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 花の一つも咲いていない殺風景な中庭を歩きながら、メルチェは小さく笑った。

 初めてこの庭を見た時はあまりの殺風景さに驚いたものだが、面倒事を嫌い、余計な物を一切置こうとしないセイルの性格がそうさせているのだろうと、妙に納得してしまった。

 最低限の手入れが施された木々と、白亜で統一された王城から続く石畳。こじんまりとしたガゼボが申し訳程度に設置されているのみだった。


「アガティオンがね、今日は魔王様が帰って来るって言ってたよ」


ハウレスがサラリと言った。どうやら『話したいこと』というのはそのことの様だが、前置きも何も無く唐突に要件を言い切る辺り、自由奔放なネコ科らしい行動だろう。


 メルチェは満面の笑みを浮かべると、嬉しそうにぎゅっと手を組んだ。


「そう。無事に帰って来るのね、良かったわ!」


——あのご尊顔をやっと見れるのね!? 暫くぶりだから、鼻血を出さない様に気を付けなくちゃ!


 重症である。


「あ、何かお出迎えとかした方がいいのかしら?」

「要らないんじゃないかな? 魔王様が勝手に居なくなっちゃったんだし。メルチェは政務を手伝わされた被害者なんだから、魔王様からお詫びに来るべきじゃない?」


 セイルの失踪の理由をメルチェは知らない。アガティオンに聞くと「あのバ……魔王様のお考えの事など存じ上げません」と不機嫌そうに言うので、聞いてはまずい事なのだろうと思い、問い詰める事はしなかった。


 暖冬であるとはいえ、冬は冬である。メルチェは厚手のショールを羽織っており、大きくなった腹部をすっぽりと覆い隠している。その中でそっとさすって、「お父様が帰って来るのですって」と声を掛けた。


「メルチェ、すっかりお母さんだね」


 ハウレスに指摘され、メルチェはハッとした。

 確かに、以前であれば飛び上がって喜んで、落ち着きなくそわそわしたに違いない。それなのに今は落ちついて自然とお腹の子に話しかけているのだから。


「でも、セイルは、私に会ってくれるのかしら」


 ポツリと寂しげに言ったメルチェの言葉に、ハウレスは「え!?」と、丸みを帯びた耳を立てた。


「どうして? 誰よりも先にメルチェに会いに来るんじゃないの? きっと留守にしてごめんなさいしに来ると思うけど!」

「そうかしら。私を避けているのに?」

「避けてるわけじゃないと思うよ。魔王様はメルチェの事大好きでしょ? っていうか、皆メルチェの事大好きだもの!」


メルチェは小さくため息を吐きながら微笑んだ。その笑みが寂しげで、ハウレスの言った言葉を否定しているのだと理解した。


「私は大丈夫よ。ここを追い出されても、この子と二人で強く生きていけるもの。セイルがくれた最高の贈り物ですもの。この子が居るだけで絶対に幸せだわ」


——腕力には自信があるから、十分食べていけると思うわ!


 思いのほかめげていない。メルチェは七転び八起き精神の持ち主だった。


「そんなの嫌だ! メルチェが追い出されるならあたしもついて行く!」


ハウレスがくりくりとした大きな瞳に涙を浮かべ、丸みを帯びた耳を水平にしながら訴えた。


「そうなれば勿論、僕もお供いたしますよ」


 そう言いながらアガティオンが中庭に現れて、コホンと咳払いをした。


「まあ、追い出されるような事には絶対にありえませんので、ご安心ください」

「ふふ。ありがとう、二人共大好きよ」


 メルチェの言葉に二人は嬉しそうに瞳を輝かせ、ハウレスは尻尾をピンと立て、アガティオンはふっさふっさと激しく揺らした。聖女パワーさく裂である。


「何しに来たの? あんたが中庭に来るなんて珍しいね」


ハウレスの指摘にアガティオンがムッとした様に眉を寄せた。


「その、メルチェリエ様にお伝えしたい事がございまして……」

「あら、何かしら?」


メルチェに見つめられ、アガティオンが言いづらそうに口ごもった。


「魔王様が『やっと』お戻りになられましたので、お伝えにあがりました」


『やっと』の言葉を強調して言いながら、アガティオンはどうにも煮え切らない様子でもじもじとした。何かまだ重要な事を伝えたい様だ。


「どうしたのかしら? アガティオン。セイルが帰って来たのにあまり嬉しそうじゃないのね」

「それがですね……その……」


「ねぇ、聞いた!? 魔王様ったら女連れでご帰還なさったそうよ!!」


 廊下をバタバタと駆けながら、使用人達が大声で話す様子が殺風景な中庭に轟いた。


「それも人間の女性ですって!! どんな人か見に行きましょうよ!!」

「今、魔王様の専用浴場をお使いなのですって!」

「まあ! そんな勝手をお許しになるだなんて、きっと特別な女性なのね!?」

「でも、メルチェリエ様がいらっしゃるのに」

「あら、メルチェリエ様は王妃様では無いでしょう? それに、妃はお一人だけという決まりは無いじゃない」

「とにかく見に行きましょうよ!」


 アガティオンは耳を伏せ、尻尾を下げて俯いた。控えめに「クゥン……」と悲し気に鼻を鳴らしている。


 主の子を妊娠中の女性に、失踪中だった主が女連れで帰って来たなどと、それは確かに言い出しづらい事この上ない。

 ハウレスはぽかんとしており、状況をよく飲み込めていない様だったが、悲し気に俯いたメルチェを見て尻尾の毛を逆立てた。


「魔王様のお尻で爪とぎしちゃう!?」

「それは駄目よ、ハウレス! あんな綺麗なお尻はこの世にきっと二つとないからっ!!」


 メルチェも大概である。


 とはいえ、彼女の脳内はもやもやと思考が渦巻いて忙しなかった。


——ひょっとして、セイルの本命が見つかったのかしら? だとしたら、私は完全にお払い箱ということよね? ああ、どうしよう。思ったよりもショックが大きくて、彼の幸せを祝福してあげられないわ。もう二度と、セイルは私を見つめてくれない。私に触れてはくれないのだから……。


「メルチェリエ!!」


真紅の長髪を靡かせ、憎たらしい程に美しい顔面を曝け出しながらセイルが叫び、中庭へと駆け込んで来た。


「ここに居たのか! 城内を随分と探したぞ」


 居なくなったのは自分のくせに、酷い言いぐさである。


 セイルはメルチェの姿を見て真紅の瞳を細め、嬉しそうに微笑んだ。形の良い唇が横に引かれ、長い睫毛が揺れる。


——相変わらず、顔が良すぎるわ……。


 久方ぶりに見るセイルの顔に、メルチェは完全に見惚れていた。その彼との別れが近い事に、心がズキズキと痛む。

 別れを告げる事を自分からした方が、傷が浅くて済むだろうかと考えたものの、唇を動かす事すらままならない。ただただじっとセイルの姿を目に焼き付ける様に見つめる事しかできずにいた。


 そんな彼女の前でセイルは跪くと、優しく手を取ってその甲にキスをした。


「長らく留守にしてすまなかった。私はお前に……」


『うるさい! あんたなんかが気安く触るんじゃないっ!』


 突如脳内に何者かの声が轟いたと同時に、ズキリと腹部が急激に痛みを発した。あまりの痛みに立って居られなくなり、メルチェはその場に蹲ってしまった。


 セイルが眉を寄せ、「メルチェリエ? どうした……」と、言葉を吐くのを遮る様にアガティオンが叫んだ。


「ハウレス!! 急ぎ医師と産婆を呼んでください!!」

「うん!」


 ハウレスが脱兎のごとく駆けて行った。

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