フリューゲルの決意
青々とした草原が広がる丘の上で、フリューゲルは膝を抱え、腰を下ろしていた。眼下に広がるトイフェルの王都は、どこもかしこも無駄なく整備されており、美しかった。
「何を落ち込んでいるのさ?」
輝く銀髪を三つ編みにした男が声を掛け、フリューゲルの隣へと腰かけた。フリューゲルは慌てた様に瞳を擦り涙を拭い隠したが、目ざとい彼には隠し切れなかった。
「あいつに、何か言われたのか?」
ヘルツェライトの言う、『あいつ』とは、セイルの事である。フリューゲルがセイルにすっかり惚れこんでいる事を知っていたのだ。
「いいえ、何でもないの!」
誤魔化す様に声を発したものの、裏返った声色のせいで、虚勢を張った事が丸わかりである。促す様にエメラルドグリーンの瞳で見つめられ、フリューゲルは観念して言葉を吐いた。
「彼が大切にしていたカップを、割ってしまったの」
「……は? そんな事であいつはキミを叱ったのかい?」
「違うわ! 叱らなかったの。『百年経てば自ずと割れるものだ、気にするな』って」
それを聞き、ヘルツェライトは溜息を洩らした。
セイルは決して悪気があって言ったわけではないだろう。だが、魔族にとって百年は大した年月ではないだろうが、人間にとっては一生を使い切るに十分な年月なのだ。
「こんな事で落ち込むなんて、馬鹿げてるって解っているわ。でも、彼とは時間の流れが違い過ぎるもの。その事を味わう度に、寂しく思ってしまうのよ」
「それなら、キミは奴にとって、一生分の価値がある程の有意義な時間を提供してやればいいじゃないか」
「どうやって?」
不思議そうに見つめたフリューゲルにドキリとしながらも、ヘルツェライトは言葉を続けた。
「キミは十分魅力的じゃないか。あいつは、きっと口には出さないだけで、キミの事を想っているだろうさ。キミは当初、奴隷という立場でこの国に来たからね、あいつとの結婚はできないだろうけれど、男女の仲を育む事くらい可能だろう?」
フリューゲルは悲し気に唇を噛むと、首を左右に振った。
「そんなこと、できないわ。セイルは私の事なんかそんな風に思っていないもの!」
フリューゲルの言葉に、ヘルツェライトはあからさまに顔を顰めた。
「は? 本気で言ってるの? めちゃくちゃ分かりやす……」
「だって、私達は必ずお別れになってしまうんですもの!!」
悲し気に嘆くフリューゲルを見て、一瞬言葉を止めた後、ヘルツェライトはうんざりしながら肩を竦めた。
「……フリューゲル。人間同士だって、いつかは必ず死ぬしお別れになるじゃないか」
「私が死んで、彼が残って悲しむのも、全く気にも留められずにいられるのも嫌なのよ!」
ヘルツェライトは苛立った様に溜息を吐いた。
「……そうか。それならキミは、あいつの側に居るべきじゃない。キミが側に居る限り、あいつは決して伴侶を持とうとはしないだろうからね。勿論、魔族にとったらそんなのは一生のうちの僅かな時間でしかないだろう。けれどそれを、互いに傷付け合う結果にしかならないって考えるのなら、そんなのは、不幸なだけさ」
その言葉がフリューゲルの胸にぐさりと突き刺さった。
愛する者の側に居る事すら許されない程に、自分は彼にとって障害となる存在になってしまったのだと、認識したのだ。
「解っているだろう? キミという存在が力をつけた事で、人間達も強気になってきている。ヴォルタートを筆頭に、魔族の支配下にいる事に不満を持ち始めているのさ。決断をしなければ、このトイフェルの国内で暴動が起き、沢山の命が失われることになるだろう。キミがあいつから離れると覚悟するなら好都合だよ。俺も協力する」
丘の上から見下ろす光景を、フリューゲルは瞳に焼き付けようとじっと見つめた。
「出来る限り、命が奪われない方法でこの事態を収める必要があるわ……」
「あいつはキミが出て行く事に反対するだろうね。そしてヴォルタートも、魔族の王を生かしておくつもりなんか無いだろうさ」
両手をぎゅっと握りしめ、フリューゲルは眉を寄せた。
「ええ。だからセイルは、私の手で封印するわ。彼を傷つけさせたくないもの」
「『封印』とは言い様だね。つまりは誰にも手出しできない結界を張るということじゃないか。本人ですら、自分を傷つけることが出来ないようにね」
「ヴォルタートの目を欺くにはそれしか無いもの。セイルに恨まれる事になったとしても」
頷くヘルツェライトに、フリューゲルは寂しげに視線を向けた。
「貴方はそれでいいの? セイルを尊敬し、慕っていたのに」
ヘルツェライトは顔を顰め、「気味の悪い事を言うなよ」と言った後、眉を寄せ、顔を背けた。
「ああ、認めるよ。出来る事なら、あいつに一生仕えたかったさ。圧倒的なカリスマ性を持っていながら、心優しく、その優しさを崩さずに居られる絶大な強さを持つ。そんな奴、この世界中のどこを探したって見つかりはしないだろうからね」
「けれど……」と、ヘルツェライトは続けて、踵を返した。彼の銀髪がさらりと揺れる。
「俺は、魔族ではないからね」
どれほど尊敬し、敬っていても、決定的で超える事のできない種族という壁。セイルという圧倒的な存在を前にしては、その壁は更に高くなり、近づきたいと思えば思う程に、その高さを主張するのだ。
その心のわだかまりこそが、魔族の支配下から逃れ、人間が独立した国を創ろうと考える火種なのである。




