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魔王様の恋煩い

 黒々とした曲がりくねった角の後ろを優しく指の腹で撫で、フリューゲルは銀色の瞳を細めて微笑んだ。


「セイルはここを触られるのが好きなのね」


悪戯っぽく笑う彼女にセイルもまた真紅の瞳を細めて微笑み返し、服従するかのように跪いた。


「私を、こうも手名付けられるのはそなたくらいのものだ」


 セイルは伝説の聖女フリューゲルにすっかりと惚れ込んでいた。


 しかし、二人の間には種族の壁という、どれほどに努力しても越えられない高い壁があった。

 セイルは決してフリューゲルに愛を語る事をしなかったし、フリューゲルも同様であった。


 いつか、種族間の分け隔てない世界になったのならば、二人が結ばれる事となるだろう。


 しかしそんな理想の世界は、夢物語として消えてしまったのだ。



◇◇◇◇



——メルチェリエといったか。あの小娘めが! フリューゲルにのみ触れる事を許した私の角に触れるとは!!


 セイルは三対の真紅の翼をはためかせ、恐ろしいまでの猛スピードで空を流星の如く飛んでいた。顔を真っ赤にし、触れられた感触を忘れようとむやみやたらに飛んでいるわけだが、どうしようもない程にメルチェの指先の感触が何度も蘇る。


 ドボン!! と勢いよく滝壺へと身を投じ、セイルはぎゅっと瞳を閉じた。冷たい水が身体の熱を奪おうとするものの、それ以上に火照った脳内は冷める事を拒んでいるかのようだ。


——私はただ、フリューゲル亡きこの世が虚しいだけだ。ロルベーア王国を侵略し、あの地を手に入れたとてこの虚しさは尽きることは無いだろう。


……それでも求めてしまうのだ。どこかにフリューゲルの姿が無いだろうかと。


 セイルの身体が水面に浮き、輝く太陽の日差しが真紅の瞳に差し込む。流れる水の音を聞きながら、溜息を洩らした。


——女々しいものだ。私はフリューゲルに封じられたのだ。それはつまり、彼女は私を微塵も愛していないという証拠ではないか。それだというのに、未だにこうして忘れる事ができぬとは。

 言葉でハッキリと『愛していない』と言われるまで諦めきれぬとでも言うのか?


 この世界のどこにも、彼女は居ないというのに……。


 フリューゲルに封じられたセイルは、千年という永い眠りについた。目覚めた時には魔族と人間が手を取り合う世界へと変わっていると信じて。

 しかし、目覚めたセイルの目に映った世界は相変わらず混沌としており、そればかりか魔国トイフェルとロルベーア王国との間には、互いの行き来を禁じた魔法障壁が設置されていた。


 『フリューゲルは人間を守る為に、魔族を拒んだ』のだ、とセイルは理解した。


——私は、もう二度と人間を信じぬ……。


 セイルの脳裏にメルチェの姿が浮かぶ。メルチェはフリューゲルに瞳の色こそ違えど、その姿はよく似ていた。セイルが困惑し、冷静な判断を下せなくなるほどに戸惑った為、ロルベーア侵略の作戦を中断し、自国へと戻ったのだ。


——馬鹿げた気の迷いだ。あの娘はフリューゲルではないというのに。慣れ合うのは極力避けた方が良さそうだ。


 夕焼け色に染まる空を、セイルは三対の真紅の翼をはためかせてゆっくりと飛行した。乾燥したトイフェルの気候もあり、衣服はあっという間に乾き、真紅の長い髪が黄金色の太陽の光に照らされて艶やかに輝く。

 頭部に曲がりくねった角が生えてはいるものの、セイルの姿は真紅の天使と言われても納得する程に美しかった。切れ長の瞳にきりりとした眉。すっと通った鼻筋に形の良い唇。ちょっとした視線の動かし方や、話す時の唇の動きは色気があり、品の良い所作も相成って、同性ですら見惚れる程の美青年だ。


 残念ながら、本人には全く以てその自覚がないわけだが。


 王城へと戻ったセイルが廊下を歩く姿を、使用人達は手を止めてつい目で追ってしまう。とはいえ、魔族は階級に厳しい種族だ。直属の使い魔であるアガティオンを除き、魔族の王たるセイルに気安く話しかける事は許されない行為である。

 実際は昔の失恋に傷ついてしょぼくれて歩いているわけなのだが、使用人達の目からは『憂いを帯びた儚げなお姿』と捉えられているのだから、とんでもない誤解だ。


 見た目とは異なり、セイルは純粋無垢の王道を突っ走る男で、少しの事で傷つく少年の様な心を持っているのである。


 唯一、アガティオンのみがセイルのその性格を理解しており、更にはかつての想い人であるフリューゲルへの、痛々しい程の恋煩いを拗らせまくっている事実も承知しているわけだが、アガティオンの立場上、他の魔族達にそれを伝える事などできはしない。


 そんな中で現れたメルチェの存在を、過去の失恋を払拭させる為の救世主と思うのは当然の事だろう。


「魔王様、お食事の準備が完了しております。それとも先にご入浴なさいますか?」


 アガティオンが恭し気に頭を下げ、セイルへと声を掛けた。まるで新妻である。


「すまぬが、食欲が無い」


 恋煩いである。


「ではご入浴なさいますか? 既に準備を整えてございます」

「いや、折角用意したところすまぬが、もう休みたい」


 ふて寝である。


「え……もうご寝所にですか?」


いつもは何事にも従順なアガティオンが、少し戸惑った様な発言をしたので、セイルはピタリと脚を止めた。


「何か不都合でもあるのか?」

「いえ、不都合という程の事ではございませんが……」


 チラリとアガティオンの後方を覗き見ると、黒い立派な尻尾が悲し気に下を向いている。


——つまりは不都合というほどではないが、困るというわけだな。


 セイルは部下にも気遣える男だった。


「気が変わった。入浴するとしよう」


アガティオンの黒い尻尾が嬉しそうにふさふさと揺れた。


「では、お手伝いを致します」


 ふっさふっさと尻尾を振り、鼻歌でも歌い出しそうな程に機嫌良さげに先導するアガティオンを見つめながら、セイルは僅かに笑みを浮かべた。

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