五
夜が遅く、自分以外の人間が何らかのアルコール飲料をがぶ飲みしているのを見ると、ついついサボタージュがしたくなるのは人の性だ。
パードレの孤児院神社から夜の町に戻ってきたとき、冬次郎はとっととふたりを見つけて、引き渡すなり渡さないなり、何らかの決着をつけなきゃならんのだ!と意気揚々だったが、気づけば、テンポのはやい予科練の歌が流れる酒場で鯨ベーコンをつまみにカストリ焼酎をやっていた。
冬次郎は知らなかったが、ふたりは実はすぐそばの路地の先、采田組の息のかかっていない古い宿屋に泊まっていた。
ヤツデに占領された小さな庭と錆色の鮒が泳ぐ池があり、ずいぶん軋むが縁側もある。音股がこんなふうになる前から旅館として営業をしていて、ちょっとした物書きが贔屓にして泊まりに来ることもあった。
物書きときくと、あの作家のことが思い出される。
祠はここにもあるはずだ。幻視が、理由は不明だが、かなり強い。これまではあの歪んだ像を結ぶ金属の扉しか見えてこなかったが、この一日はそのまわりを囲む錆びた板、ゴミが積もった床までが見えてきたが、一番の収穫は壁の貼り紙だった。
『太田サッカリン工業 芋掘り同好会 会議開催』
太田サッカリン工業の工場のどこかに、あの祠がある。
〈深域〉の干渉を最も受けやすい場所にわざと作られた祠。
あれは抑えるためではなく、むしろ解き放つためのものだ。
そんなことをすれば、どうなるか。それはもう分かっている。
少女はそっと自室の襖を開けた。
少年が庭に立っていた。
左手にトランクを下げ、右手は腰に差した四十五口径の自動拳銃の銃握を握っている。
「あの、サキ――」
サキ、と呼ばれた少年が振り返る。
「お呼びですか、博士?」
「あなたも休んでください」
「いえ。僕はここで歩哨に立ちます」
「えーと。庭で銃を握りながら立っていると、かなり目立つと思いますけど」
「把握したこの建物の位置情報では敵襲の際、予測される攻撃経路のパターンはこの庭に集中しています。正確にはその池なのですが、池で立とうとしたら、店主にバカヤロウ!と怒鳴られました」
「うーん。それは店主さんの言う通りかもしれません」
「しかし、この位置でも防御効率はほぼ損なわれません。ですから、博士はご安心なさってください……博士?」
少女が庭に降りる。
伏せがちの視線を上げようとするが、気恥ずかしく、少年の横に立った。
そして、いま、このとき、雪津冬次郎はカストリのなかに入っていたネズミの尻尾を吐き出して、ブチ切れていた。
「……サキ。かかわってくれて、ありがとう」
「――あの、博士? それはどういうことでしょうか?」
「お父さまがなくなってから、誰も味方はいないと思っていたから」
「礼を言われるようなことではありません。なぜなら、僕はこのために作られた機体です。それより博士、お休みになられたほうがよろしいかと。明日の捜索で祠はおそらく発見できますが、それゆえに敵の頑強な抵抗も予想されます」
「そうですね。ありがとう。あなたも休めるときに休んでくださいね」
ふふ、とサキが微笑む。
「機体に休息は不要です。おやすみなさい。博士」
いま、このとき、酒場は大乱闘で、冬次郎は〈四十度〉の紙が貼られた一升瓶を手にたまゆら商店街バケモノ退治の連続攻撃をサッカリン工員たちの頭で再現しようとしていた。