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皆幸せ

——どうしよう。めちゃくちゃ幸せっ!!


 メルチェはセイルの逞しい腕に抱かれながら、発狂せんばかりに心の中で叫んでいた。


 一夜限りと思いきや、あの日からセイルは毎日の様にメルチェの寝室を訪れる様になったのだ。

 寝息を背中で感じながら、彼の長い指を愛しく撫でるこのひと時が、堪らなく幸福だ。


 勿論、こんな幸せが永遠に続くと思う程、世の中が甘くないということは重々承知だ。セイルは一言もメルチェに対して愛を口にする事は無かったし、メルチェもまた自分の想いを伝える事をしなかった。


 セイルが見つめる先はメルチェではないという事実に、時折どうしようもなく虚しくなる気持ちを抱えながらも、トイフェルに来て本当に良かったと心から思った。


 まやかしであろうとも、これほどに満たされた幸福感を味わった事など今まで無かったのだから。


 ある日、メルチェは身体が鈍ってはいけないと、城の裏庭で剣の素振りをしていた。本当は掃除など、何か仕事を手伝いたかったが、アガティオンに「メルチェリエ様にそのような事をさせては、魔王様よりどんな叱責を受けることかしれません!」と、キレ気味に断られてしまった。


「メルチェ!」


 ひょっこりとハウレスが顔を出し、何やら嬉しそうに微笑みながら駆けて来ると、尻尾をピンと立ててすり寄った。


 すっかり懐いている。


「あのね、魔王様が街でお買い物してきなさいって!」

「お買い物? 何を買うのかしら?」


 キョトンとしたメルチェに、「何でも好きな物を買えばいいじゃない!」と、瞳をキラキラと輝かせた。


「お会計は魔王様持ちなんだからパーッと使えばいいよ! ドレスを仕立てるんでもいいし、アクセサリーや小物を買うのもいいし」

「でも、ドレスはロルベーアから持ってきたものがあるし、生活必需品も一通り揃ってるから、何も不自由は無いわ」


その言葉に、ハウレスは思いきり不満気な顔をすると、メルチェの服をぐいぐいと引っ張った。


「えーっ!? 行こうよぉ! 城下町は面白い物が沢山あるから、見てるだけでもきっと楽しいよ!」


——確かに、フリューゲルだった頃の街並みしか知らないわけだし、あれから千年以上も経っているのだから、見に行きたい気はするけれど……。


「私は居候ですもの。贅沢は必要無いわ」

「贅沢しなくても良いから城下町に行こうよぉ! 絶対楽しいからっ!」

「今も十分楽しいし幸せだもの」


——これ以上望んだら罰が当たっちゃうくらいだわ。私はセイルが側に居てくれるだけで十分過ぎる程に幸せなのだもの。


 メルチェは剣を握り締めると「ハウレスは城下町に行ってきても平気よ。私はここで大人しくしているから」と言って素振りを再開した。


 ハウレスはしょんぼりと丸みを帯びた耳を水平にし、地べたに膝を抱えて座って項垂れた。


「あたし、メルチェと一緒に行きたいのに……」


 素振りをする手をピタリと止めると、メルチェはハウレスへと視線を向けた。何やらハウレスが不憫になったのである。折角誘いに来てくれたというのに冷たかっただろうかと申し訳無く思い、「ごめんね、ハウレス」と声を掛けた。


「でもね、私は生贄としてここに来たのだもの。それだというのに、客人扱いされている上お買い物だなんて、申し訳無くてそんなことできないわ」


「そのように遠慮なさらず、お出かけされたらよろしいのです」


アガティオンがそう言いながら裏庭へと来ると、メルチェにお辞儀をした。


「魔王様はここの所、政務でお忙しく、なかなか時間を取る事ができませぬ故、メルチェリエ様にご不便をお掛けし申し訳ないと仰っておいでです。せめてもと命じられたことですので、乗って頂いた方がお喜びになりましょう」


ハウレスはパッと顔を上げて瞳を輝かせると「アガティオンも偶には良い事言うね!」と言って立ち上がった。


「魔王様のご命令だもの、行こうよメルチェ!」


 『命令』とまで言われてしまったら従わない訳にはいかない。メルチェは「わかったわ」と返事をし、ハウレスは大喜びで飛び上がった。


「結構でございます。正門に馬車を用意してございますので参りましょう」


アガティオンが立派な尻尾を揺らして言うので、ハウレスは不思議そうに小首を傾げた。


「へ? アガティオンも一緒に行くの?」

「はい。魔王様がですね、メルチェリエ様は恐らく遠慮されるであろうと予測し、僕もお供につく様にと指示されたのです」


つまり、何か欲しそうだと思ったら否応なしに買ってしまえという命令である。それほどにメルチェは普段から遠慮し過ぎているというわけだ。


「えー!? アガティオンは口うるさいから嫌」


ハウレスが唇を尖らせながら言い、アガティオンはサラリと「ハウレスの意見は聞いておりません」と返した。


「しかしながら、僕がメルチェリエ様にとって目障りでしたら、目につかぬ様後方に控えます故、遠慮なさらず仰ってください」


 メルチェは首を左右に振るとと、剣を鞘へと納めてニッコリと微笑んだ。


「全然目障りなんかじゃないわ。二人と一緒に出掛けられるなんてとても嬉しいもの」


 メルチェの言葉にハウレスとアガティオンは黒い瞳をキラキラと輝かせて、嬉しそうに耳をピンと立てた。

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