第8話 総体前
県総体2日前。
今日の練習はフォームの確認が中心の調整メニューだ。
スプリントのドリルとフォームチェックを淡々とこなしていく。
だけど、私の場合は疲労を抜ききってしまうと、逆に本番で調子が悪くなってしまうので、割と普段の練習に近いメニューをこなしている。
だから極力、練習の強度を維持したまま大会を迎えることにしていた。
休憩中にふと、隣のグラウンドに目をやると、ラグビー部が練習していた。
確か同じ日に総体があるはず。
試合前だからなのだろうか、ラグビー部の練習場は、緊張と熱気で満ちていた。
ビブスを着た部員が、グラウンドを縦横無尽に走っている。
おそらく、試合形式の練習をしているのだろう。
コート上にいる全員がたった1つの楕円球を追いかけ、奪い合う。
人と人がぶつかり、衝撃音がグラウンドに響き渡る。
正直、何が楽しいのかわからないな。
「次! ラインアウトのサイン確認!」
顧問の先生の声が響くと、選手たちは一斉に動き出した。
白線が轢かれたコートに1列で並ぶ。
スローイングされたボールが、何もない空間に放たれるのと同時に、一人の選手が飛び上がる。
手に吸い付くようにボールを取り、着地した瞬間に密集状態を作っていく。
「プッシュ!」
掛け声と同時に、密集状態になった塊が、徐々に前進する。
「レディーゴー!」と言うと、さらに密集の前進する速度が上がっていく。
「ブレイク!」
聞いたことのあるような声が耳に入ってくる。
その瞬間、一人の選手が密集状態から飛び出していった。
――斗士輝だ。
迫りくる敵を、一人、また一人となぎ倒して前進していく。
その姿は、闘技場に解き放たれた闘牛のようだった。
その背中は、「止められるものなら止めてみろ」と言っているように見える。
心の中で自然と、「いけ、いけ」とつぶやく自分がいた。
だけど、「ピピーッ」とホイッスルが鳴るのと同時に、選手たちの動きが止まった。
「斗士輝! お前何度言ったらわかるんだ!? お前がボール持ちすぎてたら次の動きがずれるんだ! そこはもっと早くウィングにパスを出せ! もう1回!」
顧問の先生の怒号が飛び、もう一度同じ状況を設定しなおし、練習が再開する。
斗士輝は腰に手を当てながら深呼吸して再び列に並んだ。
――何がだめだったんだろう。
ラグビーはやったことが無いし、ルールもわからない。
でも、斗士輝のプレーの何が良くなかったのだろう。
一人で前進しちゃダメなの?
単純な疑問が、私の頭の中に棲みついた。
「休憩終了! 次、テンポ走いくぞー!」
陸上部顧問の先生の声が聞こえてくる。
手に持っていたボトルの水を口に含み、私の目は再びトラックのコースを見つめなおした。
――集中。集中。
気持ちを切り替えてジョギングでスタート位置に着く。
だけど、頭の片隅では斗士輝の悔しそうな顔がちらついていた。
「セット!」
マネージャーの声が、私の意識をトラックのレーンに引き戻す。
それにしても、今日はやたらと日の光が眩しく感じるな。
気のせいかと自分に言い聞かせ、静かにホイッスルが鳴る音を待った。
◇◆◇
5月末とはいえ、夜はまだ少しだけ肌寒い。
ナナと散歩から帰って来て、玄関で汚れたナナの足を拭き、ブラッシングをする。
柴犬って、季節を問わず抜け毛が多いからブラッシングはかかせない。
おかげですれ違う人に「ワンちゃん、綺麗にされてますね」とよく言われる。
私のブラッシングのお陰だから感謝してよね、ナナ。
そう言いながらも、足元でなされるがままにブラッシングされ、まったりとしている姿を見ると、自然と心が穏やかになる。
ナナとの穏やかな時間を過ごしていると、玄関の扉が開き、スーツ姿の父の姿が現れた。
「ただいま。お、散歩終わったのか。お疲れさん。」
「おかえり。父さん今日はいつもよりも早いね。」
「あぁ。今日はそんなに仕事が多くなかったからな。」
「そっか。」
父はそっとナナを撫でて洗面所に向かう。
部屋着に着替えた父は、ほっとしたような顔を見せ、リビングに入っていった。
私とナナもお手入れを終えてリビングへと向かっていった。
父はダイニングの椅子に腰を掛けてビールをコップに注いでいる。
私もナナを抱きながら椅子に座り、おもむろに口を開いた。
夕方に見た斗士輝の行動が、どうしても頭に引っかかっていたからだ。
「父さん。ラグビーって、一人で前に進んじゃダメなスポーツなの?」
父は持っていたコップを口の手前で止め、驚いた顔を見せて私を見つめる。
「どうしたんだ? 急に。」
「うん。ちょっと聞いてみたかっただけ。」
ビールを一口含み、父は話し出した。
「そうだなぁ。だめ、とは言えないし、いい、とも言えないな。」
「どういう意味?」
「うーん。例えば、パスをすれば絶対に点数が取れる場面、数的有利な状況の時に単独で突っ込んで相手につかまったら、それはダメなプレーと言えるかもしれないな。」
「数的……有利?」
「味方の方が相手よりも多いって状況だ。」
「ふーん。じゃあ、人数が同じとか、一対一だったら?」
父は少し考え込むように天井を見上げ、またビールを口に含む。
「その時は……勝負するだろうな。」
「勝負?」
「単純な話だ。基本的には敵を躱す動きをする。足の速い奴なら特に。力が強い奴は、強行突破するだろうな。」
「ふーん……。じゃあ、そういう時は1人で前進するんだ。」
「だけど、ラグビーではめったにそういう状況にはならないと思うぞ。」
「なんで?」
「普通は味方の援護があるからな。」
「じゃあもしも、自分1人に対して相手が2人とか3人いたら?」
「そうなったらもう個人の強さで勝負するしかない。……味方が来るまで耐えるしかないだろうなぁ。」
そう言うと、父は空になったコップをテーブルに置き、ビールを注ぎ始めた。
「それにしても、お前が陸上以外のことを言うの、珍しいんじゃないか?」
確かに、父の言う通りだった。
私はこれまで自分以外のことを話すことはほぼない。
たまに学校でこんなことあったということぐらいで、ここまで別の事を話したことは無かった。
一体、どうしてしまったのだろう?
「まぁ。他の競技から学べることもあるだろう。海里、明後日はいよいよ県総体だな。」
「……うん。」
「怖いか?」
「ううん。」
「そうか。頑張って来い。身体、しっかり休めろよ。」
「うん。ありがとう。」
ふと下を見ると、ナナが身体を足にくっつけてリラックスしている。
そうだ、いよいよだ。
まずは東北大会に進出しないと。
そのためにも、集中しなければ。
そっとナナを撫で、自分の部屋に戻った。
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