六
太田サッカリン工業はサッカリンを瓶詰にして出荷していた。
砂糖の五百倍甘い奇跡の化学物質の原料がコールタールであることはあまり知られていない。
迷路のような街路をさんざん迷った挙句、正午をまわったあたりで、やっと見つかった太田サッカリン工業。
博士とサキが路地のガラクタに隠れていた裏口から入ってみると、死んだ目をした工員がドラム缶で沸騰するコールタールを竿竹で混ぜていた。
「なんだ、お前ら。社会科見学か?」などと言うほどの余裕もないくらい、コールタールのかきまわし作業に没頭していた。
抽出、分解、結晶化。
それらの作業は音股で拾われてきたガラクタからつくられた機械で行われていて、それらを不祥事を起こして学校を解雇になった化学教師を安いカネで雇い、ポンコツ機械が爆発しないよう見張らせている。
大きな木桶に濾過器をはめ込んだものから、ざあざあと有毒物質まで通してしまっている音がしていて、工員たちが、
「死にゃあしねえよ」
「死にたくねえなら砂糖を買えばいい」
と、消費者を突き放す放言をしていた。
『太田サッカリン工業 芋掘り同好会 会議開催』の貼り紙の扉を開けると、社員食堂に入った。
窓もなく、脚の長さが不揃いのテーブルがふたつあるだけの大型台所で、メニューはジャム付きパンだけだった。そして、その透明なジャムにサッカリンが入っている。
ラジオをききながら競馬新聞を開いている、不機嫌そうな調理係に芋掘り同好会のことをたずねると、調理係はじろりと少女を見て、奥の扉を指差した。
さらに下り階段で、裸電球と建材のあいだから差し込む陽光を頼りに降りていくのだが、祠は確実に近づいていた。
ざらっとした触感が心臓を撫でているような息のつまりを覚え、幻視もよりはっきり形を結んでいる。
「――人がいる」
祠のそばに人が立っている。
背の高い男で顔の左半分にヤケド痕か入れ墨のような模様が走っていた。
「僕が先行します」
サキは貼り紙だらけの壁がバタつくくらいの速さで階段を駆け下り、ドアに体当たりをしながら、カチカチと小さなハンドルを回して、携帯型多目的武装装置を自動小銃に変えた。
そこは高い天井に空が小さく丸を描く、深い部屋だった。
中央に祠、そして、手がかりの『太田サッカリン工業 芋掘り同好会 会議開催』の貼り紙がある。
「おー。幻視の通りだ。で、これ、何の役に立つの?」
冬次郎は腕組をして、フムムとうなっていた。
「そこで何をしている?」
自動小銃を自分に向けてくる少年を見て、冬次郎の発言。
「おお、サナちゃんとナンチャラ作戦試作機三十三号? ヤバいなあ。見つけちゃったよ」
「何者だ?」
「おれ? しがない霊媒師。名刺あるけど、見る?」
「なぜ、僕の機体番号を知っている?」
「そりゃ教えてもらったからだよ」
三八式実包の七連射が祠をバラバラに吹き飛ばし、何かに引き抜かれるようにして、ざらっとした感覚が消えた。
「ああ、壊したいのか」
「それで、あなたは何者ですか?」
「さっきこたえたやん。雪津。雪津冬次郎。霊媒師。どのくらい霊媒師かというと、この歪みをもろに浴びたら、時間に段差ができて、一秒ごとの過去の自分とくっつけられることがわかるくらいに霊媒師やってる」
「サキ!」
少女がやってくると、冬次郎は、また、オーッと曲馬団の観客みたいな声を上げた。
「おれの三百円プラス必要経費――おっち、待って、撃たないで。あいつに引き渡す気はないんだって」
「それを信じろと言うんですか?」
「まあ、無理だよね。おれなら信じちゃうけど、きみら、あきらかにおれより頭良さそうだし」
「雇い主の名前を言ってください」
「ところで、いま、何時?」
「なんですって?」
「いま、何、時?」
「いったい、何を――」
「三時、ちょうどです」
少女がこたえる。
「あー、やっぱり。この眠気は、そうか、二十四時間経ったんだな。そっか、うん、もう、無理。おやすみなさーい」
冬次郎はパードレからもらった枕をゴミ紙を踏み固めたらしい床に置いて、何度か軽く叩いて、馴染みやすくすると、そこに頭をのせ、二秒で眠ってしまった。