七
水をかけられて目を覚ますと、雪津冬次郎は自分が蘭領インドシナ風の肘掛け椅子に縛りつけられているのを発見した。
「これ、事務所の椅子?」
「馴染みのあるもののほうが心安いと思いまして」
三柿野がいる。その後ろにはバケツを手にしたヤクザがいる。その半纏には白抜きで采田組とある。
「いま、何時?」
「三時十分です」
「クソッタレ。十分しか寝てない」
「そう、言わないでください。彼らに任せていたら一か月経過しても、何の進展もなかったのに、あなたに注文したら、この通り。あなたの猫探しの才能はまさに天賦ですね。少し出遅れましたが、近いところまで来ました。わたしはあなたを買っているんですよ?」
「買ってる人のこと、椅子に縛りつける?」
「祠が壊されていました。いえ、装置と言ったほうが近いでしょう」
右の視界の端に壊れた祠があった。小銃弾数発で吹っ飛んだちっぽけな神社もどき。
「あなたほどの霊媒師なら、あれがどんなものか分かるでしょう?」
「そこまで分からない。ただ、あれ、すっごい歪んでる」
ククッと三柿野は笑った。
「ジェントルマン・シップにのっとって、お話がしたいのですが、あまり時間がないのです。わたしはあのふたりを捕えないといけないので。あとのことは彼らに任せます」
その彼ら――三人のヤクザはバケツを応用したかまどを赤く燃える石炭でいっぱいにし、そこにペンチを突っ込んでいた。
「そんなことしなくても、何でも話すよ。おれ」
「人間の深層心理に迫るときは熱したペンチに限ります。それに、まあ、これは趣味の一種、職務上の役得です」
バケツから取り出されたペンチの赤は、恐らくこの部屋で最も美しい色であり光であるが、それが自分の鼻をこれから焼きちぎる色であり光であるのであれば、評価は著しく下がる。
冬次郎はプロの審判ではないのだ。
「では、鼻を削いでください。そのあいだ、わたしは列車に連絡を――」
ザン、と音がして、三柿野の左腕の付け根――腕が生えるかわりにひっくり返した切株のようになっていた――から鮮血が噴いた。
「ハジキだ!」
「誰が撃ちやがった!」
次の一発はペンチのヤクザの肩へ真上から入り、弾は腹腔へ突き進み、内臓を爆発させた。
「上だ!」
滑車につけたロープを使って、垂直の壁を真下へ走りながら、撃ってくる。
ヤクザふたりが真上から降る弾に次々と体をちぎられ、芯をなくした血まみれ人形二体はその場に崩れて倒れた。
地面激突ギリギリで止まったパードレが装帯から体を外そうとするあいだ、三柿野が残った右腕でパードレを狙う。
冬次郎は足元のペンチを蹴飛ばした。
「ギャアアアアアッ!」
白熱したペンチが端整な顔を醜く焼き、金具が引っかかって、左の目玉と皮膚が燃えながら剥がれ落ちた。
パードレはそのころには銃身の長い六連発銃を両手でしっかり持ち、これ以上ないほどきれいな膝射ちの姿勢を取って、三柿野の胸に一発撃ち込んだ。
吹っ飛んだ体がトタン壁を破り、外気の温い風が吹き荒れた。
パードレがロープを切って、立ち上がった冬次郎のあちこちをじろじろ眺めた。
「体はちぎられていないようですね」
「あいつら、パードレの枕をどこかに持っていきやがった」
「でも、これはありましたよ」
パードレは鬼青江を返した。三柿野の親切な審美眼がメッキの吊り金具を見事な黒漆拵えのものに交換してくれていた。まあ、持っていくつもりだったのだろうが。
「枕はまた作って差し上げます」
「ホント、ごめんね。水場でバケモノ出たら、何時でもいいからおれのこと呼んでよ」
「でしたら、トビウオの煮干しもご用意を。ここに連れてきてくれたのは、彼らですから」
にゃーお、と真上から猫の鳴き声がした。
「シシャモもつけるか。さて」
ふたりで壁に開いた大穴から下の濠を眺める。
タールまじりの油で黒く太った杭が何本かあり、野菜くずや死んだ魚が浮いているが、三柿野は沈んだままだ。
「これ、どうしようか?」
と、三柿野の左腕を持ち上げた。
「わたしの教会で供養しましょう。悪い人間だからとその腕に責めを負わせるのも心苦しいですから――それも、砲弾の雨を生き残れたらの話ですが」
「え?」
パードレが水濠越えの対岸にある装甲列車を指す。
十八砲塔、全三十六門の装填済み七十五ミリ砲が音股を狙っていた。