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甲斐甲斐しい魔王様

 寝転がり、小さな背を向けているアシュマを見て、ライネは困った様にため息をついた。


「いじけちゃった。おーい、こっち向きなよー」


 つんつんとライネがアシュマの背を人差し指でつつき、力の加減を間違えている為、アシュマはその度に大ダメージを受けているわけだが、断固として振り向こうとはしなかった。

 見かねたメルチェがため息交じりに声を掛ける。


「ライネ、もう帰った方が良さそうだわ。誰かに見つかってしまうもの。私はアシュマの元気な姿を見れただけで満足だし」

「分かった。それなら私は先に退散するよ。少しでもいいから親子水入らずで話したら?」


 ライネは流石にかつての同僚を不憫に思った様で、気を使って先に部屋から出て行った。


 メルチェはベビーベッドでふて寝するアシュマに近づくと、優しく声を掛けた。


「ごめんね。先に伝えなきゃいけなかったのに。こんな形になってしまったけれど、貴方と再会出来て嬉しいわ」


静まり返った室内に、ふんわりとメルチェから香油の香りが漂う。暫く押し黙っていたアシュマは観念したように溜息を一つ吐いた。


「……俺だってキミに再会できて嬉しいさ。でも、今は悲しみの方が強いかな」


全く以て不憫な男である。


「とにかく俺はセイルを父親だなんて認める気は無いよ。あんな奴、徹底的に虐めてやる!」


赤子のアシュマがどうやって魔王のセイルを虐めるのだろうかと、メルチェは不思議に思ったが、ベビーベッドの上に身を乗り出して、我が子の頬にキスをした。


「アシュマ、また来るからね。愛してるわ、私の愛しい子」

「!!!!」


 アシュマにとっては泣きたくなる程に複雑である。


 彼はすっかり悲しみに暮れており、メルチェの言葉にも答える事が出来ない程に黄昏れていた。

 丸い背中を向け、純白の翼を布団代わりにしてふて寝をする姿が余りに可愛らしく、とてもではないが先ほどまで毒舌を撒き散らしていた赤ん坊とは思えない。


 丸みを帯びた頬といい、柔らかそうな銀髪といい、見た目は正に天使そのものである。

 だが、残念ながらセイルに似た要素は一つも見当たらない。


——また明日、逢いに来るわね。


 メルチェはそう考えて微笑み、部屋の扉を開けた。が、扉を開けた先に何者かが立っており、その長身を見上げると、驚いた様に見開く真紅の瞳があった。


「メルチェリエ!?」


 セイルが声を発し、その後ろではアガティオンが「キャン!」と声を上げた。


「何故ここに? ……いや、我が子に会いたいと思うのは当然か。そうだな、すまぬ」


 セイルはしょんぼりとした様子で心から謝罪しながらも、アシュマの様子をチラチラと覗き見ていた。アシュマが余りにもメルチェの元に行くのを嫌がる為、会わせる事ができなかったとは、流石に言えなかったのだろう。

 いつの間にかアシュマの尻にはアガティオンにそっくりな黒く立派な尻尾が生えており、彼はそれをふっさふっさとこれ見よがしに振っていた。


「パーパッ!!」


 アシュマはわざとらしく赤子の様な声を上げながら突然飛び起きると、純白の翼をはためかせてセイルの顔面に蹴りを入れ、アガティオンの両腕の中へとすっぽりと納まった。アガティオンは耳を平らにし、尻尾を下げて「キュウン……」と悲し気に鳴いている。

 アシュマに蹴られた顔を擦りながら、セイルが困った様に「この子はこの通り、アガティオンにしか懐かぬのだ」と言うと、アガティオンは引き攣った笑みを浮かべた。


「う……ええと、お食事のお時間にございますよ、王子」


アガティオンがアシュマをぎこちない様子であやしながら、ベビーチェアへと座らせ、いそいそと甲斐甲斐しく食事の準備をし始めた。

 アシュマは小ばかにした様に鼻を鳴らした後、小さな手で器用にナイフとフォークを使い、黙々と食事をし始めた。その様子を瞳を輝かせ、セイルが愛でる様な視線を向けて見つめている。


「こやつは生後十日であるというのに肉しか食さぬ」


満足気にそう言ったセイルに、メルチェはハッとして突っ込みを入れた。


「待ってセイル。この子にはそんなに固い物、まだ無理じゃないかしら!?」

「その点については問題無い。柔らかく煮込んできたからな」


『煮込んできた』!? と、メルチェは小首を傾げてセイルを見つめた。

 彼は真紅の髪を後方で束ね、上品な刺繍の施されたコートの上に、白いエプロンを着用していたのだ。絶世の美青年のエプロン姿というものは見ごたえがある、とメルチェはついまじまじとセイルを上から下までじっくりと観察した。


「ひょっとして、アシュマの食事をセイルが作っているの!?」


素っ頓狂な声をあげたメルチェに、セイルが「うむ」と、得意気に頷いた。


「なにやら身振り手振りをするのだ。こう、私に指をさして『お前が作れ』と言わんばかりにな」

「そ……そうなのね……」


魔王が我が子の食事を用意するとは、何とも健気である。


「試しに作ってみると、こやつめは美味そうに食すのだ。時折『味が濃い、バカ』だの、『不味いんだよボケ』と言われている様な気もするのだが」


以心伝心は上手くいっているようだが、その分不憫である。アシュマは魔王を奴隷の様に扱う魔法使いならぬ、魔王使いというわけだ。


「ごめんなさい、セイル。アシュマの食事は今度から私が作るわ。トイフェルの王たる貴方に、こんなことをさせるわけにはいかないもの。ただでさえ忙しいのに」

「いや、良いのだ。なかなかに楽しませて貰っている」


——虐められてるのに気づいていないの!?


「それよりもメルチェリエ。名を『アシュマ』に決めてくれたのだな」


 セイルが嬉しそうに微笑んだ。メルチェの不貞を疑っているわりには気遣いも出来、子供の世話までするのだから、痛々しい程に優しい男である。


「ええ。『アシュマ・デヴァ』。いい名前だと思うわ」

「気に入ってくれて嬉しく思う。しかしお前は部屋でちゃんと休んでいた方がいい。産後は身体をよく休めなければならぬと聞いた」


——優しいっ!!


「部屋まで送ってゆ……」


セイルがそう言ってメルチェの肩に触れようとした時、スコン!! と、顔面に皿が投げつけられた。アシュマはその投げつけたばかりの手を握り締め、セイルを睨みつけて「フンギャー!!」と、もの凄い形相で地団駄を踏み始める。


——悪魔の子……?


 いいや、魔王の子である。


 セイルはアシュマの食べかけの食事で真紅の髪をべとべとにしており、「ああ、子育てとは大変なものだな」とため息を吐いた。


「セイル、これを使って頂戴!」


メルチェはセイルに申し訳無くなり、慌ててハンカチを差し出した。差し出しながらふと『私、ハンカチなんて持っていたかしら?』と考えた。


「……む? 獣臭いハンカチだな」

「あ、魔王様。それは僕のハンカチでございま……」


アガティオンがハッとして口を噤んだが、時既に遅しである。


「……何故メルチェリエがアガティオンのハンカチを?」

「ち、違うのです! これには訳がっ!!」


「キャンッ!!」と、アガティオンは悲鳴を上げたが、セイルはすっかりと落ち込んでしまい、「そうか、やはりお前達はそういう……」と言いながら肩を落とし、とぼとぼと部屋から出て行った。


「邪魔をしたな……」


出がけにそう言って扉を閉める様子は、『後は親子水入らずで』と言わんばかりであった。

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