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ellipse  作者: 華里仁
9/21

第9話 県総体予選

 県総体当日。


 朝から空はどんよりと曇っていた。時折、風が吹くたびに湿った空気が肌にまとわりつく。

 ウォーミングアップの会場では午前中に競技のある選手達が、自分のペースでアップを行っている。

 時間が経つにつれて、選手たちの表情が険しくなっているのを見ると、自然と心臓の鼓動が高まってくる。

 梅雨の時期が近付いているせいか、午後からは雨が強くなるらしい。

 私が出る400mの予選は総体の初日に行われる。

 予選は午前中に行われるが、準決勝と決勝は午後だ。

 つまり、勝ち進めば雨の中で走ることになるかもしれない。


「海里、どう? 調子は。」


 アップを終えて会場の端でスパイクの紐を緩めていると、朱が声をかけてきた。

 ニコニコと手を振りながら隣に座る。

 朱は3日目に競技が行われるから、今日は応援だけだ。

 とはいっても、男子の応援だろうけど。

 ふとトラックを見ると、男子の中距離の選手達もアップを終え、ぞろぞろと戻ってくるのが見えた。


「うん。大丈夫。」


「……海里は相変わらずだねぇ。」


「そう?」


「そうだよ。緊張とかしなさそうだもん。鋼のメンタル? みたいな。」


「……。」


「そんなわけないでしょ」と言いたくなったが、気持ちを乱したくなかったのでそれ以上会話をするのを止めた。

 そんな私に気を遣うわけでもなく、朱は話を続ける。


「いよいよ私たちも最後かぁ。ねぇ、陸上やってて楽しかった?」


「……まだ、終わってない。」


「あ、そっか。」


 朱はスッと立ち上がり、「がんばってね」とだけ言い残し、中距離の男子選手の元へと走っていく。

 なんなんだろう、この子は。私の心を乱しに来たのだろうか。

 朱は3日目だから余裕があるの? もう、負けた気でいるの?

 悪気があるつもりじゃないんだろうけど、もう終わった気でいるのが妙に腹立たしくてしょうがなかった。

 ふぅっと深呼吸をし、マイナス思考に陥りそうな自分を引き戻す。

 だめだ。こんなことで乱されるな。

 今は自分のことにだけ集中しよう。

 招集時間は10:00。1組目、第3レーン。

 まだ時間はある。ゆっくりと深呼吸をして立ち上がり、空を見上げた。

 厚くて黒い雲が、徐々に近づいている。


 ――私はまだ、ここでは終わらない。


 そう自分に言い聞かせ、アップ会場を後にした。


 ◇◆◇


「海里、そろそろ招集会場に迎え。」


 部の待機場所で準備を終えた時に、顧問の先生が声をかけてくる。


「調子はどうだ。」


「悪くないです。」


「そうか、わかっているとは思うが、予選は身体の調子を見ろ。前半は飛ばしすぎず、テンポを作れ。だが、気を抜くなよ。」


「……はい。」


 先生に一礼をし、スパイクと水分のボトルが入っている手提げバッグを持ち、招集会場に向かう。

 朱と話をしたせいなのだろうか、妙に心がざわつく。

 それが、苛立ちなのか緊張のせいなのか、理由はわからない。

 気持ちを切り替えるために、もう一度今日のレースの戦略を頭の中で確認する。

 スタート、カーブ、バックストレート、カーブ、ホームストレート。

 自分が走るイメージを高めていく。


 ――負けない。


 そう頭の中で繰り返しながら歩いていると、いつの間にか招集会場に到着した。

 招集会場には、数人選手が集まっている。

 表情を見ると、皆引き締まった表情をしている。自然と緊張感が増してきた。

 私は予選1組目。ジャージを脱いでユニフォーム姿になり、スパイクの紐を結びなおした。

 ベンチに座り、目を瞑り、ゆっくりと呼吸を整える。予選の目的は、決勝に向けた調整だ。全力で走る必要はない。

 むしろ、ここで力を使いすぎては本番で足が動かなくなる。あくまで身体の調子を見る。

 最後にスピードを少しだけ上げて、フォームの確認をする程度。それで十分だ。

 だけど、出し惜しみはしない。後悔はしたくないから。

 まずはスタートだ、スタートに集中しよう。


「では、1組目の選手は移動します。」


 ――よし。


 誘導員の後に続き、1組目の選手が移動を始めた。

 トラック上には、すでにスタブロの準備がされている。

 走って自分のレーンに行き、すぐにスタブロの調整を始めた。

 スタートラインに踵を合わせ、距離を測り、高さを合わせる。

 そして、滑らない様にピンがついている支柱をしっかりと踏む。

 いつもやっていることだ。何の問題もない。

 設置を終え、すぐにスタートの姿勢をとって感触を確かめる。

 これも問題ない。むしろ、調子がいいくらいだ。

 一度深呼吸をしてふと空を見上げると、雲がどんどん黒くなってきている。

 ポツッと顔に小さな水が当たるのを感じた。

 天気予報って、当たるんだな。


「オンユアマーク」


 音声が耳に入り、私はゆっくりとスタート位置へ向かった。

 スタブロに足をセットする。

 少しだけ足の裏に力を込め、しっかりと力が反発するか確認する。


「セット」


 上体を少しだけ持ち上げ、前傾姿勢を作る。


 ——パンッ!!!


 ピストルの音が響く。身体が反射的に飛び出した。

 スタートは問題ない。2歩目3歩目と、徐々にスピードが上がる。

 いつも通りのリズムを意識して、ストライドとピッチを一定に保つ。

 バックストレートまではとにかく力を使わず、楽に。

 体幹を意識しながらタータンからの反発を感じながら前へ前へと前進していく。

 隣のレーンの選手がすぐ近くまでいるのを感じた。でも、気にしない。私のレースは、私が決める。


 ——第3コーナー。


 ここから、少しずつギアを上げていく。まだ全力じゃない。でも、スピードは徐々に乗せる。

 雨が降る前の湿った空気が、肌にまとわりついてくる。


 ――ホームストレート。


 軽くピッチを上げて加速する。心臓の鼓動と呼吸のリズムが上がってきた。

 チラッと横目で左右のレーンを確認する。

 大丈夫、上位2名には入っている。

 そのままフィニッシュラインを駆け抜け、ゆっくりとスピードを落としていく。

 空を見上げながら、乱れている呼吸を整える。

 電光掲示板に映し出される名前とタイムを確認しないと。


「1 藤浦 海里 1:00.85」


 リズムも良い、身体の調子も大丈夫。予定通りのレース展開ができた。

 ここまではいい。でも、これで終わりじゃない。

 一呼吸つき、もう一度レースの展開を改善するために、すぐにトラックを後にした。

良かったらまた次話も見に来てください。

評価いただけますと、とても励みになります。

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