母を殺した日、母に愛された日
次の日の朝、カリーナは老人とともに、スラムの街ネザリアを歩いていた。
スラム街には、腐敗と排泄物が混ざり合ったような、息が詰まる悪臭が充満していた。
周囲には自分と同じように、人生を諦めたもの。
蛆虫が湧いた死体。
強盗を働くもの。
自分を売って金にしようとする娼婦達。
ここにいることで、カリーナは少しだけ心が楽になった。
自分と同じ底辺に堕ちた人間が、こんなにもいるのだと知って。
老人「ここだ」
老人とともについたのは、錆びれた廃墟のような禍々しい神殿だった。
中へ入ると、人の死体や、ホムンクルスの廃棄物、怪しげな魔法陣。どう見ても危険な儀式場だったが、危険などどうでもよかった。彼女にとっては、すでに全てが無意味だった。
老人「これを飲め」
老人は禍々しい祭壇にある盃を指さした。
その盃は人の革と骨でできていて、禍々しさと腐敗臭を漂わせていた。
盃の中身は泥のような真っ黒な液体が入っていた。
カリーナ(……どうせ私なんか……でも……これで、母さんに忘れられない傷を残せるなら……。)
カリーナは無表情にそれを一気に飲み込む
その途端体焼けるように熱くなった。今までアリシアにされた屈辱が一気に蘇り、怒りと殺意が込み上げてくる。体の中の黒いものが溢れてくるようだった。
老人「ふっ……… 成功か……」
老人は不敵に笑う。
髪は雪のように白く、瞳は底なしの黒へと変わる。
だがその表情は、あまりにも無垢で美しかった。
まるで世界の苦しみを全て受け入れた、聖女のように。
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館で、昼食を食べていた、アリシアとフィリアは何処か空気が重かった。
アリシア「愛とは何だと思う?」
アリシアが珍しくフィリアに質問した。
フィリア「マスターがそんなことを聞くなんて珍しいですね。」
フィリアが驚いたように伝える。
フィリア「そうですね。私の術式の中の情報の中で伝えられることがあるとすれば愛とは慈しむ気持ち、相手の気持ちを考え、幸福を願う心とされています。」
フィリアが愛の定義を伝える。
アリシア「相手の気持ちを考えるか………
相手の気持ちを考えるにはどうすればいいのだろうか?」
アリシアは重い言葉を呟く
フィリア「話し合いをするしかないのではないでしょうか?」
アリシアが黙る。
フィリア「話し合いにおいて使われるものは言葉です。
言葉とは人の感情や魔術においても影響を与える強い力です。
言葉を交わすことで感情や考えを共有できます。
話し合いをすることで見えてくるものもあるのではないでしょうか?」
アリシアが驚くようにフィリアを見る。
アリシア「あ〜…… まさかお前からそんな回答が返ってくるとはな。」
アリシアはカリーナとの思い出を振り返る。
思えば彼女の言葉を聞き彼女が何を考えていたか聞くこともなかったと思う。
アリシア「フィリア…… ありがとう……」
アリシアはこころのモヤが晴れたように笑う。
昼食後二人は、午後の魔術工房の仕事を終え、
空も闇に落ちようとしていた時だった、来訪者を告げる魔術鈴が、静寂を裂くように鋭く鳴った。
フィリアが向かおうとするが、アリシアがそれを阻止するように、手で制す。
アリシア「私が向かう」
アリシア玄関の扉へと向かう。
アリシアの体は扉を吹き飛ばす魔力とともに後方へ飛び、石壁に叩きつけられ、骨が砕ける鈍い音が響いた。
フィリア「マスター!!!」
フィリアの瞳が揺れる。感情回路が理解できない感情に圧迫され、胸の奥が軋むように痛んだ。
フィリアが急いでアリシアの元へ向かう。
アリシア「うっ………… あっ…………」
痛みに耐えるアリシアの声が聞こえる。よく見ると口から血を吐き、腹には穴が空いており、致命傷を負っている。
カリーナ「あら残念。最初に人形がでてくるかと思ってたのに……」
そこには別人のように変わったカリーナが立っていた。カリーナは美しく雪のような、白い髪と、この世の虚無を見たような真っ黒な瞳で2人を見た。
フィリア「マスター!!しっかり!!」
フィリアは必死に呼びかける。
アリシア「どうやら…… 私はここで死ぬらしいな…… まさかこんな最期だとは……」
瀕死の中でアリシアは言葉を紡ぐ
フィリア「そんなマスター!!! 母さん!!」
フィリアの機構からオイルのような涙が零れ、指先が震え、魔力制御回路に小さなノイズが走った。
フィリアは涙を流しながらアリシアに叫ぶ。
カリーナ「人形のあんたが母さん!!!!?????」
カリーナは激昂し、フィリアに襲いかかろうとする。
その瞬間、アリシアが杖を抜き結界を張り、カリーナは結界に阻まれる。
結界に阻まれたカリーナはそれを突き破ろうと徐々に体の形が変化していった、背中からは無数の腕が生え、足の形は触手のように変化し、顔も口が裂け、歯も鋭く変化していく、怒りと憎悪と憎しみが具現化したような醜い姿に変化していった。
カリーナの背中から伸びた無数の腕が皮膚を裂き、白い骨が飛び出す。血と肉片を撒き散らしながら、それでも彼女は微笑んでいた。
アリシア「フィリア早く逃げろ……… 恐らくカリーナは何者かに誑かされあの力を手に入れた……
時期に何者かが、この館を襲いに来る………」
アリシアは瀕死の中最後の言葉を伝える。
フィリア「そんな!!!」
フィリアは涙を流しながら、最後の言葉を聞く
アリシア「やっぱり、お前には人格があったか、お前を創造した母としての最後の言葉だ、幸せになれ……… 愛している………… 」
その言葉と同時に、アリシアは杖をフィリアに向け、自分から引き離し、フィリアと自分の間に結界を張った。
フィリア「嫌〜〜〜〜!!!」
フィリアは泣き叫ぶ。それと同時に最後の主からの命令遂行し、走り出す。
フィリアを見送るアリシアは微笑んでいた。
アリシア「さて、実の娘にも言葉を届けなくてはな………」
アリシアは何かを唱えると杖から淡い光の玉が出現した。
カリーナはアリシアの結界を壊し、光の玉が頬に触れた瞬間、カリーナの視界は赤黒く染まり、母の温もりも声も、粉々に砕け散った。
カリーナの中で、聞こえる筈のない母の言葉が聞こえた
アリシア「今まですまなかった、私はお前を道具として、育ててしまった。
お前はただ存在するだけで尊い存在だったはずなのに、クレイン家に恥じぬ立派な魔術師に育てればお前が幸せになれると勘違いしていた。
お前が本当に望む幸せを考えられなかった。
お前のことを愛している。
もっと一緒に遊んでやれば良かった………」
アリシアの温かくも悲しげな懺悔の言葉が聞こえた。
それと同時にカリーナの中で、まだ幼少期の頃唯一母が優しくしてくれた記憶を思い出した。
ーー幼い頃、母の膝で眠った日の温もり。
ーー母の作るあの甘いスープの匂い。
ーー冷たかったはずの母の手が、あの日だけは優しく髪を撫でてくれた。
全て忘れたはずの記憶が、黒く濁った心に淡く灯った。
徐々に人の姿に戻るカリーナ涙を流しながら、母の遺体に向かう。
アリシアの体から血が溢れ、倒れた床を真紅に染め体の一部はバラバラになっていたが、その顔には“娘を想う母”の安らかな微笑みがあった。
カリーナ「あ〜〜…… ああああああああああ!!!!!!」
カリーナがむせび泣く
カリーナ「母さん…… 私…… 私……」
カリーナがその言葉を放った瞬間黒い光が後ろからカリーナを襲った。
カリーナの目から光が消えぐったりと倒れる。
その場所には老人が立っていた。老人の顔は醜く歪んでおり、片目は白濁しており、ローブの下に見える体には複数の縫い目と魔法陣があった。
老人「ふっ…… まぁいい。あのホムンクルスが揃えば、儀式はついに完成する……。
待ち焦がれた時が、もうすぐ来る……。」
老人は不敵に笑う。