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アガティオンの危機

 泣きだすアガティオンを見つめながら、メルチェは納得した。


——ああ、成程。だから皆、余所余所しかったのね……。


 魔王の使い魔との情事を疑われていたのであれば、確かに階級に厳しい魔族達は皆メルチェを避ける事だろう。


 しかし、避けられていた理由については腑に落ちたものの、何故疑われる事になったのかの原因については全く思い当たる節が無かった。


「アガティオン。兎に角少し話しましょう? 一人で悩んで解決することじゃないということは分かったわ」


メルチェの提案に、アガティオンは大げさなまでに飛び退いた。


「いけません! 僕と二人きりになればまた何を言われることか!」

「そんなの今更じゃない」

「いいえ、いけません!!」


アガティオンが「キャンキャン」と喚いて後退すると、トン! と誰かにぶつかった。


「おや、可愛いワンちゃん。何を喚いてるのかな?」


栗色の巻き毛を揺らし、ライネがアガティオンをいびる様にわざとらしく言った。豊満な胸が揺れ、すらりと伸びた脚が深いスリットから、魅惑的にチラリと覗かせている。


「あ、ついでだからワンちゃんの採寸もしておこうかな」


 言うや否や、ライネがアガティオンに抱き付いた。「ギャン!!」と声を上げるアガティオンに、「採寸道具は部屋に置いてきちゃったからさ、このやり方でもある程度計れるから」と言い訳していたものの、ライネは完全に自分の怪力具合を忘れている様だった。


「ぐ……ギュウ…………」


口から泡を吹くアガティオンを見て、メルチェは慌てて止めに入った。


「ライネ、そのくらいで放してあげて? アガティオンが死んじゃうわ!」

「おっと! 力加減間違えちゃった」


ライネが腕の力を緩めると、アガティオンは素早く飛びのいて距離を置き、立派な尻尾を股の間に挟み、耳を平らに伏せてブルブルと身体を震わせていた。


 完全に怯え切っている。


「で、さ。ごめんね、メルチェリエ。話を聞いちゃったんだ。二人きりがまずいなら私も同席するから、それならいいでしょ?」


——いいのかしら……?


 と、メルチェが不安になるほどに、ライネは女性の魅力を存分に見せつけている。


 女性二人と共にアガティオンが消えたとなれば、更なる余計な噂の元に繋がりそうな勢いだ。しかも、たった今痴女の如く抱き付かれ、骨が折れんばかりの苦しみを味わった所である。


 アガティオンはブルブルと震えながら首を左右に振った。


「申し訳ございませんが僕は遠慮致します!」


——やっぱりそうよね?


 アガティオンの言葉につい納得してしまったメルチェの前で、ライネは不思議そうに「なんで?」と、小首を傾げた。本人にはまるで悪気が無い様だ。


「それでは、仕事が残っております故、僕は失礼致しますっ!」


アガティオンは流石セイルの使い魔であると感心する程に『バビュン!!』と素早く立ち去って行った。


「慌ただしいワンちゃんだね。可愛いけどさ」


 ライネが肩を竦めてそう言い、メルチェは「う、うん。そうね」と苦笑いを浮かべた。


 それにしても、まさかアガティオンとの仲を疑われていたとはと、不思議に思った。これは何故疑われる事になったのかを突き止めないうちは、夜も眠れない。


 考え込むメルチェに、ライネは慰める様にそっと肩を叩いた。


「心配要らないと思うけどね。メルチェリエとあのワンちゃんの様子を見る限り、清廉潔白は確実だよ。噂なんて直ぐに消えてなくなるんじゃない?」

「でも、アガティオンは『解決しようにも決定的な証拠がある』と言っていたわ」

「『決定的な証拠』ねぇ。何のことだろ……」


 二人はそう考えて、同時に言葉を発した。


「赤ちゃんだ!」


 すると、側の扉が内側からガンガンと殴りつける音が鳴り、廊下へと響き渡った。


 メルチェとライネは不思議に思って扉へと近づき、そっと開いてみた。


 だが、扉を叩いていた人物の姿は無く、代わりに室内には空のベビーベッドや玩具等の子育て用品が所狭しと置かれていた。


「確かに扉を叩いた音が聞こえた気がしたのだけれど、誰も居ないわね」


 メルチェが不思議そうにつぶやくと、「違うよ、もっと下を見てくれないと困るんだけれど」と、声がした。


 指示通り視線を下に向けた二人はぎょっとした。


 銀髪にエメラルドグリーンの瞳をした赤子が、純白の翼を背に生やし、不機嫌そうに腕を組んで見上げているのである。

 不機嫌そうな顔の割にはぷっくりとした頬が愛らしいわけだが、この城に居る赤子の存在となれば、思い当たるのは一人しかいない。


「……ひょっとして、アシュマ?」


 メルチェが呆然としながら言うと、彼は小さな手で銀髪の頭を気だるそうにわしわしと掻き、面倒そうに言った。


「ああそう、いつまで経っても『坊や』としか呼ばれなくて腹立たしいったらなかったのに、突然そんな名前で呼ぶだなんて。それが今世での俺の名前なのかい?」

「ちょっと待って!? 貴方、もうしゃべれるの!?」


 アシュマはフンと鼻を鳴らすと、つまらなそうにエメラルドグリーンの瞳を逸らした。

 どうでもいいが、本人は悪びれたつもりでも、赤子姿である為、どこを見ても丸みを帯びて愛らしい。


「俺は魔族と人間のハーフなんだから、成長だって早いだろうさ。バカにしてるの?」


 悪態をついていながらも、ぷっくりとしたほっぺたが揺れる姿に、メルチェはじっと見惚れ、『なんて愛くるしいのかしら!』と、目をハートマークにしていた。


「いや、でもおかしいって! 成長が早いとかいうレベルじゃないよね? 言葉を覚える工程すっ飛ばしちゃってるじゃない!」


ライネが突っ込みを入れると、アシュマは舌打ちをした。赤ん坊のくせに器用である。


「なにさ、怪力まな板娘。キミも転生していたのか。なんだいそのみっともない恰好は。気味が悪いったらありゃしない。頭がイカレちゃってるとしか思えないね。俺の目を汚す気か?」


 ライネの薄着を指摘すると、アシュマは「ああ鳥肌が立つ」と付け加えた。


——『キミも転生していたのか』ですって……?


 アシュマの可愛らしい姿に見惚れながらも会話を聞いていたメルチェは、ハッとして瞳を見開いた。


「その話し方に銀髪、ひょっとして貴方はヘルツェライトなの!?」


——彼以外、こんな捻くれた話し方をする人なんて知らないもの。


 フリューゲルとして生きた時代、三衛聖の一人として活躍した叡智の魔導士ヘルツェライト。彼の口の悪さにはいつも悩まされたものだった。


「そうさ、久しぶりだねフリューゲル。そして怪力まな板娘改め怪力変態女」


アシュマは得意気に小さな身体をめいっぱい逸らして見せ、メルチェとライネは困った様に顔を見合わせた。

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