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幸せを求めて

 人間が魔族からの独立を果たし、ロルベーア共和国を建国して間もなくの事。

 魔王セイルが封印されている今が好機であると、魔国トイフェルへと攻め入る為、人々は軍を興した。


 フリューゲルは魔族達を守る為、トイフェルとロルベーアを隔てる国境に単身赴き、森を埋め尽くさん勢いの人間達の大軍勢を前に立ちはだかった。

 フリューゲルの力は皆が恐れおののく程のものではあるが、この好機を逃さんと、萎縮する兵達の中虚勢を張るかのように声が上がった。


「聖女フリューゲル。道を明け渡して頂こう!!」


 フリューゲルは「お断りします!!」と言い切ると、握りしめた杖を振りかざした。揺れる金髪と、意思の固いエメラルドグリーンの瞳に、僅かに兵達は身を退いた。


「これ以上進むというのであれば、全力で防がせて頂きます!!」


 フリューゲルの背後となるトイフェル側の森深くには、人間達の軍勢を迎え撃たんと魔族達が息を顰めている。


 つまり、彼女を隔てて人間と魔族が対峙している、正に一触即発の状態なのだ。


 しかし、魔族達は封印される前のセイルの命令を無視する事が出来なかった。セイルは魔族達に人間に対する一切の攻撃を禁じたのだ。階級に厳しい魔族達は、その命令を忠実に守る為、いざ戦となれば、一方的に魔族達が殺されてしまう事だろう。


 それだけは、何としても阻止しなければならない。


「聖女フリューゲルよ、何度も申し上げたはずです。ロルベーアの国土はあまりに痩せているのです。このままでは我々は餓死してしまいます。それとも貴方は魔族に加担し、人間を捨てるおつもりですか?」


発言したのは、人間達を率いてきた長であり、後にロルベーア王国の王として君臨する男である。


 そして、彼はフリューゲルを慕っていた三人の仲間の一人、高徳の聖人ヴォルタートだった。


 フリューゲルは唇を噛んで眉を寄せた。


「土地を耕す事を怠り、自らの力で生きる事を早々に諦めたからでしょう! そして魔族からの支援を断り、軍を興すことを選んだのは貴方方よ! あまりに身勝手な行動だわ!!」

「魔族達の言う『支援』とは、『支配』となんら変わりません。いつまで邪悪な者の下で生きる事を人に押し付ける気なのです!?」


ヴォルタートの言葉に、フリューゲルは激しく首を左右に振った。


「何を言うの、ヴォルタート! 彼等は邪悪などでは無いわ!!」

「そのお考えがそもそも間違いなのです。人は神に愛され、創造されたのです。ですが、魔族は神に愛されぬ、邪悪な存在でございましょう。これ以上そのような世迷言を吐くのであれば、追放では済みませんぞ!」


 何度話したところで、平行線のままであると業を煮やしたヴォルタートは、周囲と画策してフリューゲルを追放したのだ。


 行き場を失い、彼女はこうしてたった一人で二種族の間に立ち、唇を噛みしめて説得を試みている。


「絶対に、魔族達を傷つけさせやしないわ!! 人は努力すべきなのよ。生きる事は試練も多いけれど、それを乗り越えた時の喜びは大きいもの。怠惰して生きる事を選んでも、人に幸福は絶対に訪れないわ!!」


 フリューゲルは聖なる力を以てして、両国の境に強力な魔法障壁を張った。天空までをも隔てる高い壁は互いの行き来を拒み、完全なる独立を余儀なくされた。


 彼女は生命力すらも全てを捧げ、肉体は石となり、死して尚その石像は楔として効力を発揮し続けた。


 千年以上経った今、その効力は薄れ、現在では探知魔法障壁程度となってしまっている。



◇◇◇◇



 アシュマが生まれてひと月程経過した。


 魔族の血を引く彼は、人間とのハーフであるとはいえ瞬く間に成長し、生後一か月で六歳程の見た目となっている。


 とはいえ、中身は捻くれ者の男、ヘルツェライトであるわけだが。


 一見女の子とも見間違う様な愛らしい顔立ちに、銀色の髪。どこから来たのか分からない純白の翼に、魔法で造作したアガティオンに似た立派な尻尾をふわりふわりと揺らす様子に、ライネは怪訝な視線を向けた。


「……見れば見る程変てこな生き物だね、あんた」


 ライネに突っ込みを入れられ、アシュマはギロリと睨みつけた。


 ここはトイフェルの王城の中庭である。相変わらず花の一つも無い殺風景な庭で、こぢんまりとした白木のガゼボにライネとアシュマは腰かけていた。尤も、読書をしていたアシュマの元に、ライネが訪れたという形であるわけだが。


「ああ、あれだ。ごちゃ混ぜの化け物、キマイラみたい」

「煩いな。キミはもうメルチェの採寸を終えたんだろう? さっさと国に帰れよ怪力色ボケ女」

「はいはい。言われなくても帰るよ。これ以上店を空けておくわけにもいかないし。折角お別れの挨拶に来たのに、つれないなぁ」


 ライネは大きな欠伸をしながら伸びをして、首を左右に動かしてポキポキと音を鳴らした。その様子を見つめながらアシュマはフンと鼻を鳴らした。


「良かったじゃないか、夢が叶って。前世の頃から仕立て屋をやりたいって言っていただろう?」


アシュマの言葉にライネは瞳を輝かせて頷いた。


「うん! すっごく幸せだよ! フリューゲルにドレスを作ってあげるのが、ずっと夢だったんだ。まさか今世で叶うとは思ってもみなかったよ!」

「……奇抜なデザインは止してよね?」


苦笑いを浮かべたアシュマに、「わかってるって!」と、ライネは任せろと言わんばかりに胸を叩いて見せた。しかし、ふと神妙な面持ちになると、不安げに瞳を伏せた。


「ねぇ、ヘルツェライト。もしもヴォルタートも転生してるならさ……」


 ライネの言葉にヘルツェライトは頷いた。


「まぁ、十中八九転生しているだろうね」


フリューゲルはヴォルタートに裏切られたのだ。その事実に、彼女が傷ついていないはずがない。


「大丈夫さ。今度こそ俺が守ってみせる。絶対に、指一本触れさせるものか」


決意を込めてそう言ったアシュマに、ライネはニコリと微笑んだ。


「分かった。メルチェリエの事はあんたと魔王様に任せるよ。ここに居れば安心だからさ。妙な話、メルチェリエは人間なのに、魔族と一緒に居た方がずっと安全なんだよね」

「人間は強欲の塊だからね」

「私もそうじゃないとは言い切れないよ」


ライネはそう言うと、色気のある肉体をしならせて自慢げに胸に手を当てた。


「ずっとチビだったことがコンプレックスだったけれど、こうして色気たっぷりな肉体を手に入れられたし、今世は本当に何もかもが幸せだよ」


その様子を見て、アシュマはあからさまに顔を顰めた。


「色気ね……。キミ、仕立て屋じゃなく別の稼業の方が向いているんじゃないのかい?」

「え? そお!? 例えばどんな!?」


頬を染め、ライネはもじもじとしながら期待を込めてアシュマを見つめた。


「さあね」


興味無さげにさらりと冷たく言い放ったアシュマに、ライネはムッとした様に唇を尖らせた。


「相変わらず私に全く興味を示さない冷たい男だよね、あんたは」

「うるさいな。俺は今それどころじゃないってのが分からないのかい?」


小さな頬をぷっくりと膨らませ、小さな身体には大きすぎる本を抱えているアシュマを見て、ライネは苦笑いを浮かべた。


「……あんたも幸せになれるといいね」

「とりあえずこの不便極まりない状況から抜け出す事だけを考えているけれど!?」

「でもさ。もしかしたら、私達は幸せになる為に生まれ変わったのかもしれないよね。だからあんたも……」

「知らないよ。少なくとも俺は今不幸のどん底だからね。幸せ自慢は解ったから、早く帰りなよ。うざったいったらありゃしない」


 ライネは寂しげに笑った。前世では、ヘルツェライトの事を憎からず想っていたのだ。だが、彼がフリューゲルを慕っていた事も知っていたし、フリューゲルがセイルを思っている事も知っていた。


 その全ての恋が、前世では叶う事が無く終わってしまったのだ。

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