夜明けと君
僕は夜明けの時間が好きだ。
まだ暗いうちに、寝ぼけ眼で大きな荷物を背負い、何色にも染まっていないこの街を歩く。毎年春になると見事な花を咲かせる商店街の桜の木も、錆びついた児童遊園のブランコも、ランニングする高校生の声が響いている河川敷も、いまは静かに息を殺して朝焼けが来るのを待っている。
僕が河川敷につく頃には、山の向こうから真っ赤な太陽が顔をのぞかせていて、それをきっかけに世界は曙色に染まり始める。僕は河原の定位置に腰を下ろすと、背中からギターを取り出し、ペグを回してチューニングを始める。ピックガードにつく無数の傷が朝日に照らされるたびに、僕は「彼女」と出会ったあの頃を思い出す。何者でもなく、何者にもなれたあの頃のことを。
「私、このお酒が大好きなんだよね。」
彼女は机に頬杖をつきながら僕に呟いた。居酒屋特有の橙色の間接照明に包まれた合板の机。午後八時を過ぎた居酒屋は、騒ぐ若者たちのエネルギーが満ちていて、今にもこぼれてしまいそうなほどだった。
彼女の頬はすでに赤みを帯びていて、ぼんやりと気だるげだったが、彼女の鳶色の瞳はどこまでも深く澄んでいて、向かいに座る僕をまっすぐに捉えていた。