昼
そうこうしているうちに就業時刻になり、そしてあっという間に午前の業務は終わる。
サカノ君とは一言も話をすることはなかった。
それに、仕事もなかなか忙しかったため、朝の出来事をとりわけ気にせずに済んだ。
竹田さんは昼食に何を食べようか、と考えられるほどだった。
「竹田さん、一緒に食べに行きませんか? 大丈夫、おごってくださいなんて言いませんから。ははは」
サカノ君だった。
「えっ、あっ……いいね。たまには……」
これには驚き、顔が引きつってしまう。
サカノ君とこれまでの関係で、昼食を二人で食べに行くということは一度もないことだった。どうして、今日に限って……
「あそこのうどん屋にしませんか? 僕、運転しますから」
颯爽と歩きだすサカノ君の後を、静かについて行くしかなかった。
道中、サカノ君とは適当な会話をする。助手席に座る竹田さんはだんだん、サカノ君の口臭が気になりだした。
生臭い。あの時の自分の部屋を思い出す。やはり、サカノ君は食べていたのだろう。
前方をまっすぐに見つめニコニコと楽しそうに話すサカノ君に、軽く相槌を打ち続けることしかできない。
とてつもなく長く感じられたが、五分くらいでうどん屋には着いた。
店に入ると、時間もないので二人は同じうどんとミニ天丼のセットをすぐに注文した。
変わらずサカノ君は愛想よく話をする。
向かい合って座る竹田さんはなるべく顔を見ないようにしながら、気のあるような無いような相槌を打ち続ける。
もう生臭い、あの臭いが鼻にまとわりついて離れない。
そうしているうちに、うどんのセットが運ばれてきた。
おいしいですね、とサカノ君はするするっと麺をすする。
それを見るのも嫌になっていた。食欲はすっかりなくしている。
「あれ? 食べないんですか?」
「えっ? いやいや食べる、食べるよ……」
はっと我に返った竹田さんは、気持ちを押し殺して食べ始めた。
さとられてはいけない。さとられては……何をさとられてはいけないのか。
もはやわからなかったが、その一心で完食したのだった。
あとは帰るだけ、と少々安心した車中では、行きと同じようにサカノ君が運転している。
そうして、販売店の駐車場に車はとめられた。
やっとこの空間から解放される、と安心しきった竹田さんはシートベルトを外す。
「ありがとう、サカノ君。それじゃ……」
「いえいえ……それより、今日の朝のこと、何も聞かないんですね」
「えっ……!!!」
思わず目を見開き、サカノ君の顔を見てしまった。
「それでいい。誰にも言うな」
さっきまでの明るい表情とは全く違う怖い顔で、まっすぐにこちらを見ている。低く感情のない声だった。
「は、はい……」
声のような、吐息のようなものを必死に吐き出すと、竹田さんは転がるように車を降りた。
もう早退して、このサカノ君と同じ場を離れたかった。
だが、早退するにはそれなりの理由が必要になる。なんと言えばいいのか。それに、なんだかサカノ君に見張られているような気さえする。
仕方がない。定時になったらさっさと今日は帰ろう。
でも……帰るのか、あの家に?
あの家だぞ、下手したらまだあの女がいるのかもしれない。サカノ君だって再び現れることは十分に考えらえる。
嫌だ、帰りたくない。
絶対に嫌、というより帰れない。無理だ、嫌だ、どうしよう……
ぽん、と肩をたたかれた。