侵入者は赦しません
千年以上の遠い昔、人間は魔族の支配下にあった。
全ての決定権は魔王セイル・カタストローフェ・トイフェルにあり、階級に厳しい性質である魔族は、絶対王政という政治体制の下、人間もまた服従を余儀なくされていた。
そんな中、立ち上がった人物が居た。
『人は魔族の奴隷に非ず。人も魔族も平等の世界を!!』
その信念を掲げ、人間の独立を成した聖女。彼女の名は、伝説の聖女フリューゲル。
魔国トイフェルと袂を分かち、人間のみが住まう国ロルベーアを建国した英雄である。
◇◇◇◇
『自由奔放という言葉は、この娘の為にある様な言葉だ』
ロルベーア王国の王城内の誰もが、第二王女であるメルチェリエ・アンブローシュ・ロルベーアに対して思う事であった。
猿の様に器用に木に登って城壁に飛び乗り、脱走を繰り返す為、城内の庭の木は全て切られてしまった。
騎士団に忍び込んでは剣やら弓やらを持ち出して、一人で稽古を始める為、武器庫は厳重に鍵を掛けた。
厩舎に忍び込んでは馬を潰す勢いで乗り回す為、厩舎には警備兵を配置し、巡回させた。
「メルチェリエ王女様っ!!」
彼女に仕える侍女やメイド達が悲鳴の様にその名を叫ぶのは日常茶飯事であり、両親である国王夫妻もメルチェには呆れ果て、完全に匙を投げていた。
『年頃になったらさっさと嫁にやってしまおう……』
そうは思ったものの、そんな自由奔放な王女を一体誰が好き好んで娶るものだろうか。
国内では彼女のお転婆ぶりが既に周知の事実となっており、貴族達も皆メルチェとの顔合わせを敬遠する。嫁ぎ先で大問題を起こしかねない為、同盟国へと送り出すにはかなりの不安がつきまとう。
そうこうしているうちにメルチェは十八歳を迎えてしまった。この年齢で婚約すらしていないというのは、ロルベーア王国の王族としては完全に行き遅れである。
しかし、当の本人は全く気にする事もなく、毎日の様に馬でどこかに出かけてしまう。最早彼女の自由を束縛する術など何もないのだ。
弓を背負い、剣を腰に下げ、メルチェは男性顔負けの技量で馬を操り、森の奥へ奥へと駆けて行く。輝く様な金髪をフードで隠し、白く透き通る様な肌を男性物の服で覆うその姿は、誰一人として彼女を王女であるなどと思わない事だろう。
「こんな天気が良くて清々しい日に、お城の中に籠りきりだなんて耐えられないわ」
森の空気を肺一杯に吸い込んで深呼吸をしていると、突如森の奥から悲鳴が轟いた。メルチェはハッとして辺りを見回し、声のした方向へと馬を走らせながら、手慣れた手つきで弓を掴んだ。
木々の合間を駆け抜けた先に漆黒の体毛に覆われている狼が、数名の男を前に唸り声を上げている様子を目の当たりにし、咄嗟に矢を番え、キリキリと弦を引いた。
——あれはただの狼ではないわ。妙ね、魔獣がこんなところに現れるだなんて。
直ぐには矢を射らず、眉を顰めた。このロルベーア王国に隣接する、魔族が治める魔国トイフェルとは、条約により許可なく国境を超える事が出来ない。国境には探知魔法障壁が張られており、それを越えた場合にはすぐさま国境警備隊に通知が入るようにとなっている。
人型の魔族は勿論の事、小さな魔獣に於いても国境は厳重に監視されている。それだというのに魔獣がここに居る理由といえば、一つしか思いつかない。
——つまりは密輸ね。魔獣型はペットとして貴族達の間で人気だと聞いた事があるもの。
そう考えて、メルチェは苦笑いを浮かべた。
ロルベーア王国の第一王女である、アデリナ・トロイエ・ロルベーアは、奴隷収集が趣味なのだ。メルチェが何度も苦言を述べたが、聞き耳を持つどころか、『第一王女に対する不敬である』と、謹慎を命じられたのは一度や二度ではない。
国を統べる王族がそんな体たらくでは、貴族達が堕落するのも当然だろう。
メルチェは弓を構えたまま男たちに向けて声を放った。
「貴方達、警備兵に裏金でも渡して魔族を国内へと輸送しようとしたのかしら? 魔族をこのロルベーアに連れ込むだなんて、許されない事よ!」
「早くこいつを何とかしてくれ!! 食われちまうっ!!」
すぐ側に横転している馬車が見える。恐らくは石か何かに乗り上げて横転したところ、荷台の檻が壊れ、魔獣が逃げ出したといったところだろう。
メルチェは馬から降りると、唸り声を上げる黒い狼を見つめた。
「怒る気持ちも解るけれど、治めてくれないかしら? ロルベーア王国と魔国トイフェルが敵対するなんてことを、貴方も望んでいないでしょう?」
魔獣であろうとも魔族は知能が高く、言葉を理解する事ができる。メルチェが穏やかな声を発して宥めようとした瞬間、轟く様な声が響き渡った。
『いいや、あの者どもを噛み殺せ!!』
黒い狼はその声を聞いて大地を蹴り、男たちに飛び掛かった。