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伝説の聖女フリューゲルと魔王セイル

 千百年程前。セイルは魔族の王として君臨し、人間を支配下に置いていた。


『支配下』といえば聞こえが悪いが、実際は脆く弱い人間を強靭な魔族が保護するという仕組みだった。政務や体力的に困難な重労働は魔族達が行い、人間達はそんな魔族の庇護下で生活していたのだ。


 ある時、一人の少女をセイルの専属侍女として召し上げる事とした。


 彼女は他国から奴隷同然で売られてきたのだと言う。

 酷い身なりではあったものの、彼女はどんなにか泥に塗れ、悪臭を放っていようともその輝きを曇らせる事無く、魂そのものの美しさを惜しむことなく見せつけており、だからこそセイルの目に留まったのだ。


 それが、フリューゲルだった。


 ほんの少し身綺麗にしただけで人目を惹く存在となり、千年に一人と言われる程の類まれなる潜在能力を発揮して、彼女は大いに貢献した。


 学問を習わせればすぐさま身に付けて新しい国政を説いて皆を助け、武術を習わせればあっという間に教える立場にまで上達し、魔術を習わせれば聖なる力に目覚めるという逸材だったのだ。


 セイルはフリューゲルの能力に関心し、敬った。彼女の言う言葉に耳を傾け、会話をすることが何よりも幸せな時間となった。時折剣の稽古相手になって貰うことさえある程に、彼女は魔族と対等に渡り合えた。

 セイルは瞬く間に心を奪われ、彼女を何よりも大切な存在であると考えた。


 しかし、一つだけ。どうしてもセイルと相容れない思想があった。


『人は魔族の奴隷に非ず。人も魔族も平等の世界を!!』


 フリューゲルの掲げた信念である。


 一部の人間達が起こした暴動が波紋の様に広がって行き、フリューゲルはあっという間に人間解放の聖女として祀り上げられた。

 セイルは気づいていながらもそれを止めるような事をしなかった。魔族達には一切の攻撃を禁じ、たった一人でフリューゲル率いる人間達と対峙した。


 拒めば数多くの犠牲が出ることだろう。


 正に一触即発の緊迫した空気の中、観念した様に現れたセイルに、フリューゲルは否応なしに封印の魔法を掛けたのだ。


「解って頂戴、セイル。貴方の力は余りにも強大過ぎるの。貴方が居る限り、人間はいつまでも魔族の支配下から抜け出す事ができないのよ」


 フリューゲルが涙を流しながら訴える姿を、セイルは哀しみで心が締め付けられながら見つめていた。


「フリューゲル。お前の望む世とは一体何だ? 人間が魔族を支配する国なのか? お前は、私を支配したいのか?」

「違う、そうじゃない……!」


 フリューゲルは手の甲で涙を擦りつけながらも、必死になってセイルを封印する為の術を完成させようとしている。

 指で描かれた文字が光を放ち、セイルの身体を少しずつ蝕んでいくのだ。その痛みは身体を貫く刃の様でセイルは酷く苦しんだが、苦しむ様子を見せればフリューゲルが罪悪感に苛まれるだろうと耐えた。


 そうとは知らず、フリューゲルは次々と封印の魔法文字を描いていく。


「私は、魔族と人間が平等な国を作りたいの!! どちらかが支配するだなんて、間違ってるわ!」


フリューゲルは震える指で必死になって文字を描いた。その姿が嫌に痛々しく見えた。本当に彼女の意思なのかと疑いを持ち、セイルはすっと手を伸ばした。


「止めよ、フリューゲル。そなたが苦しむ姿を見たくはない。本当に自らの望みを叶えるつもりならば、何故そうも悲しむ必要があるというのだ?」


フリューゲルが眉を寄せ、唇を噛みしめた。セイルが伸ばす手が彼女にあと僅かで触れる。

 しかし、その手を阻むかのように、セイルの前にフリューゲルを守らんと三人の男女が立ち塞がった。


「聖女に触れる事は赦さないよ!」

「指一本も触れさせやしない」

「この身に代えても聖女様をお守り致します」


 その者らはフリューゲルを誑かし、この馬鹿げた戦乱の主役へと祀り上げた憎き相手だ。武器を手にし、魔法障壁でセイルの手を弾き飛ばし、彼等は断固としてフリューゲルに触れる事を許さなかった。


 セイルは唇を噛み、悲し気に真紅の瞳を細めた。


「忘れたのか? フリューゲル、お前はずっと蔑まれて生きていただろう。人間は同じ種族でさえ肌の色や髪の色、体形だの顔の造形、男女の差や、少しばかり変わっている程度の事で差別するではないか。そのような者が、他種族と平等たる信頼関係を育めるという可能性を、一体何処に見いだせというのだ?」


 魔族は、その多種多様な姿形もそれぞれの個性であると互いに認め、敬っている。人間にそれができるのか?


 同族ですら貶めるというのに……?


「やってみなければ分からない事よ、セイル。希望を与えなければ、進む事なんてできはしないのだから!」


「目を覚ませ。平等たる国など決して生まれはしない。お前が思うよりも人は弱い! だからこそ他を貶めて支配したがるのだ。自分が優位に立つ事で、己の弱さから目を逸らし安心できるのだからな。弱さとは罪ではないか!!」


 フリューゲルが最期の魔法文字をゆっくりと指で描いた。


「さようなら、セイル。貴方が目覚める頃には、答えが出ているはずよ。人間と魔族が等しく平和に暮らす国になっているのだから。人間は貴方が想っている程、弱くなんか無いわ」


「……成程な。今分かった」


セイルの真紅の瞳は光を失い、フリューゲルの姿がもう見えなかった。


「私の心の弱さも、愚かさもまた、罪であったということか。お前の側にいるに相応しくは無かったのだな」


——フリューゲルの側に居る為には、『魔族』ではいけなかった。


「そうじゃないの、セイル。私は貴方を……!!」


フリューゲルが顔を歪め、号泣する姿をセイルの目には見えていない。


「さらばだ、フリューゲル」


そうして、セイルは千年という永い眠りについたのだ。

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