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悶える魔王様

 星々が瞬く静寂なる夜空を、雷光の如く滑空する真紅の魔王は……。


 悶えていた。


——私としたことが……。絆されたか!? 自室で寝ようとする度にメルチェリエの顔が浮かび、一人では寝られぬ!!


 セイルは毎日の様に自室で悶え、葛藤に惨敗してメルチェの寝室を訪れていたのだ。


——だがもうだめだ。彼女は懐妊したのだぞ!? 身体への負担を考えれば、私は一人で寝なければならぬ。一体世の夫婦はこの試練をどうやって乗り越えているというのだ!?


 全く以て極端な魔王である。


——そもそも私はフリューゲルを愛しているというのに、何を血迷っている!? 浮気か!? これは浮気なのか!? だがフリューゲルは既にこの世には居ないというのに!! メルチェリエがあまりにもフリューゲルを彷彿させるのだ。彼女の身代わりとしているのならば、私はなんと鬼畜なのだろうか!!


 鬼畜も何も魔王である上にメルチェはフリューゲル本人である。


——ああ、メルチェリエ。このままでは、私はお前を抱きしめて破壊してしまいそうだ!


 加減を覚えろ。


 セイルはくだらない葛藤で悶々とした頭を冷やす為、毎晩三対の真紅の翼をはためかせて闇夜を飛んでいた。


 思春期の少年の様である。


 空に浮かぶ美しい星々を見る間も無い程の速度で飛ぶセイルの姿は、トイフェルの国中で話題に上った。ある者は宇宙からの来訪者であると説き、ある者は新たに誕生した生物であると説き、またある者はただのまやかしで何者かの術であると説いた。


 まさか何千年と永い時を生きた自国の王の思春期が、今更来たとは夢にも思うまい。


「魔王様、やっとお戻りでしょうか」


 明け方近くに城へと戻ったセイルに、笑顔を向けながらも尻尾を下げて出迎えたアガティオンは、汗を拭く為の布を恭し気に差し出した。

 眉目秀麗この上なく、品もあり妖艶であり、国民の誰もが敬愛する魔王セイルが、実は純真無垢の塊であるという事実を知る唯一の使い魔である。


「それで? メルチェリエ様をずっとお独りにして、何考えてるんですか?」


 流石のアガティオンも少々キレ気味の様だ。それもそのはず、セイルがメルチェの寝室に訪れなくなって以来、彼女はすっかり食欲を無くし、持ち前の明るさまで失ってしまっているのだから。

 日中は政務に忙しいセイルの姿を偶に見かけたとしても、メルチェは声を掛けて邪魔をするわけにはいかないと遠慮し、遠目で見送るばかりだ。

 そんな様子は痛々しくて見て居られないと、ハウレスからも苦情を受けている。アガティオンも深く同意し、今夜こそは主に物申すと心に決めていたのだ。


「メルチェリエ様のお心を少しはお察しください。初めてのご懐妊で不安であるというのに一人きりにして、不憫だとは思わないのですか?」


セイルは汗を拭きながらいじけた様に長い睫毛を伏せた。背後にある窓の外では明け始めた空が鮮やかに曙色に染まり、その光が彼の長い睫毛を照らし出す。


 いちいち色気がある。


「私は魔族だ。それも魔王なのだ。人間とは相容れるはずがない」


その言葉を聞き、アガティオンのこめかみにピキリと青筋が浮いた。


「今更何を仰っているのです? メルチェリエ様のお腹には魔王様のお子がいらっしゃるのですよ? 無責任にも程がありますよ!!」


アガティオンの口元から牙が大きくはみ出してきて、今にも噛みつかんとギラリと光った。


「いや、無責任な意味で言ったのではない!」


セイルは慌ててわたわたと両手を振った。


「……そうではなく、メルチェリエが私を本当に受け入れる事ができるのかが心配なのだ。あの娘はロルベーア王国の第二王女という立場だ。自分で望んでここに来たわけでもなく、私が強引に『生贄』として呼び出してしまったのだから。どうにも弱味に付け込んでしまった気がして申し訳ないのだ」


なよなよと面倒くさい限りである。


「受け入れて欲しいと思うのであれば、魔王様ご自身がそうあるように努力すべきではございませんか。今の貴方は逃げているだけの様に見えます」

「私のこの姿は変えることなどできぬだろう! 魔族である私は、彼女の目には化け物にしか映らぬのだから」


 そう言いながらも、輝く程の真紅の髪をサラサラと肩から零し、片耳につけたルビーのピアスよりも美しい瞳を潤ませた。確かに角や翼も生えて真っ赤なド派手男ではあるが、憎たらしい程に魅力的である。


「そうですか? メルチェリエ様は魔王様の容姿によく見惚れていらっしゃる様にお見受けしますが」

「そんなはずはない。フリューゲルの時代とは違う。今はもう、人間が魔族を畏怖する世界へと変わったのだ」


ため息交じりにそう言ったセイルに、アガティオンは苦笑いで返した。


 百年前にセイルが目覚め、トイフェルとロルベーアの国境を偵察に行った時、偶々野草を集めていた少女と出くわした。それというのも、少女が足を滑らせて溪谷に落ちそうになった所を助けたのだ。

 三対の真紅の翼をはためかせ、少女の前に立ちはだかり「霧で見えぬがこの先は谷だ」と警告したセイルの異形の姿を見て、彼女は悲鳴を上げて逃げ出した。

 魔族を見た事も無い少女が、真紅の翼に真紅の髪や瞳をした男が突然空から舞い降りたのならば、誰でも阿鼻叫喚で逃げ出す事だろう。恐らくセイルの顔すらマトモに見る間もなく、逃げてしまったに違いない。

 しかしその事が純粋無垢なセイル心を深く傷つけ、暫くの間部屋に籠って出て来なくなってしまった程だった。


「気にし過ぎではございませんか?」


 アガティオンの言葉にセイルは首を左右に振った。


「いいや、メルチェリエも本当は私を恐れているのだろう。だが、『生贄』という立場が枷となっているのだ。私の姿は酷く恐ろしいだろうから。フリューゲルも、もしかしたら本当は恐れていたのやもしれぬ」


 アガティオンはセイルが封印から目覚めた後に創られた使い魔である為、フリューゲルの時代の事は全く知らない。解る事といえば、主である魔王が失恋を拗らせまくっているということくらいだ。


「まだ忘れられないのですか? 千年前に愛した女性の事を」

「千年の眠りから覚めて更に百年は経っているからな、正確には千百年だ」

「……重症だということは間違いございませんね」


 アガティオンはうんざりしてため息を吐きながら、城の階段を降り、セイルもそれに続いた。夜明けに帰って来ては汗を流す為に浴場へと行く面倒この上ない魔王の背中を、流してやる必要があるからだ。


 城内は夜型の魔族達が勤務している。明かりは落とされてはいるものの掃除も行き届いており、政務に於いても夜だからといって滞る事がない。永い刻を生きる魔族達は知識も豊富で、体力も並外れている。人間には難しい物量を彼等はさらりと熟すのだから、国が衰える道理など存在しない。

 セイルは本来眠る必要が無い魔族であったが、フリューゲルの封印を受けて以来、まだ本調子ではないのだ。それは単純にフリューゲルの封印が強力だったという理由だけではなく、セイル自身の心の問題が強く作用していた。


 つまりは、失恋のショックから立ち直れていないのである。


 しかし、メルチェリエと出会って以来、セイルは日に日に魔力を取り戻していった。今ではこうして毎晩空を飛びまくっても、日常生活に全く問題が無いのだから。


 まだ薄暗い城内をアガティオンが持つランタンの灯りが照らし出す。その後ろをとぼとぼと力なくついて歩く美青年を、すれ違う使用人達は恭し気に深々とお辞儀をして迎えた。恐らく皆頭の中では『今日の魔王様も愁いを帯びて一段と儚げでいらっしゃる』とでも思っていることだろう。


「アガティオンは好きな女性はいないのか?」


 残念ながら話している内容は思春期の少年である。


「僕は魔王様のお世話で忙しいのです。そのような事にうつつを抜かしている暇はございません」


 そう言いながら、ふと初めてメルチェと森で出会った時の事を思い出していた。

 主の命令とはいえ、気乗りしない作戦だった。あの時もしもあのままロルベーア王国侵略の理由を作っていたのなら、今頃とっくに人間の国を支配下に置いていたに違いない。


——本当に、メルチェリエ様は正に聖女の様な方です……。


「魔王様の想い人。『伝説の聖女フリューゲル』と仰いましたね?」


 浴場につき、アガティオンはセイルの背を流しながら言った。


「う、うむ……」


 戸惑う様に声を発したセイルに、アガティオンは鼻を鳴らした。

 ハッキリ言って不敬である。


「魔王様を封印した張本人なのでございましょう? どうしてそのような裏切者を想い続けるのです? 僕には理解出来かねます」


セイルは真紅の瞳を落ち着かない様にキョトキョトと動かした。


「……そういう時代だったのだよ」


苦し紛れに言った言葉に、アガティオンが肩を竦めた。


「尤もらしく恰好つけていますけれど、ぐぅの音も出ない程にこてんぱんに振られた事に変わりないですよね? なんせ、千年も封印された訳なのですから」


 辛辣である。


「私はフリューゲルと約束を交わしたのだ。目覚めた時には魔族と人間とが手を取り合う、平等な世界になっていると」


 セイルはため息交じりにアガティオンに過去を語り始めた。

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