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パンツを穿いてください

「成程。つまり魔王様は完全に振られたということなのですね。というより、嫌われておいでであったと。そうでなければ千年だなどと永い年月を封印しませんからね」


 セイルの昔話を聞き終えて、アガティオンがケロリとした調子でそう言った。


「……うむ」


 泣きそうな顔をして下唇を噛みしめるセイルに、アガティオンはざんぶと頭から湯を掛けた。

 ボタボタと真紅の髪から湯を滴らせ、セイルはボソリと不満を漏らした。


「湯を頭から掛ける時は先に一声あると助かるのだが……」

「僕は今の世の中で良かったと思いますよ。人間も魔族も、互いの箱に上手く収まったという事なのですから」


セイルの発言をガン無視し、アガティオンはそう言った。恋煩いを拗らせまくった魔王一人を世話するだけでも一苦労なのだから、人間の世話までしてはいられないというのが本音だろう。


「そもそも生物としての基準が異なるのです。同じ国に共存しての平等など、無理な話ではございませんか。魔王様が治めたかつての国こそ、正に理想郷であったと言えましょう。フリューゲルが何故それを気にいらなかったのかは理解できかねます」

「やはり私は嫌われていたのだろうか」

「そうとしか思えません」


ズバリと言い放ったアガティオンの言葉に、セイルは心臓を貫かれたかの様にショックを受けた。項垂れて真紅の髪が湯の中でゆらゆらと揺らめく。


「過去の事は忘れるより他ございません。人間達は新たに心の拠り所を見つけたようですし」


 ロルベーアを発祥とし、熾天使(してんし)を崇める宗教が瞬く間に広まった為、人間達は魔族という拠り所を必要としなくなったのだ。つまり、ロルベーアの民にとって魔族は、最早畏怖の対象でしかない。


「人間達なりに前に進んでいるのです。ならば魔王様も今をご覧になっては如何ですか? メルチェリエ様はロルベーアの王族であるにも関わらず、魔族を恐れる素振りを見せず、毅然としていらっしゃいます。心の拠り所を失い、お一人でこのトイフェルに送り込まれ、さぞかし心細いはずだというのに。これ以上お寂しい思いをさせては気の毒にございます」


「アガティオンよ、お前は随分とメルチェリエに懐いた様だな」

「それ程に魅力的なお方ですから」


 アガティオンは誇らしげに耳のピアスに触れた。ハウレスとも揃いであるというのは気にいらないものの、いつも優しく周囲を気遣い、微笑む可憐なメルチェの様子を思い浮かべて、彼女と揃いの物を身に付けているという事に、つい頬が緩む。


「メルチェリエ様は本当に素晴らしいお方です」

「もしや、好いているのか!?」


 セイルが咄嗟に浴槽から立ち上がって振り返り、アガティオンを見下ろした。盛大にお湯が跳ね、アガティオンの衣服や髪がずぶ濡れとなる。


「ああ、もう……なんてことをなさるのですか!」

「問いかけに答えよ! お前はメルチェリエを好いているのか!?」

「何を仰っておいでなのです!? 魔王様は恋煩いを拗らせ捻くれ気持ち悪くうねうねしまくっておかしくなってますよ!?」


 果てしなく不敬である。


「何!? やはり私は醜いのか……」

「いや、そうではなくてですね!?」


 そして果てしなく面倒くさい。


 悲しみにくれて項垂れるセイルを前に、アガティオンは立ち上がると、風呂桶で頭を殴りつけたくなった衝動を押えつつ……いや、抑えきれずにセイルを蹴飛ばし、浴槽の中にダイブさせた。


「長湯はお身体に障りますから、さっさと出ましょうね、魔王様」

「待て! お前、今私を蹴ったか!?」

「気のせいでございましょう。いくら魔王様といえども毎晩のようにああも空を飛ばれては、お身体に疲れも出ます」


 長話に付き合ったせいでとっくに夜が明けており、曙色だった空は紅掛空色へと変化して、黄金の光が雲の隙間から射し込んでいた。


 アガティオンはずぶ濡れになった服の裾を絞った後、ブルブルと犬の様に身体を震わせて水気を払い、不機嫌そうに唇を尖らせた。セイルに使った香油が衣服に付着し、嗅覚の鋭い狼型の魔獣であるアガティオンには香りが強すぎるのだ。

 セイルの身体を拭きながら、盛大にクシャミをした。


「それでだな……お前はメルチェリエを好いているのか?」


 しつこい男である。


 いじけながら言うセイルにうんざりとしたものの、アガティオンは妙案を思いついてぴょこんと三角耳を高く上げた。


「そうですね、僕もメルチェリエ様をお慕いしておりますが、恐らく皆がそうであると存じます。何せあの方の魅力といったら留まる事を知らぬ程ですから、性別も種族も問わずに慕われているのでございましょう」


 つまりはセイルの独占欲を刺激し、メルチェに会いに行かせようという魂胆なのである。


 使い魔も大変である。


 とはいえ、アガティオンがメルチェを慕う気持ちは本当だった。そしてそれ以上に主であるセイルに忠誠を誓う気持ちもだ。イヌ科というものはどこまでいっても主ファーストなのである。


「この際ですから、メルチェリエ様とのご関係をしっかりと明確になさっては如何ですか?」

「明確に、とは?」


 早く結婚してしまえと言いたいのをぐっと堪え、アガティオンはコホンと咳払いをした。こういった事は人に指図されてではなく、自らの考えで決めなくては意味が無いからだ。


 全く以て、使い魔の鑑である。


「何か特別な贈り物をなさってみては?」

「む、特別な贈り物か……」


 アガティオンに触発されて、セイルはじっと考えた。


——花でも贈ってみようか……。いや、それではありきたり過ぎる。

 人間の国で何か流行りの物でも見繕って貰うか? 出入りの商人に頼めば容易なことだが、それではメルチェリエが気にいる物が無いかもしれぬ。私が直接赴いて探して来るのも良いだろう。


 セイルは仁王立ちになり、あれやこれやと真剣に考え込んだ。


「……魔王様、とりあえずパンツをお穿きになっては如何でしょう。僕相手に自慢でもしたいのですか?」


 アガティオンの鋭い突っ込みにより、セイルは大人しくパンツを穿いた。

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