魔王との再会
「駄目!!」
メルチェは叫びながら弓を引き、男たちに襲い掛かる黒い狼を射抜いた。断末魔の叫び声が響き渡り、黒い狼はその身体をドウと大地に叩きつける様にして倒れ、男たちは悲鳴を上げながら森の奥へと逃げて行った。
「ああ、なんてこと!!」
慌てて弓を放り投げ、黒い狼の元へと駆けたメルチェの前に、何者かが立ちはだかった。
長く艶やかな真紅の髪をサラリと風に靡かせ、背には三対の鳥の様な真紅の翼を生やしている。頭部には黒々とした曲がりくねった角があり、ジロリと殺意の籠った切れ長な真紅の瞳をメルチェへと向けた。
息を呑む程に美しい男性の魔族だが、メルチェにはその姿に見覚えがあった。
「貴方は!! セイルっ!?」
それは魔国トイフェルの王セイル。つまりは魔王の姿であった。メルチェは咄嗟に身構えたが、彼は片眉を吊り上げて真紅の瞳を訝し気に細めた。
「……む? お前、私を知っているのか?」
その言葉にメルチェはハッとして、慌てて両手で自らの口を押えた。
——しまった!! 『この人生では』セイルと面識が無いんだったわっ!!
メルチェは伝説の聖女フリューゲルの生まれ変わりだった。
フリューゲルは魔王セイルを千年もの永い間封印し、人間を魔族の支配下から解放した史上最強の聖女だ。
つまりはかつての宿敵と偶然再会してしまったというわけである。
「いいえ!? 全く以て存じ上げませんわよ!? ホホホホホ!!」
メルチェが慌ててそう言って誤魔化したが、セイルは僅かに小首を傾げてメルチェを見つめた。
「なんとも怪しい女だな」
——自覚が無い様だけれど、貴方の真っ赤っかな姿の方がよっぽど怪しいわよ!?
心の中で突っ込みを入れながら、メルチェはフードを目深に被り直し、コホンと咳払いをした。
「ところで、魔族は条約により、このロルベーア王国には立ち入りを禁じられているはずじゃ無かったかしら?」
「うむ。その通りだ。『許可無く』立ち入る事は禁じられているな」
セイルはわざとらしく『許可無く』の部分を強調して言った為、メルチェは片眉を吊り上げた。
「あら、失礼したわ。まさか許可が下りていたとは思いもしなかったのですもの」
「いいや? 許可など得てはおらぬ。探知魔法に引っ掛からぬ様に大気圏付近を飛んで侵入してきたのだ」
「それじゃあやっぱり侵入者なんじゃない!! しかも貴方しか出来ない芸当よね!?」
メルチェが慌てて声を発すると、セイルは大きな声を上げて笑った。
「変わった女だ。この私を前に少しも怖気づく素振りを見せぬとは。ロルベーアの民が魔族の姿を目にしなくなって久しい。この様な異形の姿は脅威だろう。普通は気を失っていてもおかしくは無いはずなのだが」
セイルの言葉に、メルチェはフードの下で苦笑いを浮かべた。
どうやらこの魔王、自分の美しい外見に全く以て自覚がないらしい。確かに角や三対の真紅の翼は異形といえるだろうが、そんなものはただの飾りだと言わんばかりに麗しく、ついうっとりと見惚れる程の美貌の持ち主なのである。
押し黙っているメルチェから視線を外し、セイルがすっと指先を黒い狼へと向けると、狼の耳がピクリと動いた。腹部に刺さっていた矢が抜け落ちて起き上がると、セイルの元へと駆け寄って尻尾を振った。
「アガティオン、面倒を掛けたな」
そう言って、セイルは黒い狼の頭を優しく撫でた。真っ赤な鳥男と真っ黒な狼の妙なコンビである。
「ねぇ。相談なのだけれど、今回の事は内々に解決できないかしら? 国際問題なんかに発展したら面倒でしょう?」
面倒事を嫌うというセイルの性格を知っているメルチェは、なんとかこの場を収めたいと交渉した。
「ふむ……」
セイルは長い指を唇に押し当てて、吟味するようにメルチェを見つめた。魔族であるからか魔性の本能なのか、仕草一つにもやけに色気がある。
ついうっとりと見惚れていると、セイルがふっと僅かに息を吹きかけた。突風が起こり、メルチェのフードがはらりと後方に落ち、輝く様な金髪と白く透き通る肌が露わとなった。
フリューゲルの生まれ変わりであるメルチェは、その容姿もそのまま引き継いで産まれたのである。
——まずいわ! 自分を封印した女の生まれ変わりだってバレたら……!
セイルは絶句し、暫くの間メルチェを見つめた後、ハッとした様に言葉を放った。
「……お前、名は何という?」
——他人の空似で押し通すしかないわ!!
「メルチェリエ・アンブローシュ・ロルベーアよ。ロルベーア王国の第二王女というおまけの情報もつけてあげるわ」
それを聞き、セイルはつっと真紅の目を逸らし、何やら考え込む素振りをした。心なしか頬が赤くなっているようにも見える。黒い狼がセイルの服の裾を咥え、「キュオン」と鼻を鳴らし促す様に引っ張った。
「アガティオン、少し待て」
ぐいぐいと狼に強く引かれ、セイルは困った様に眉を下げた後、何かに納得した様に何度か頷いてチラリとメルチェを見た。
「……ふむ、いいだろう。お前に免じて今回の事は不問としよう。『お前に免じて』な」
——何が言いたいのよ。
メルチェは不思議に思ったものの、「有難う」とにっこりと微笑んで、素早く馬へと飛び乗った。ボロを出す前にさっさと退散した方が良いと思ったのだ。
「貴方も早く帰ってね。私も貴方が無許可で侵入したことを『貴方に免じて』赦してあげるわ」
そう言い残し、馬の腹を蹴り一目散に王城へと向かって駆けた。
頬が火照り、震える唇を噛みしめる。
——びっくりしたわ! まさかこの人生でもセイルと顔を会わせる事になるだなんて!
相変わらず美形だったわ……。
メルチェは聖女フリューゲルであった頃、セイルに惚れていた。
——元気そうで良かったわ。また、会えるかしら……?
ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせる為に深呼吸したものの、脳裏に浮かぶセイルの顔がどうしても離れず、彼女は暫しの間溢れんばかりに沸き起こる恋心に浸りながら馬を走らせた。