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君に届かない、この世界で。  作者: 風乃ナノ
きらめきの日々
11/28

scene.10 「灯火のなかで」

終業式が終わり、

もっと浮かれていてもいいはずなのに──


この日、白咲(しろさき)リコは珍しく学校を休んでいた。


さらに綾瀬(あやせ)ノノも、

終業式の途中で具合が悪くなってしまい、

陽日(あさひ)リナが保健室まで付き添い、

その後、月森(つきもり)ミナとふたりで彼女を見送った。


学校が終わったあと、そんなこともあって

自然と残った四人は連れ立ち、

駅前のカフェ・ロマールに立ち寄っていた。


夏祭りが始まるまでには、

まだ少し時間がある。


アイスティーやケーキを囲みながら、

穏やかな午後のひとときを過ごしていた。


ノノを見送ってからの数時間──


誰も、あえてその話題を

口にはしなかったけれど、

胸の奥では、みんなが同じことを考えていた。


「……ノノちゃん、大丈夫かな」


リナがぽつりとつぶやく。


「……気になる?」


ミナは静かに目を伏せて言った。


「うん。保健室に行ったとき、

すごくつらそうだったし……。

リコちゃんも、今日は休みだったでしょ?

ふたりとも、ちょっと心配でさ」


リナはスマホの画面を開き、

短くメッセージを送る。


《ノノちゃん、だいじょうぶ?

無理してない?》


返信が来るまでの数秒が、

妙に長く感じられた。


ぽん、と小さな通知音。


《ありがとう。だいじょうぶ。

今、リコと一緒にいるから。》


それを見た瞬間、

リナはほっと息を吐いた。


「よかった。

今リコちゃんと一緒にいるって」


ミナはそっと頷き、

わずかに目を細めて笑った。


「……なら、少し安心ね」


雪城(ゆきしろ)ネネはほっとしたように

胸に手を当て、


香坂(こうさか)ユイも静かに頷いて、

柔らかな息を吐いた。


それぞれの表情から、

どこか張り詰めていたものが

ほどけていくのがわかる。



──ぽん。



遠くから、空に弾ける乾いた音が響いた。


夏祭りの始まりを告げる合図花火。


「……ノノちゃんとリコちゃんも、

誘ってみようか?」


リナがつぶやく。


けれど、ミナは静かに首を振った。


「今は……ふたりにしておいたほうが

いいんじゃないかな」


その声は優しく、そっと気遣うようだった。


リナは頷いて言った。


「……うん。じゃあ、そろそろ行こっか。

夏祭り、始まってるよね」


ネネとユイも頷き、四人は静かに席を立った。


カフェの外に出ると、

通りは少しずつ賑やかになっていた。


浴衣姿の親子連れや、

提灯を持った子どもたちが

笑いながら歩いていく。


あの花火の合図が、

夏の夜の始まりを知らせていた。



────────*────────


scene.10 「灯火のなかで」


────────*────────



秋神(あきがみ)駅から少し離れた山の中腹にある、

蓮の池公園。


ふだんは夕方を過ぎるとほとんど人影もなく、

木々に囲まれて静まり返るその場所が

──今日は違っていた。


隣接する蓮池神社の参道には、

提灯がずらりと並び、屋台が立ち並んでいる。


公園の広場には

ベンチや仮設のテーブルが置かれ、

屋台で買った食べ物を広げて

談笑する人々で賑わっていた。


「……じゃあ、

ちょっと甘いものでも買ってくる!」


そう言ってリナがくるりと身を翻す。


「さっきから甘いものばっかり」

ミナが少し呆れて言うと


「いいのっ。今日はお祭りなんだから!」


そう言ってリナは、

屋台の方へ軽やかに駆けていった。


数分後、両手に紙袋を提げて戻ってくる。


「お待たせー!

こっちは、ネネちゃんたちの分!」


そう言って、片方の袋をネネに手渡す。


ネネとユイが受け取りながら

「ありがとう」と微笑んだ。


その様子にリナもにっこり笑い、

今度は自分の袋をひょいと持ち直す。


「はい、ミナちゃん。あーん?」


リナが差し出したベビーカステラに、

ミナは軽く制するようにして一歩下がる。


「……えっ、ここで?」


「はい、あーんっ!」


小さく息をつくようにしてから、

ミナはそっと口にした。


「……おいしい」


「でしょー!」


リナが満足げに笑うと、

ミナの表情も少しやわらぐ。


その様子を、

すぐ隣で歩きながら見ていたネネは、

胸の奥にふと小さなざわめきを感じた。


──いいな、ああいうの。


当たり前のように笑い合える関係。


何も言わなくても通じ合っているような、

あの空気感。


──もし、ユイちゃんとわたしも、

あんなふうにいられたら。


そう思った瞬間、

少し胸がきゅっとなった。


昔は、もっと近くにいた気がしたのに。


最近のユイは、どこか遠い。


視線を横に移すと、

ユイがそっと袋の口を開けて、

ベビーカステラをひとつ取り出していた。


その仕草すら、

どこかよそよそしく見えてしまうのは、

きっと気のせいじゃない。



──ねえ、ユイちゃん。

いま、なにを見てるの?



ぼんやりと歩く

ユイの横顔を見ていたその瞬間、

ふと記憶の奥から、

似たような夏の情景が立ち上ってきた。



◇ ◇ ◇



──あれは、中学一年の夏。


入学してから初めての夏休み。


お祭りに行くの、すごく楽しみにしてた。


友だちと行くのは初めてで、

なんだか朝からそわそわしてた気がする。


浴衣は、お母さんに選んでもらった

白くてうすいピンクの花がたくさん咲いてる。


ちょっと大人っぽくて、すごくかわいい。


下駄はちょっとだけ歩きづらくて、

足の裏がじんじんしてきたけど、

それもなんだか特別な感じがして──


いつもと違う今日が、うれしかった。


最初は、ユイちゃんと一緒にいた。


ほかのクラスの子たちもいたけど、

ふたりで並んで歩いてた気がする。


なのに──


人が多くて、

ふとした拍子に離れちゃって、

気づいたときには

みんながどこに行ったのか

わからなくなってた。


屋台の列の隙間、

背の高い人たちの肩越しに、

ざわざわと音が重なる。


「……ユイちゃん?」


呼んでも返事はなかった。


そのとき、

胸の奥がひゅっと冷たくなった感覚を、

今でもはっきり覚えてる。


きっと、ほんのちょっと離れただけ。


迷子っていうほどじゃ

なかったのかもしれない。


──それでも。


あのとき感じた孤独と不安は、

世界にひとりぼっちになったみたいな

気がして。


泣きそうになるのをこらえて、

浴衣の袖をぎゅっと握りしめながら、

人混みの中を、ひとりで歩き出した。



──こわい。



──ユイちゃん、どこ?



屋台の明かりが揺れていた。


光が多いのに、

わたしだけが闇の中にいるような感じ。


そんなときだった。


「──ネネちゃん!」


次の瞬間、手が伸びてきて、

しっかりと手を握られた。


「よかった……迷子になったかと思って」



──あたたかい。



その手のひらの温度に、

初めて安心して、小さく声を震わせた。


「……ユイちゃん……こわかったよ……」


「ごめんね。わたしがちょっと

目を離しちゃって……

でも、もう大丈夫。

これからはもう、手を離さないから」


そう言って、そっとを抱きしめてくれた。


その胸に顔をうずめ、

小さく声を震わせながら息を吐いた。


そのとき胸の奥に、

ふわっと何かが灯るような感じが広がった。


──この気持ちを、なんて呼べばいいのかは、

まだわからなかったけれど。


そのまま、手を繋いで、

ふたりで人混みを抜ける。


誰かが笑っていて、

誰かが金魚をすくっていて、

誰かが綿あめを食べていた。


少し先に見慣れた背中が見えた。


「あ……お母さんたち」


声に気づいたのか、こちらを振り返った。


「ネネ、大丈夫だった? 心配したのよ」


ほっとしたように顔を覗き込んで、

そっと頭に手を置く。


「……見つけてもらったの。

ユイちゃんが、探してくれて」


そう言って少し照れくさく笑うと、

お母さんはユイちゃんに向き直り、

やわらかな声でお礼を言って、頭を下げた。


「助かったわ。本当にありがとうね」


彼女は慌てて首を振って、

小さな声で「いえ……」と答える。


その横顔が少し恥ずかしそうで、

なんだかわたしまで胸が温かくなった。


そのあと、

クラスメイトのグループとも合流した。


みんなが「無事でよかったね」って

言ってくれて、

「ごめんね、心配かけて」と笑ってみせた。


「じゃあ、私たちはもう少し見てから帰るね」


クラスメイトのひとりがそう言って、

手を振って別れた。


小さく手を振り返しながら、

みんなとまた会えたことに、

ちょっとほっとした。


そのあと、ユイちゃんと、お母さんたちと

帰り道を歩いていると、

小さなお店を見つけた。


ランプの灯りに照らされたお店の前には、

古そうな小物とかアクセサリーが

たくさん並んでいて、

なんだか昔のお話に出てくるお店みたい。


ちょっと不思議で、わくわくする感じがした。


「……ちょっと、見てみない?」


そう言うと、ユイちゃんも

「うん」って言って楽しそうだった。


ふたりでお店に入ると

並んで小さな棚やガラスケースを覗き込んだ。


小さな箱とか、古びたブローチとか、

いろいろ置いてあって、

「わ、かわいい……」と声を出しながらも、

値札を見てちょっとそわそわしてしまう。


お母さんは少し後ろから、

「壊さないようにね」って小声で

言いながら見守っていた。


そのとき──

奥の棚の向こうにひときわ

目立つものを見つけた。


小さなスタンドに立てかけられた、

きらきらした手鏡。


まるで、おとぎ話の中で、

誰かが大切にしていた宝物みたいだった。


「……きれい」


思わず、そんな声がこぼれた。


隣にいる彼女の方を見て、


「ねえ……これ、ユイちゃんに似合いそう」


そう言って、自然に手が鏡を指していた。


「え……わたし?」


「うん」


そう頷いて、もう一度その鏡に視線を戻す。


「……似合うかな?」


彼女は、はにかんだように笑った。


そのとき、

そばで話を聞いていたお母さんが言った。


「そうね、その鏡……

ユイちゃんにすごく似合ってるわ」


「どう?ユイちゃん」


「うん……。かわいいかも」


彼女は手鏡を手に取って微笑んだ。


お母さんはその様子を見て、

やさしく笑いながら言った。


「だったら──お礼をかねて、

プレゼントしましょう。

ユイちゃん、

ネネを見つけてくれてありがとう」


「えっ……あ、あの……そんな……!」


ユイちゃんは慌てて手を振ったけれど、

お母さんはもうレジの横に立っていて、

店員さんに代金を渡していた。


「遠慮しないで。ほんの気持ちだから」


そう言って手渡された小さな紙箱を、

ユイちゃんは大切そうに受け取って、

うれしそうに、ぎゅっと両手で抱えていた。


お店を出てすぐ、

ふたりで並んでそっと箱を開けてみる。


中には、買ったばかりの手鏡が、

黄色い巾着に包まれて入っていた。


「……ほんとに、

もらっちゃっていいのかな……」


ユイちゃんはそうつぶやいて、

鏡を取り出して街灯の光にかざす。


小さな飾りのついた縁が、

ランプの灯りの下で

きらきらと虹色に輝いて見えた。


「ネネちゃんありがとう……

ずっと大切にする」


そう言うと、鏡を抱えるようにして、

わたしを見つめ、微笑んでくれた。


その笑顔がなんだかとてもきれいで、

少しドキンとした。



◆ ◆ ◆



祭りの終盤、少しずつ人波も

まばらになりはじめた広場で、

公園のベンチに四人は並んで腰掛けていた。


リナはラムネを片手に、

ミナと笑い合って何かを話している。


ベンチの端で、ネネが立ち上がった。


「ちょっと、飲み物買ってくるね」


そう言って、軽く手を振ると、

ユイに小さく笑いかけてから

広場にある屋台の方へと歩いていった。


ペットボトルのジュースを手に

戻ってきたネネは、ふと足を止めた。


ベンチでは、リナとミナが

まだおしゃべりに夢中になっている。


その隣で、ユイが──


スクールバッグを膝に乗せ、

ポーチから手鏡を取り出し、

じっと見つめていた。


その鏡──


あの夏祭りの夜に手にした鏡を、

ユイはまるで何かと話すように見つめている。


ふたりはその様子には気づいていない。


誰の目にも、ただ静かに

鏡を眺めているだけのように見える。



──けれど、ネネにはわかってしまった。



その仕草には、どこか日常からずれたような、

言葉にできない違和感があった。



──まただ。



入学してから、

ユイが何度もあの鏡を見ているのを、

ネネは知っていた。


授業中、休み時間、

そっと取り出して、鏡を見つめるあの姿。


なぜか、

ときどき映り込んだように思えるリコちゃん。


そして、

まるでそこに誰かがいるかのような目で……。



そっと、ベンチへ戻っていく。


「ユイちゃん」


呼びかけた声はごく小さなものだった。


ユイは、気づかなかった。


鏡を見つめたまま、まばたきもせずに、

ただ、その面に映る何かを見つめていた。


ネネは、鏡にそっと手を伸ばした。


「ユイちゃん、それ──」


その瞬間だった。

ネネの指先が鏡の縁に触れた、

まさにそのとき。


ユイの顔が、ふっと変わったように見えた。


その瞳が、何か別の感情を映したように──

赤黒い色に変わったような錯覚。



「触らないで!」



はっきりとした拒絶の声。


思わず手を引いたネネは、

そのまま立ちすくむ。


ユイの手の中で、

鏡がわずかに揺れているように見えた。


「……ご、ごめん。わたし……」


泣きそうな顔で、ネネはユイを見つめた。


ユイは何も言わなかった。


ただ、驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。


ネネは耐えきれなくなり、

その場から駆け出す。


「ネネちゃん!」


リナがすぐに立ち上がり、

ミナに目で合図を送ると、

ネネを追って走り出した。


広場の向へと走っていくネネの背中が、

夕闇に吸い込まれていく。


ベンチに残されたユイは、

まだ手鏡を持ったまま、

視線を落とし、

呆然としたまま動かなかった。


ミナが静かに声をかけた。


「ユイちゃん……いま、何が見えてたの?」


ユイは答えなかった。


ミナの視線が、ユイの手元の鏡へと落ちる。


そこには、戸惑いを浮かべた

ユイの表情だけが、映っていた。


その瞳は、どこか空っぽで──

自分の姿を見ているようで、

見ていないようでもあった。


沈黙だけが、

静かにその場に残されていた──

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