ、白咲さん。さようなら」


振り向くと、クラスメイトの望月(もちづき)ユウナが、

隣にもう一人の生徒を連れて歩いていた。


リコは声をかけられ少し驚いたが、

すぐに穏やかな微笑みを返す。


「……さようなら。気をつけて」


ユウナは軽く会釈しながら、

隣の小柄な生徒と楽しげに言葉を交わし、

そのまま廊下の向こうへと歩いていった。


静かな放課後の廊下には、

窓から差し込む柔らかな光が満ちていた。


リコはふと足を止め、

「あっ……」と、小さく声を漏らす。


「……ごめんなさい。

教室に荷物を置いたままで……」


少し気まずそうに笑ってから、

ふたりの背中に声をかけた。


「先に校門まで行っててくれますか?

すぐ追いかけます」


チヤはくすりと微笑みながら頷いた。


「うん、わかった。焦らずにね」


「……はい、ありがとうございます」


返事をして、スカートの前を押さえながら

ふたりの横を駆け抜けた。





【9月2日  午後4時48分】

【澄風女子学園・1年A組】


リコは軽く息を整えながら、

教室の扉に手をかけた。


そっと開ける──。


放課後の静けさに包まれたはずの教室。


けれど、その中には──


机にプリントを広げたまま、

ぴたりと寄り添って座る

陽日(あさひ)リナと月森(つきもり)ミナの姿があった。


扉が開いた音に、リナがふいに顔を上げる。


ぱちりと目が合う。


「……あっ」


驚いたような声が漏れ、

背を向けていたミナの肩が、ぴくりと震えた。


リコは慌てて視線を逸らしながら、

小さく頭を下げた。


「……ご、ごめんなさい」


リナはわずかに身を引き、

口元に手を添えて、慌てたように声を漏らす。


「ちょっ、あ、明日の、テスト勉強……!」


咄嗟に何かを言い繕おうとしたが、

うまく言葉が出てこない。


リコは慌てて教室の中へと足を踏み入れ、

机の横にかけっぱなしだった

自分のバッグへと駆け寄った。


なるべく二人を見ないようにしながら、

手早く荷物をつかむ。


リナはバツの悪そうな笑みを浮かべながら、

気まずさを隠すように手を振った。


「……ま、また明日ね!」


ミナは振り返ることもできず、

うつむいたまま肩をすくめていた。


教室の空気に耐えきれず、

逃げるように扉へ向かいながら


「さ、さようなら……っ!」


廊下に出ると、そのまま自然と早足になる。


顔が熱い。


心臓がどきどきしている。


額に手をやり、小さく息をついた。


でも──


(……守りたい。こんな日々を)


──自分に、できることがあるなら。





校門の前で、

ふたりがこちらに気づいて手を振っていた。


リコは駆け足のまま、向かっていく。


「ごめんなさい、待たせちゃって……」


「ううん、平気だよ」


三人は並んで歩き出す。


駅へと向かう帰り道。

他愛のない会話が、ぽつぽつと弾む。


駅前に差しかかると、三人は足を止めた。


チヤがこちらを振り返り、

やわらかく微笑む。


「……今日は、ありがとう」


隣にいたユウも、静かに言葉を添えた。


「大丈夫。あとは私たちに任せて」


リコはふたりに向かって、小さく頭を下げる。


ふたりの背が人混みにまぎれて

見えなくなるまで、その場で見送っていた。


制服のポケットに手を入れ、

スマホを取り出す。


夏休み前に病院で無くしたものは

結局見つからなかった。


まだ使い慣れないこの端末には、

すぐに登録してくれた

五人の名前が並んでいる。


「きらきら放課後部」

そのグループ名をなぞるように見つめ、

メッセージアプリを開く。


表示された“綾瀬(あやせ)ノノ”の名前。


自然と、指が触れた。


《今、大丈夫? 少しだけ、話したいな》


文字を打ち終え、送信ボタンを押す。


──誰かに想いを届けるって、

こんなにも優しい気持ちになれたんだ。


胸の奥がじんわり温かくなり、

思わず笑みをこぼした。


その瞬間、スマホが震え、

画面の名前を見て、すぐにタップする。


「もしもし、うん。今学校から帰ってるとこ」


話しながら空を見上げると、

ゆっくりと色を変えていく空が、

静かに広がっていた──

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