泡になって消えるはずだったのに、ヤンデレ王子が離してくれない
ヤンデレ王子に捕まる人魚の話です。
こういう人魚姫系のお話が書きたかった。
いつも通り、頭を空っぽにして読んでください。
夜の中でもわかる、きらきらと光るその姿。
それを見て私、一目で好きになったの。
「やぁ、エリシア」
「こんにちは、王子様」
「やだなぁ、王子様なんて。クリスって呼んでおくれよ」
「あはは、ごめんなさい。クリス」
「うん」
週に2度、人間の彼は私に会いに来てくれる。
私はそのお喋りをいつも、とても楽しみにしていた。
──彼との出会いはいつ頃だったかしら。最近だったような気もするし、そうじゃない気もする。
そう、あれは夜の海の上でのこと。
人魚である私はすごく人間の世界に興味があって、いつも海面からこっそり顔を出して、きらきらと光る人間のまちを見つめていたわ。
海の中には無いそれらを見ていると、なんだか私まで楽しい気持ちになってくるの。
その日も、私は海に漂いながら、大きな大きな人間の船を眺めていた。
人間はいつもああいった乗り物を使って海へ出てくるけど、どんな役割があるんでしょう? 乗っている人達はどんな人達?
でも、私は人魚だから。人間とは話すことができない。触れ合うことも、してはいけない。
でないと人間に食べられてしまうらしい。人間達は私達のお肉があればとても良いことが起こると信じていて、そのせいで多くの人魚達が命を落としていったから、だそうだ。
だから、どれだけ興味があっても、私は人間との関わりを持つことは出来なかった。
──そのはず、だったのだけれど。
「えっ」
驚きで声が上がる。
何故かって、私の見ていた大きな船から、誰かが落ちてきたの。大きな波が船をぐわんぐわんと揺らしたせいか、その衝撃で落ちたみたい。
びっくりしたわ。そして思った。人間って、水中では呼吸が出来ないんじゃなかったっけ?
暫く見ていても、その人は浮かんでこない。
……これって、まずいんじゃ……?
「た……助けなきゃっ!」
慌ててその位置まで泳いでいく。
水中の中でどんどん下へと下がっていくその人の身体にぎゅっと抱きついて、海面へと向かっていく。
そうしてどこかの浜辺に着いた頃には、その人はぐったりしてしまっていた。
「ど、どうしよう……」
人間って溺れた時どうするのだろう。人魚な私には全然わからない。
でも、こうしている間にも彼の意識は戻らなくて。どうしようどうしようとあたふたするしかなかった私の頭に、一つの方法が浮かんだ。
(──そうだ)
いつの日か聞いたことがある。
人魚の歌声には様々な力があって、怪我を治したり、誰かを助ける時にも効力を発揮することがあるのだって。
その人魚が、真に願えば──。
「……!」
すう、と息を吸い込む。
口を大きく開ける。
そして、歌った。
彼のために。
自慢じゃないけれど、私の歌声はこの海の中でもピカイチに綺麗だって言われているの。あの伝説の人魚姫にも劣らないだろうって。
なら、心から願えば、この人を助けることもできるはず──!
「…………う、」
「!」
ふるふるとその人の瞼が震えて、ゆっくり開けられた。
それを見た瞬間、息を、呑んでしまった。
まるで、私達が住む海のような、きれいなきれいなコバルトブルー。
「……きれい……」
あまりの美しさに、私は呆けながらそう呟いてしまった。
そこでハッと気付く。
そのコバルトブルーが見えているということは。
彼の瞳は……開いている!
「──ごっ、ごめんなさい!」
慌ててそう叫びながら海へと戻った。
私ってば本当にバカな奴。人魚は人間に姿を知られてはならならないのに。
それでも。
海の中へと潜る中で、私の瞼の裏には、あの綺麗な男の人の姿がチラチラと光っていた。
その数日後、だったと思う。
彼が「人魚を探している」という話を聞いたのは。
自分を助けてくれたのは紛れもなく人魚だ、助けてもらったお礼がしたい、だからどうか出てきておくれ。
これらの台詞を、彼が海に向かって叫んでいたのだ。聞いた時は本当にびっくりしたわ。
信じられる? あんなに格好いい人が、海に向かって一心不乱に叫んでいるだなんて。
話を聞いた時、もちろん思ったわ。「私のことだ」って。
でも、人魚の姿は人には見せてはならない。そう、海の掟にある。
見つかったら何をされるか分からないから。
だから私、会わないようにしていたの。
彼の姿がいつまでも脳裏にあったけれど。この時点で、もう十分、あの人に恋をしていたけれど。
それでも、決まりは破っちゃいけないから。
でも、彼は私を見つけた。
本当にたまたま。人間の入ってこない場所で、浜辺に座りながら一人歌っていた私の腕を、彼が捕まえたの。
私もうその時びっくりしちゃって。思わず「キャーーッ?!」って叫んじゃったわ。ここなら人が来ないと思ってたのに! っていう驚きと、彼にまた会えた喜びで。
「待って、今度は行かないでくれ!」
掴まれた腕が熱かった。人の体温って、こんなに熱いものなのね。私、今まで知らなかった。
「もう一度、君に会いたかった」
「え……」
「会ってお礼がしたかったんだ。お願い、今だけでもいいから……! 逃げないでほしい!」
そのコバルトブルーの瞳に懇願されたら。
その、綺麗な顔でねだるように言われたら。
その場に留まるしか、私に選択肢は無かったわ。
これが、私とクリスの出会い。
クリスはまず私にありがとうと言ってから、自分のことを教えてくれた。
なんと、クリスはこの国の王子様らしい。王子様って本で読んだことあるわ。すっごく偉い人なんでしょう?
そう言ったら、「そうでもないよ」と照れたように笑っていたけれど。
「海に投げ出された時、ああ、ここで自分は死ぬんだと思った。そしたら、誰かが僕を上に連れて行ってくれる感覚がして……。
目が覚めたら君は居なかったけれど……、どこかで君の歌声が聞こえていたよ。なんてきれいな歌声なんだろうと思っていた。
それからは、ご覧の通りさ。微かな記憶にある君の姿を探すため、政務もほっぽり出して毎日海に出かけていた」
「そうだったの……。……あの、ごめんなさい。私、人魚の掟で、あなたと会うわけにはいかなくて……だから」
「分かってるさ。今でも人魚の伝説は残ってる。その肉を食べれば不老不死、だなんて……、馬鹿馬鹿しいよ」
ここで私と会ったことを誰にもバラさないでほしいと願えば、クリスは笑って了承してくれた。
「けど、エリシア。僕は君のことをもっと知りたい。
また会いに来てもいいかな……?」
また懇願するような顔で言われれば、私に拒否権はなかった。
そこから、私とクリスの、秘密の浜辺で行われる楽しい時間が始まったのだった。
人間の世界に興味がある、と言った私に、クリスは人間界のいろんなことを教えてくれた。
食べ物、人々の生活、どんな風に生きて、どんな風に過ごしているのか。
彼のしてくれる話はどれも興味深くて、私はいつも聞き入るばかりだった。
彼が話し上手だというのもあったのかもしれない。
「いいなぁ、人間の世界……。私も行ってみたいな」
まるで恋に浮かされたように、ぽつりとそんな言葉を呟くのは、私の恒例行事になっていた。
*
「ねぇ、エリシア」
「なぁに? クリス」
「今度さ……、僕の城に遊びに来ないかい?」
え? と首を傾げた。
クリスのお城に遊びに行く?
……私が?
「あっ、安心して! できるだけ君を人の目に映さないように、細心の注意を払うし! それでなくても、僕のお城の人達はみんな優しくて、人魚に対する偏見なんてないよ。
君専用の部屋も用意したから、だから……」
いつになく顔を赤くし、もごもごと口ごもりながら言うクリス。なんだかその様が可愛かった。
(お城……)
いつも浜辺から眺めるだけだった、とおいとおい所にある大きな建物。あそこがクリスのお家なのだという。
そこに招待してくれている、っていうことなのかしら。
「……どう、かな……? 来てくれる……?」
少し悩んだけれど、私は好奇心が抑えられなかった。
こくりと頷けば、ぱぁぁ! と明るくなる彼の顔。
それを見て、ああやっぱり好きだなぁ、なんて思いが溢れた。
「嬉しいよ、エリシア! じゃあじゃあ、僕は君を迎える準備をするから、今日はこれで失礼するね!
えーっと、いつ頃がいい? 僕としては明日でもいいんだけれど!」
「ええと、そうね……。じゃあ、三日後くらいで……?」
「三日後ね! わかったよ!」
帰っていくクリスはとても嬉しそうで、お誘いを受けてよかったなぁ、なんて思いながら見送った。
*
そして私はというと。
すっかり顔馴染みになった海の魔女さんの所でこの話をしていた。
「へえ、あんた、今度お城に招かれることになったのかい。
いいね、本当に人魚姫の伝説の再来だ」
「そうかしら。でも、あの伝説、最後はどうなったんでしたっけ……?」
「さて。どっちだったかなぁ。泡になって消えるか、王子様と結ばれたか……。
で? あたしの所に来るってことは、何かお願いがあるんだろう?」
「そう! 私、人間になりたいの!」
「ええ?」
魔女さんが顔を顰める。
そしてふう、とため息をついた。
「あのねぇ、エリシア。人間になるには相応のリスクを背負わなければならないんだよ?」
「知ってるわ! でも、一度でいいから、人間の姿で彼と同じ場所に立ちたいの!」
「そうは言ってもねぇ……」
魔女さんが私の周りをぷかぷかと揺蕩う。
「あたしも何度も試したけど、やっぱり人間の薬は何かしらのペナルティを負うことになっちまう。かの人魚姫みたいに、声を代償に貰ったりして……、それでも、王子からの愛を受け取らなければ、完全に人間にはなれないんだ。
それでもやるのかい?」
真剣な顔で言われて、少し戸惑ってしまったけれど。
それでも、と、思った。
それでも、彼の隣に、一時だけでも人間として在れるのなら。
……そんな光景を、夢見てしまったから。
私の決意を聞いた魔女さんはまた深いため息をついて、「なら今から作ってやるよ」と言ってくれた。
「ただし、私の薬は期間限定のものだ。
1週間。この間に愛する者……王子からの口づけを貰えなければ、お前は泡となって消えてしまう。
人魚の本能がお前の足を海へと動かし、そして泡になるんだ」
「……わかった」
自分の顔が青ざめていくのがわかる。
それでも、私の決意は変わらなかった。
「……さ! 今から薬を作るんだから、お客さんは帰った帰った!」
「は、はい! それじゃあ、よろしくお願いします!」
魔女さんにぐいぐいと背中を押され、慌てて魔女の家を抜け出していく。
でも、よかった。これで、人間になれる!
*
「はい、出来たよ」
クリスと約束をした3日後の昼。
海の魔女さんから薬を渡された。
「これが……」
おそるおそる手に取ってみる。
中にある液体は、瓶を振ってみるとちゃぽん、と音を立てる。
「代償として声と……髪を貰うからね」
「は、はいっ」
「ただし、恋を成就させればこの声は返してやる。それに比べれば、髪なんて安いものだろう?」
「そうですね……!」
「ああ、それと、言い忘れていたけど。一応話しておく」
「?」
首を傾げると、魔女さんはとても真剣な顔をして言った。
「仮に、1週間以内に愛する者の愛がもらえなかった場合……、その人の血をあんたが浴びれば、人魚に戻ることは出来る。
ナイフで刺したりして、返り血を浴びるんだ」
「?! し、しません! 絶対にそんなこと!」
考えてゾッとした。血を浴びるだなんて、そんな恐ろしいこと!
「わかってるよ、だから「一応」って言った。
人魚姫の伝承にその話があるんだよ。あんたも知ってるだろう?」
「う、それは……」
知っている。知っているが、そうなった場合、私はクリスの血を浴びなければならないことになってしまう。
つまり、彼の身体に傷をつけるということ。
絶対、そんなの嫌だ!
「……まぁ、あんたなら大丈夫だろうさ」
「えっ?」
「じゃ、さっさと薬を飲んで、王子様の所へ行ってきなさい」
魔女さんに背中をぐいぐいと押され、ドキドキしながら瓶の中身を開ける。
ごくり、と唾を飲み込んで。
「…………!」
ぐいっ! と、瓶の中身を喉に入れた。
すると身体中がざわざわとざわめき出すのが分かる。
「人間になってしまえば人魚の時の呼吸はできない! まだ身体が出来上がってない間に、海面に出なさい!」
「〜〜〜っ!!」
魔女さんからの叫びにこくこくと頷いて、急いで海の中を泳いでいく。
どんどん自分の身体が変わっていくのが分かって、このまま海面に上がれなかったらどうしよう、なんて心配をしてしまった。
「──はぁっ! はぁ、はぁっ……!」
ザパン! と、顔を海から出す。
下半身の感覚が完全にいつもと違う。まだちゃんとは見れていないけれど、どうやら人間の足になっているらしい。
「……っ」
とりあえず、浜辺に行かないと。
そう呟こうとすれば、喉から声が出ないことに気付く。
「…………」
本当に、喋れなくなっちゃったんだ。私。
喪失感がありながらも、どちらかといえば達成感の方が強かった。だって、今はもう、クリスと同じ人間になれたのだから!
「っ……! っっ……!」
慣れない足を動かして、バタバタと泳ぐ。
幸い浜辺はここから近かったみたいで、割とすぐに辿り着くことができた。
さてそこに着いて、立ち上がろう、としたけれど。
「っ? ??」
上手く足に力が入らなかった。その場にぺたん、としゃがみ込んでしまう。
なんだか、身体が重い気がするわ。それで上手く立ち上がれないのかも……。
「──エリシア?!」
どうしよう、と思っていた所に、思わぬ声が入った。
クリスだ。
「……!」
どうしてここに。
約束の時間はまだ先のはずなのに──。
「えっ、ええエリシア?! その格好は……!! と、とりあえずこれを着て!!」
「?」
私の姿を見た途端真っ赤になったクリスに布を掛けられる。
どうかしたのかしら。
(……そういえば、人間ってみんな「服」を着ているわよね……)
それが人間界のマナーなのだと、どこかで聞いた気がする。だからかしら?
「そ、それにしてもどうしたんだい、こんな所で……。しかも、君、尾が……!」
「……! ……!」
一生懸命説明しようとしたが、やはり声は出ない。
それを見たクリスが「……もしかして、声が出ないの?」と呟く。
私はこくこくと頷いた。やった、これなら事情を説明できそう!
「……まさか、人魚姫の伝説にある、人間になれる薬を……?」
「!」
また頷いた。すごい。クリスはなんでもわかるのね!
「……と、とにかく、僕のお城へ行こう。ここでは身体が冷えてしまう。
歩けるかい、エリシア?」
彼にそう問いかけられ、必死に足を動かそうとするが、重たいものでも乗って動かさないようにしているかのように、私の足は思うように動いてくれなかった。
それを見たクリスは私をひょいっと抱き上げてくれる。
声にならない叫びを上げた。
「大丈夫だよ。君は僕が、いつでも、どこへでも運んであげる」
彼の笑顔がすごく近くにあって。私、あんまりにも恥ずかしかったから、顔を真っ赤にしながら俯いちゃった。
*
連れてこられたお城はどこもかしこもキラキラしていて、私は辺りをきょろきょろと見回すことしかできなかった。
すごい! 人間のお家って、こんなに輝いているものなのね!
だから夜でも人の家の中は光っていたのかしら!
「一応、君専用の水槽も用意したのだけれど……、今は要らないかい?」
「! ……!」
「そうか、人間だものね」
こくこくと頷く私を、クリスは優しい笑顔で見つめてくる。
ふかふかとしたものの上に腰を落とされて、私はなんだかそのつるつるしたものの海を漂ってみた。とっても触り心地がいいわ、これ!
「あはは。ベッドの上で泳ぐなんて。
やっぱり君は人魚なんだねえ、エリシア」
なるほど。この大きな物体はベッドと呼ぶのね。覚えておこう。
クリスが傍に立っていた人に何か言ってくれたみたいで、私の服? はすぐに用意された。裾がひらひらしていて、なんだか尾鰭みたい。
手で摘んだり離したりしていると、クリスから「それは男の前ではやめた方がいい」と言われた。なぜ? と首を傾げる私に。
「人間の足は、他人には簡単に晒さない箇所なんだ」
そうなのね。でもクリスは他人じゃない。私の大切なお友達で、そして、大好きな人なのに。
でもクリスがそう言うのならやめておこう。郷に入っては郷に従え、という人間のことわざもあることだしね!
「それで、エリシア」
「?」
「君はさっき、人間になる薬を飲んだと言っていたけれど」
頷く。
「人魚姫の伝説はこの国にも伝わっている。あれは確か……。愛する者が居る人魚のために、海の魔女が作り出したんだってね。
ということは、つまり……、君には、その……、愛する者が居る、ということなのか?」
クリスの直接的な質問に、私はぼんっ、と顔を赤くした。
まさか、本人の口からそんな直球に言われるだなんて!
どうしよう。なんと答えたらいいものかしら。……って、今私話せないんだった!
「…………」
結局、私は本人の前で「愛する人がいて、それはあなたです」と言うのが恥ずかしくて恥ずかしくて、答えを濁してしまった。
しかも、この話をクリスにしてしまえば、彼にキスをしてくださいと願っているようなものじゃないの! い、今はまだ言えないわ、恥ずかしくて!
「……そうか」
そんな私を見て、彼が何を思っていたのか。
その時の私には推し量ることなど、到底出来るものではなかった。
*
クリスのお城に来てからどのくらいが経ったのかしら。
指で数えてみる。いち、にい、さん……三日くらい? いえ、もっとかもしれないわ。
何せ、ここに来てからの私は毎日クリスとどこかしらに出かけていて、とっても楽しい気持ちだったから。
歩く練習だっってしたわ。クリスが根気強く手伝ってくれて、まだおぼつかないけれど、自分でも足を動かせるようになったの。
それでも彼は疲れてきた私をいとも簡単に抱き上げてくれて、お城の色んな所を案内してくれて。
憧れていた街にだって行った。
声が出ない私のことをみんな不思議がっていたけれど、優しくしてくれた。笑顔を向けてくれた。
楽しかった。
だから、気付かなかった。
その裏で、悲しんでいる人が居ることに。
その日もクリスと出かける約束をしていて、私は自分の部屋のベッドに座りながら待っていた。足だって、まるで尾を揺らすように、ぶらぶらと上下に動かすことができるようになったわ!
そんな私の耳に、ドアの外からこんな声が聞こえてきた。
「……クリス殿下は気が狂ってしまわれたようで」
「ええ……、なんとも嘆かわしい……」
(?)
クリスの話をしているのかしら? でもよく聞こえなかったから、ベッドから降りてゆっくり足を動かし、扉の前まで歩いた。
そこまで行くと、外の人達の話し声はしっかりと聞こえてくるようになっていた。
「……ステラ嬢、どうか泣かないで」
「……っご、ごめん、なさい……わたし」
「クリス殿下はあなたを愛しておられます。だって、古くからの婚約者なのですから」
……時が止まったようだった。
泣いているのは女の子のようだ。それを男性が慰めている。
そして、泣いているその子の名前はステラ。
(……クリスの、愛している人?)
「ッ!」
気がつくと踏ん張っていた足から力が抜けたようで、私はずるっ! とその場に倒れ込んでしまう。
その音に気付いたのだろう、外に居た男女が扉を開け私を見た。
「……あなた、聞いていたの」
「……っ」
何か言いたいのに、言えない。
今の私には声が無いから。
黙って見上げるしかできない私を、彼女……ステラは涙目で、キッ! と私を睨みつけてきて。
「あなたのせいよ、あなたのせいでクリス様はおかしくなった!!」
「……!」
「彼の婚約者は私なの!! 私達は、愛し合っているの!! だから、もう私とクリス様に近寄らないで!!」
「あなたの存在がクリス様の邪魔になっているの!!」……ステラはそう叫んで消えていった。
一緒に居た男の人も同時に居なくなって、倒れている私だけがその場に残された。
「…………」
きっと、声を出せていれば。この場で私は大笑いをしていたことだろう。
自分のあまりのバカさ加減に。
(そうか……、クリスには、もう既に愛する人が居たのね……)
知らなかった。そんな話、一度も彼から聞いたことはなかったから。
(……私の気持ちを、打ち明けなくてよかった)
恥ずかしくて言い出せなかったこの気持ち。
言わなきゃ、今日こそは話すんだと、今朝決めたばかりだったのに。
『王子からの愛をもらえなければ、お前は泡となって消えてしまう』
……それで、いいと思った。
この悲しい気持ちを抱えて生きるくらいなら、……伝承のように、彼の血をこの身に受けなくてはならないというのなら。
私は。
「……っ、……!」
ずる、ずる、と、足を必死に引っ張る。
きっとクリスに会えば泣いてしまう。私の想いに気付かれて、優しいあの人を困らせてしまう。
だから、早く。
私の故郷の海へ。
「……っ、……っ」
荒い息遣いをしながら海へ辿り着く。
その姿を見ると、無限に涙が出た。
ああ、海だ。
私の故郷。私の、居るべき世界。
(……きっと、私は。あそこに居てはいけない存在だったんだわ)
目を閉じると、やさしい微笑みを携えたあの人の姿が浮かぶ。
それを考えながら、私は崖から足を離し、海の中へと入った。
(──……あ)
ふと気がつく。
私、足の先から、泡になっていっているわ。
(なぁんだ、もう一週間、経ってたのね)
どのみち、タイムリミットだったのだろう。
仕方がない。
これが、私の運命だったのだ。
(……さようなら)
さようなら、愛しい人。
あなたと過ごした時間は、永遠に忘れないわ。
どうか、愛する人と、いつまでも幸せに。
*
──目を覚ましたら、見覚えのある天井だった。
ぱちぱちと目を瞬かせる。
ゆっくりと、おそるおそる、自分の手のひらを見てみた。
(……泡になって、ない?)
全く整理がついていない頭の中、身体を起こす。
見れば、ここはクリスが用意してくれた、お城での私の部屋ではないか!
「どうなっているの……? ……っ?!」
バッと手を喉の方へとやる。
……出る! 声が、出てるわ!
「どうして、……え?」
身体を動かそうとした瞬間、じゃら、とどこからか重たい音が鳴った。
下半身を見ると、……人間の、足だ。上手く動かせないけど。
それに、何か、固いものが巻き付いている。
「これ、なんだろう……?」
触るとなんとなく冷たかった。その無機質な感触に、海にたまに落ちている碇を思い出す。
そうだ、あれにそっくりだ。
「エリシア……?」
すると、部屋の扉がガチャリと開き、クリスの姿が見えた。
「クリス!」
「! よかった、声が出るようになったんだね……?! ああ……!!」
「?!」
突然ぎゅっとクリスに抱きしめられ身体が固まった。
えっと、これは人間たちで言う、親愛のハグというやつよね。恋人同士でもするって聞いたけれど。ええと、何故私はクリスに抱きしめられて……?
というか、ちょっと、痛いような気がする。
「海に沈んでいく君を見た時は、心臓が凍るかと思ったよ……」
「く、クリス? いた、いたい、あのっ」
「泡になっていく様を見て、僕もいっそここで死んでやろうかと思った。ああ、本当に、助かってよかった……!」
全然話を聞いてくれていない。
一体どうしてしまったというのだろう、彼は。
「……ねぇ」
「ひっ!」
「どうして、海に帰ろうと思ったの……?」
まるで深海の底から聞こえてきたかのような恐ろしい声に身体が跳ねる。
こわい。
普段の彼からは想像もできないほど、怖い空気を纏っている。
……これは……。
(怒って……る?)
「僕の何かが足りなかった? ねぇ。君の意志を上手く感じ取れていなかったからかな」
「あの、クリス……」
「僕が嫌いになったから、もう海へ帰ってしまおうと思ったの?」
「っそ、そんなことない!」
「嫌い」の言葉に反応して、咄嗟に叫んでしまう。
目を丸くするクリスに、私は慌てて「違うの!!」と言った。
「私はっ、……私はただ、あなたの邪魔にならないようにと……」
「……え?」
「婚約者がいるんでしょう? 昔から愛し合っている女性が……。それを聞いたから、私、クリスへの思いと一緒に泡になってもいいと思ったの……」
「……それって、つまり……」
クリスが呟いた。
「エリシアの愛する人って、僕のことだったの?」
「……ええ……」
言った。遂に言ってしまった。
彼はなんと言うだろうか。私なんかに想われて、彼は嫌な思いをしていないだろうか……。
だが、クリスが思いっきり私を抱きしめたことにより、その考えは霧散した。あまりの驚きによってだ。
「嬉しいよ、エリシア!! 僕も君を愛してる!!」
「え……? ど、どういうこと?!」
「どういうことも何も、言葉通りさ。君の愛する人は僕で、僕の愛する人も君だった、ってこと! こんなことなら、怖がらずに君に何度でも尋ねるべきだった!
それにしても……、ああ、嬉しいなぁ。とうとう夢が叶うんだ!」
「夢……?」
彼はさっきから何を言っているのだろう。それに、婚約者が居るという話は一体どうなったのだ。
それをクリスに尋ねれば、「ああ!」と何でもないように答える。
「それは君の勘違いだよ、エリシア。僕に婚約者なんて居ない」
「えっ?! で、でも、私、ステラって人に言われたわ! あなたは邪魔なのよって……」
「その人も何か勘違いをしているんだ。このお城の人達はみーんな、僕の愛する人がエリシアなことを知ってる」
「そ……そうなの……?」
あれは、私の、そして彼女の勘違い?
でも、彼女の目には涙が溜まっていた。あれでクリスの婚約者じゃないなんて、無理があるんじゃ……。
「僕の話より、その人の言うことを信じるの?」
「うっ……」
眉を下げ、悲しそうな表情を向けられれば、私にもう抗う術はなかった。
……そうよね。大好きなクリスより、よく知らない人の話を信じるのは……違うわよね。
クリスが言うことに間違いはきっと無い。だから、彼を信じよう。
そう心に決めていた時、クリスが何やらぶつぶつと呟いているのが聞こえた。
「……名前はステラか。ふぅん。あいつか……」
「クリス……? どうしたの?」
「ううん、何でもない。
ちなみに、そのステラって人以外に誰か、人間の人を見なかったかい?」
「えっと……2人くらい居たかも……?」
「そう。ありがとう」
よしよしと頭を撫でられる。
それに素直に喜んでいたから、私には見えていなかった。その時のクリスが、どんなに恐ろしい表情を浮かべていたか……。
「──まぁ、今はそんなことはどうだっていいよね。
エリシア、ようやく君を手に入れられる」
すると突然クリスが私の上に覆い被さってきた。
何をするのかと思えば。
「……っ?!」
口づけ、だった。あまりのことに思わず手に口を当てて、声にならない声を上げてしまう。
私の顔は真っ赤だっただろう。
「嫌だった?」
「〜〜〜っ!!」
ぶんぶん、と首を横に振る。そんなわけない、嬉しい!
「じゃあ、いいよね」
そのまま、またしてもどんどん顔を近付けてくるクリス。
それにぎゅっと身体を縮こませると、足についている重たいものがじゃらりと鳴った。
(──あ)
そういえば、これについて聞くのを忘れていた。
「ね、ねえ、クリス」
「うん?」
「私の足についてるこれって、なに?」
「ああ、これはね……」
クリスが長い鉄の塊を笑顔で持つ。
ええっと、確かあれは……。
「鎖だよ」
そうそう、鎖!
海でも見かけたことがあるわ!
(って、え?)
「えっと、どうして私にそんなものを……?」
素直に疑問を口にすれば、クリスは笑みを深くしてこう返してくる。
「君がもう二度と僕から逃げられないように」
「へ……?」
「だって、君が居なくなったと聞いた時は血の気が引いたんだよ? 君が行くとしたら海にだと思って向かったら、君が海に沈んでいってるのを見つけて……。慌てて助けようとしたら、君の身体がどんどん泡になっていっていた。
あの時の絶望が君にわかるかい?」
「え、え、あの……クリス……?」
「その時、人魚姫の話を思い出したんだ。人魚は愛する者のキスで人間になるって……。
だから、一か八かでやってみた。そしたら君の泡は無くなって、人間の姿に戻ってくれた」
なるほど。だから私は人間になれたのね。
クリスからの口づけがあったから……。
それで、どうしてこんな重たいものを私の足につける話になるのだろう。よく分からないわ。
それに……なんだか……、クリスの空気が、変わったような……?
「安心すると共に、僕は思ったよ。もうこんなことは起こさせないようにしよう。君を僕の傍から絶対に、絶対に離さないようにしようって」
「……は、離れないわ。離れないから、これは……」
必要ないんじゃないか。なんだか重たくて足を動かしにくいし、ここに縛り付けられているようで……。
でも、クリスはこわい笑顔を崩さない。
「だーめ」
「っ!」
鎖を引っ張られる。
「君は一生、ここに居るんだ。僕と一緒にね。
大丈夫、安心して? 美味しいものも、きれいなドレスも何もかもここに運んであげる。君はここで元気に笑っていてくれればいい」
「……く、クリス……」
「……だから、もう。勝手に海へ帰るなんてことは、しないでくれ」
クリスは私に覆い被さって、耳元でそう懇願してきた。
その声を聞いてしまえば、私には、彼を拒否することなんて出来ない。
けど。
(これが、正しい形なのかしら……?)
ぼんやりと、クリスからの口づけを受けながら、そう考えてしまった。
*
「ひぃいっ!」
「お、お許しを、クリス殿下……ッ!!」
暗闇の中、3人の人間の悲鳴が聞こえてくる。
それを聞いたクリスはつまらなさそうに言った。
「うるさいなぁ。エリシアに変なこと言った君たちが悪いんだから、大人しく死になよ」
その声に温度は無い。三人の顔が恐怖に歪む。
しかし、その中の一人、ステラは負けじと叫んだ。
「あっ……あの女のどこがよいと言うのですか?!」
「…………」
「容姿だって私の方が上だし、ろくに喋れもしない不気味な女、デッ」
その瞬間、ステラの首が飛んだ。
草むらの中にどさりと落ちたその首に、他二人がより一層の悲鳴を上げる。
剣についた血をピッと払い、クリスは凍った瞳で。
「囀るな。すぐにお前らも連れて行ってやるから」
美しい月の光に照らされながら、にや、と口角を上げて言った。
「……わっ、私に手を出せばどうなるか分かっているのか?! 我が家の者が黙ってはいないぞ!!」
「だから?」
「は……」
「そんなもの、後でどうにでもするよ。今はエリシアを悲しませたお前らを処分する方が先」
頬にステラの返り血を浴びたクリスの顔は冷めきっていて。
その光景の恐ろしさに、二人の男は絶句するしかなかった。
「じゃ、そういうことで。
あの世で僕とエリシアに詫びてこい」
シュンッ、と、剣が振り下ろされた。
三人の骸を作り上げた後、クリスは両手を広げながら、愛しい彼女のことを想う。
「……ああ、エリシア、愛してる」
今もきっとあの部屋で自分を待っていてくれているだろう。
早く帰ってあげよう。そして、自分の愛をまたこれでもかと教えてあげなければならない。
鎖がお気に召さないようだけれど、これも必要なことなのだと教えてあげれば、優しい彼女は受け入れてくれるはず。
「────もう絶対、逃さないからね」