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ellipse  作者: 華里仁
17/21

第17話 予選開始

 まだ誰もいない観客席スタンドの隅に、私は1人で立っていた。

 ここから見下ろすトラックは、走り出せばたった1分くらいの距離なはずなのに、目の前に見える楕円が、とても長く大きく感じる。


 ――いよいよだ……。


 私の競技開始時刻を頭の中で確認する。

 予選は10時過ぎ。それに残れば14時頃。最後は、16時頃だ。

 中学校から始め、何日も、何時間も走り続けてきた。それを、この3回ですべて出さなきゃ。

 まずは予選……。おそらく、全員が1分を切ってくるだろう。簡単に残ることはできないかもしれない。

 それでも、やるしかない。全てベストタイムを出すつもりで走り切れ。


 ――大丈夫。大丈夫。楽しめばいい。


 心の中で何度もつぶやいた。

 空を見上げながらゆっくりと深呼吸をする。温もりのような温かい空気が私の中に入ってきた。

 今日は日差しが強いせいからなのだろうか、やたらと眩しく感じる。

 そして、トラックがゆらゆらとぼやけて見えている。立っているだけで、汗がにじんでくる。

 でも、そんなの関係ない。弱気になるな。私は私の走りをするだけなんだ。

 腕時計で時間を見ると、競技開始まで1時間を切っていた。

 私は持っていたスパイクを握り締め、アップ会場へと向かった。


 ◇◆◇

 

 一通りアップを済ませ、日陰で軽くストレッチをしていると、棚橋先生が声をかけてきた。


「海里さん。調子はどう?」


「はい。悪くないです。」


「今日は大分暑くなるみたいだから、水分補給しっかりしてね。」


「はい。」


「それと……結局、他の陸上部の子、来なかったみたいで……。私の力不足ね。ごめんなさい。」


「大丈夫です。それに、棚橋先生のせいじゃないと思います。」


「海里さん……。」


「じゃあ、そろそろ招集時間なので、行ってきます。」


「うん。頑張って来てね。応援席で見てるから。」


「はい。あ、棚橋先生。」


「何?」


「ずっと練習に付き合ってくださって、ありがとうございました。今日は、自分にできることを、しっかりやってきます。」


 棚橋先生は驚いたような表情を見せ、私の肩に手を置いた。


「こちらの方こそありがとう、海里さん。思いっきり走ってきて! 行ってらっしゃい!」


「行ってきます。」


 一礼をし、招集場所へと向かった。一気に緊張が押し寄せてきた。深く深呼吸をし、早まる鼓動をおさえた。

 足取りが、いつになく重く感じる。アップの調子はいい。不安なことはない。でも、なぜか心が苦しい。

 原因はわからないけど、なぜか心がモヤモヤする。


 ――緊張、しているの?


 そんなことはないと自然と頭を振るった。今はネガティブなことを考える時じゃない。

 楽しめ、楽しめと自分に言い聞かせながら、招集場所の扉を開けた。

 招集場所には、すでに20人くらい集まっている。

 私は予選第2組目の第3レーン。各県の予選のデータを見たが、この組は58秒台で走る選手が多い。

 次の準決勝の事を考えると、最低でも58秒前半で走らなければ予選敗退となってしまうだろう。

 大丈夫、今の私なら無理なタイムじゃない。

 ゆっくりとベンチに座り、いつも通り瞑想をする。

 一呼吸一呼吸、鼻から肺、お腹へと流れる空気を感じるように呼吸を繰り返す。

 だけど、初めての東北大会のせいなのだろうか。いつもよりも心臓の鼓動が早く感じる。


 ――落ち着け。大丈夫だ。


 その言葉だけを頭に残し、再び深呼吸を繰り返した。


 「それでは、選手の皆さんは今から移動します。」


 ――よし。


 選手達が誘導員の後ろについていく。

 指定の場所に着くと。1組目の選手が、颯爽とスタートの位置に飛び出していった。

 選手達の足の運びを自然と目が追った。やっぱり、リズムがいい。そして、軽やかだ。

 委縮しそうになる気持ちが現れた瞬間、私は拳で自分の心臓を叩いた。

 震えそうになる身体を紛らわせるため、軽く足を動かしストレッチを始めた。

 トラックを見ると、1組目の選手たちがスタート位置まで戻ってきている。

 出場選手の名前がコールされ、それに伴って声援と拍手が湧く。

 

 ――そうか……私に声援って無いのか。

 

 それに気付いた瞬間、一瞬身体の動きが止まった。

 そして、身体が急に硬直した。


「オンユアマーク」


 会場に合図が響いた時、一瞬身体がビクッと反応した。でも、それ以上動けない。

 なんで? どうして?


「セット」


 心臓の鼓動が、早い。呼吸も荒い。

 目を瞑ってなんとか身体の緊張を解こうとする。けど、うまくいかない。


 ――パァン!


 スタートの合図とともにとスタブロの反発音が聞こえ、選手たちが飛び出していく。

 でも、私の身体はまだ動かない。なんとかしなきゃ。次は、私の番なのに。

 トラックに目をやると、1組目の選手が次々とフィニッシュラインを駆け抜けてくる。

 暑さが増してきたのか、朝見た時よりもトラックがぼやけて見える。


「では2組目の選手はトラックに入ってください。」


 深呼吸をし、足が動くか試してみる。

 すると、フッと足が動き始めた。スタートの位置まで軽く走ってみる。

 大丈夫だ。身体は動く。一体、さっきのは何だったのだろう。

 気のせいだと思い込むように決め、いつものようにスタブロをセットする。

 大丈夫、いつもと変わらない。スタートの姿勢を取り、軽くスタート練習をする。

 これも、大丈夫だ。問題ない。

 スタート位置に戻り、手を組んで腕を上に伸ばして首をゆっくりと回す。

 いつものルーティーンだ。

 そして、会場内に選手の名前がコールされ始めた。

 すると、また私の身体が硬直を始めた。


 ――嘘……。やめて……。


 次々と選手の名前がコールされ、皆手を挙げてスタンドに向かって一礼をしている。

 声援と拍手が起こるたびに、私の身体はどんどん動かなくなっていった。

 そして、私の名前がコールされた。


「第3レーン 藤浦 海里。」


 必死に腕を挙げる。

 だけど、これ以上動けない。

 振り向くことも、できない。


 ――私に声援なんて、ないんだ。


 その時だった。


「海里ーーーーー!!!!!」


 私は、呪縛が解けたかのように身体が動き、慌てて声のする方向を見た。

 その声は、どの声援よりも大きく、ハッキリと聞こえた。

 あまりの声の大きさに、会場がどよめくくらいだった。

 

「海里――――!!! ファイト――――!!!」


 力強い女性の声が響き渡る。約束、守ってくれたんだ。

 私はその声の主を確認し、ゆっくりと頭を下げた。


 ――喜子さん……。来て……くれたんだ。


 私は再びスタートラインに目をやった。

 少し、白線がぼやけて見える。思わず顔を手で覆った。そして頬を叩く。

 今は私のできることを、精いっぱいやる。

 きっと斗士輝も来てくれているんだろうな。

 

「オンユアマーク。」


 合図が耳に入り、スタブロに足を置く。

 だけど、いつもと違って、後ろから強く、頼もしい力がかかっているような気がした。

 思わず、笑みがこぼれる。

 今はもう、自分の呼吸音しか聞こえなくなった。


「セット。」


 背筋を伸ばし、一瞬息を止める。

 これまで以上に、集中しているのがわかる。


 ――パァン!


 一気にスタブロを押し込んだ。溜めていた力が良い気に爆発される。

 1歩2歩3歩と、どんどん加速を始めた。

 いつもと、違う。

 いつも以上に、身体が軽く感じる。

 足が前へ前へと行きたがる。弾むように軽やかになっているのが、自分でもわかる。

 バックストレートに入り、その状態がさらに続く。

 飛ばしすぎない様に抑えるのが精いっぱいなほどだ。

 

 ――まだ、焦らないで……。


 第3コーナーに入る。いつもなら身体が重く感じるはずなのに、まだ軽い。

 心臓の鼓動は早まっている。だけど、足は前に行きたがっている。

 周りの状況なんて見る余裕はない。もっと速く走りたいと思う身体を押さえるのに必死だ。

 

 ――ここ、だ!


 最後のホームストレートに入り、一気に押さえていた欲望を解放させた。

 腕も、足も、まだ軽い。まだまだ回すことが出来そうなほどだ。

 呼吸は荒くなっている。でも、たった一つの思いが、私の心を満たしていた。


 ――楽しい。


 ふと我に返り、フィニッシュライン手前で少しだけスピードを落とす。

 フィニッシュした後周囲をチラッと確認したが、私の前には誰もいなかった。

 息が荒くなりながら腰に手を当て、電光掲示板を見た。


「1 藤浦 海里 57.15」


 そのタイムを見た時、思わず「えっ」と呟いた。

 これまでの練習では、こんなに楽な気持ちで走ったことはなかった。

 それなのに、予想していたよりも速いタイムが出たので、驚きを隠せなかった。

 ただ、「楽しい」という余韻を残し、トラックを後にした。

良かったらまた次話も見に来てください。

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