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悲愴

 明け方の、徐々に白んでいく空に光りを奪われる月を眺めながら、メルチェは小さくため息を吐いた。

 傍らで寝息を立てるセイルが愛しくて堪らない。この気持ちを伝え、自分がフリューゲルの生まれ変わりである事を告げられたのならと考えて、もしもそんなことをしたならば、セイルは自分を追放するだろうと唇を噛みしめた。


 気が遠くなるほどの時間を奪った女を、憎くないはずが無い。

 王を奪われた魔族達も、当然憎んでいるはずだ。折角アガティオンやハウレスと良好な関係を築けたというのに、全て台無しとなってしまう。

 ロルベーアでは許されなかった安息が、今このトイフェルの地にあるのだ。フリューゲルとして生きた時代にも決して与えられる事の無かった安らぎを、やっと今手にしたというのに、それは儚い束の間の安らぎでしかない。


 いつか、彼に真実を話さなければならないとは解っていても、今はまだこの幻想に浸っていたい。自分ではない誰かを見つめる彼の眼差しに心を痛めても……。


 メルチェは再びため息を吐いた。


 千年もの永い間、封印されていたセイルは、一体どういう状態だったのだろうか。眠っているのと似たものならば、夢を見ていたのだろうか。


 自分を封印した女への、恨みを抱いて……。


「眠れぬのか?」


 ふいに掛けられた声に驚いて、メルチェはびくりと肩を動かした。セイルは小さく笑うと、「驚かせてしまったな、すまぬ」と言って、大きな手で優しくメルチェの細い肩を撫でた。


「ちょっとだけ、考え事をしていたの」


 身体の向きを変え、セイルを見つめると、彼は真紅の瞳で優しい眼差しをメルチェへと向けた。長い睫毛が揺れ、形の良い唇がゆっくりと言葉を吐く。


「悩みがあるのか? 私に話せぬことだろうか? 何でも力になるぞ」


 心配そうに見つめるセイルに、メルチェの心臓は激しく鼓動した。


——優しいっ!! 好きっ!!


 メルチェはセイルの美しい顔にむしゃぶりつきたくなったが、必死に我慢した。


「平気よ。大したことじゃないの」

「大した事ではなくても良い」


 セイルは口元をほころばせると、メルチェの頭を優しく撫でた。瞳にかかった金髪を掻き分けてやり、その額に口づけをした。


「お前が抱える悩みも心配事も、全て私が引き受けられたら良いのだが」


——貴方が素敵過ぎる事が今の私の悩みよ!?


「あ、ありがとう。そう言ってくれるだけで、私……」


 真っ赤に染まる頬を隠そうと、メルチェはセイルの胸に顔を埋めた。が、彼の逞しい体つきに増々心が高鳴り、最早オーバーヒート寸前になった。


 セイルはまるで子供を寝かしつける様に、寝具の上からメルチェの背を撫でた。


「このトイフェルに来た者は、人間であろうとなんであろうと、王として私は護る義務があると思っている。お前を決して傷つけさせたりはせぬ」


——千年経った今も、貴方は変わらず、悲しい位に優し過ぎるのね。


 セイルが誰かに冷たく当たる様子を、フリューゲルであった頃も一度たりとも見た事が無かった。彼は誰にでも公平に優しく、皆に好かれる理想の王だったのだから。


「ねぇ、セイル。千年の間、封印されていた貴方は、どんな気持ちだったのかしら」


 せめて、自分が彼にしてしまった事を知らなければならない。メルチェはそう思って、覚悟を決めて問いかけた。


 セイルは考え込む様に間を空けて、ゆっくりと口を開いた。


「……ずっと、愛した者の事ばかりを考えていた。もう二度と逢えぬ寂しさで、流す事のできぬ涙を心のうちで流し続けていたのだ。なんとも女々しい限りだ」


 悲痛な面持ちで語るセイルの言葉に、メルチェはズキリと心が痛んだ。


——私は、彼を封印したことで、彼の恋を引き裂いてしまったのだわ……!!


「ごめんなさい」


 涙を零しながら謝罪するメルチェに、セイルは困った様に眉を下げた。


「何故お前が謝るのだ?」

「私は、貴方に何もしてあげられないもの。貴方は私の心を癒してくれるのに……!」


——絶対に許されない事を、セイルにしてしまった。彼が愛した人はきっと、千年後の今、この世には居ないのね。

 償っても償いきれない、なんて残酷な事をしてしまったのかしら!


「そんなことはないぞ、メルチェリエ」


セイルはメルチェの涙を優しく拭ってやりながら言った。


「階級に厳しい魔族の中で、私は常に孤独だった。しかし、千年経った今、人間と魔族との関係性は変わっている。支配関係が消え、対等となったのだ。それ故にお前の存在は私の寂しさを和らげてくれている」

「それでも、貴方は愛した人を忘れる事なんか出来ないのでしょう?」


「もう過ぎた事だ。いつまでも引きずっている私が女々しいだけなのだ。アガティオンからもよく叱られている程でな、我ながら情けないとは思っているが、どうしても忘れられぬ。困ったものだ」


 悲し気に真紅の瞳を伏せる様子に、胸が潰れる思いを味わった。


 セイルは身体を起こすと、溜息を吐いた。ベッドから降りてローブを羽織ると、「私も目が冴えてしまった。茶を用意させよう」と言って、部屋から出て行った。


——私ったら、セイルが愛する人の身代わりになれたらいいだなんて言っておきながら、彼の心の傷を抉ってしまうだなんて。

 一体どうすればいいの……? これ以上彼の側に居たら、私は……!


 メルチェはセイルへの想いがどんどん深くなっていく事に恐怖を覚えた。必ず離れ離れになる未来が訪れるだけではなく、セイルの瞳が自分には向いていないのだという事実が、無償に虚しく、痛々しい程に悲しい。


 白んでいた空に紅みが差し、曙色へと染まっていく。太陽の光が目に染みて、メルチェは大粒の涙をいくつも零した。

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